有罪愛
泣きたくなるほど美しい天の川の下、愛しい妹が自分を肯定してくれる。
彼女の答えは、追い詰められた冬夜にこの上ない安らぎを与えた。
――もう、何も考えたくない。
二人とも、思っている事は同じだ。
――ならばこのまま……。
一歩ずつ海に向かって歩くたび、静謐な死が包んでくるように思える。
覚悟を胸にキュッと冬夜の手を握り返した時、春佳はある事を思いついた。
「……ねぇ」
「ん?」
冬夜は返事をし、歩みを止める。
「私、死ぬ前に好きな人とキスをしてみたい」
それはずっと胸に宿していた小さな願いだ。
今までは冬夜を実の兄だと思っていたから、決して叶わない望みだと思っていた。
けれど、今なら――。
「私、ずっとお兄ちゃんが好きだった。……優しくて格好良くて、何でもできて、自慢の人で、憧れだった」
冬夜は妹の告白を黙って聞く。
「でも〝お兄ちゃん〟だから、自分の想いは〝憧れ〟だと思うようにした。血の繋がった兄に惹かれてるなんて言ったら、頭がおかしいと思われてしまう。でも友達がお兄ちゃんを『素敵だね』って言うたび、嬉しいはずなのに嫉妬していた。でも嫉妬するのは間違えているから、『凡庸な自分は完璧な兄にコンプレックスを抱いている』と置き換えていたの」
そこまで言い、春佳は溜め息混じりに笑った。
「けど、今なら素直に異性として好きだって言える」
けれどもう、何もかも遅すぎた。
「ごめんね。お兄ちゃんが『あの家を出ろ』って言ってくれた時に、素直に言う事を聞いていれば、こんな事にはなかったかもしれない」
冬夜はゆるりと首を左右に振り、春佳の謝罪を否定する。
「……あの時の春佳は物事を判断できる状態になかった。謝る必要はない」
彼は穏やかな声で言うと、妹の頬を両手で包み、親指で唇の輪郭を辿った。
「……俺でいいのか?」
そう言われ、春佳は破顔して返事をした。
「お兄ちゃんじゃないと嫌だよ」
そう答えた春佳は、「私たち、不思議な会話をしてるな」と思った。
自分たちは本当の兄妹ではないのに、いまだにお互いを兄妹として接している。
愛しても問題ないと知って安心したはずなのに、二人の心の中には十九年続いた兄妹としての絆があった。
――私たちは、どこまでも一つ掛け違えたままだ。
心の中で呟いた春佳は、頬に添えられた兄の手に己のそれを重ねる。
そして胸を高鳴らせて願った。
「キス、して」
灯り一つない海岸にいると、あまりに暗くて互いの顔の判別がつかない。
それでも冬夜が優しく笑ったのが、気配で分かった。
彼は指で春佳の唇の位置を確認したあと、身を屈めて優しい口づけをしてきた。
ふわり、と体の中で最も柔らかい部分が触れ合い、冬夜の温もりを己の唇で感じる。
――これが、キス。
想像していたより百倍優しくて静かな愛情表現に、春佳の心がふるりと震えた。
同時に、これが最期のキスになると思うと、悲しくて惜しくて、涙を零してしまった。
「……なんで泣くんだよ」
指に熱い涙を感じた冬夜は、顔を少し離して苦笑混じりに尋ねる。
「……もったいなくて。こんなに素敵なもの、私、ずっと知らなかった」
「……俺も知らなかったよ」
予想外の事を言われた春佳は顔を上げ、信じられないと目を瞬かせて言った。
「……嘘……」
確かに恋人はいなかったかもしれないが、モテる兄の事だからキスやセックスは経験済みなのだと思っていた。
すると冬夜はおかしそうに笑って言う。
「嘘じゃないよ。……確かにモテていたかもしれないけど、俺は父親にレイプされた男だ。それを知ればどんな女性だって引いて、逃げていく。学生の時に一度だけ付き合った事があったけど、本当の事を言ったら逃げられた。だから誰の事も、もう信じないと決めていたんだ」
冬夜の心に刻まれた深い傷は、彼から男として生きる事すら奪っていた。
「真剣に探せば、そんな俺でもいいという人を見つけられるかもしれない。でも傷付くかもしれないのに、恋をしては裏切られて……と繰り返す勇気はなかった」
春佳はそんな兄の手を、おずおずと握った。
「……私は、……拒絶しないよ。お兄ちゃんを全部受け入れるよ」
冬夜はしばし黙ったあと、妹の華奢な手を握り返してその細い指を辿る。
そして、試すように言った。
「……じゃあ、俺の最期の願いも聞いてくれるか? ……好きな女を抱いてみたい」
潮騒に混じって冬夜の熱を帯びた声が耳朶をかすり、春佳は胸を高鳴らせる。
――嘘みたい。
決して結ばれる事はないと思っていたのに、いま自分は冬夜に告白し、兄もまた自分を求めてくれている。
――どうせ死ぬなら、なんだってできる。
そう思った春佳は、胸の奥に覚悟を宿して頷いた。
「……いいよ。……私も、経験してみたい」
そっと兄の胸板に手を置いて返事をすると、温かな胸の奥からドクッドクッと彼の命の鼓動が伝わってきた。
「ありがとう」
冬夜は礼を言い、微かに震える息を吐いたあと、春佳の手を握ったまま海とは反対方向に歩き始めた。
**
彼女の答えは、追い詰められた冬夜にこの上ない安らぎを与えた。
――もう、何も考えたくない。
二人とも、思っている事は同じだ。
――ならばこのまま……。
一歩ずつ海に向かって歩くたび、静謐な死が包んでくるように思える。
覚悟を胸にキュッと冬夜の手を握り返した時、春佳はある事を思いついた。
「……ねぇ」
「ん?」
冬夜は返事をし、歩みを止める。
「私、死ぬ前に好きな人とキスをしてみたい」
それはずっと胸に宿していた小さな願いだ。
今までは冬夜を実の兄だと思っていたから、決して叶わない望みだと思っていた。
けれど、今なら――。
「私、ずっとお兄ちゃんが好きだった。……優しくて格好良くて、何でもできて、自慢の人で、憧れだった」
冬夜は妹の告白を黙って聞く。
「でも〝お兄ちゃん〟だから、自分の想いは〝憧れ〟だと思うようにした。血の繋がった兄に惹かれてるなんて言ったら、頭がおかしいと思われてしまう。でも友達がお兄ちゃんを『素敵だね』って言うたび、嬉しいはずなのに嫉妬していた。でも嫉妬するのは間違えているから、『凡庸な自分は完璧な兄にコンプレックスを抱いている』と置き換えていたの」
そこまで言い、春佳は溜め息混じりに笑った。
「けど、今なら素直に異性として好きだって言える」
けれどもう、何もかも遅すぎた。
「ごめんね。お兄ちゃんが『あの家を出ろ』って言ってくれた時に、素直に言う事を聞いていれば、こんな事にはなかったかもしれない」
冬夜はゆるりと首を左右に振り、春佳の謝罪を否定する。
「……あの時の春佳は物事を判断できる状態になかった。謝る必要はない」
彼は穏やかな声で言うと、妹の頬を両手で包み、親指で唇の輪郭を辿った。
「……俺でいいのか?」
そう言われ、春佳は破顔して返事をした。
「お兄ちゃんじゃないと嫌だよ」
そう答えた春佳は、「私たち、不思議な会話をしてるな」と思った。
自分たちは本当の兄妹ではないのに、いまだにお互いを兄妹として接している。
愛しても問題ないと知って安心したはずなのに、二人の心の中には十九年続いた兄妹としての絆があった。
――私たちは、どこまでも一つ掛け違えたままだ。
心の中で呟いた春佳は、頬に添えられた兄の手に己のそれを重ねる。
そして胸を高鳴らせて願った。
「キス、して」
灯り一つない海岸にいると、あまりに暗くて互いの顔の判別がつかない。
それでも冬夜が優しく笑ったのが、気配で分かった。
彼は指で春佳の唇の位置を確認したあと、身を屈めて優しい口づけをしてきた。
ふわり、と体の中で最も柔らかい部分が触れ合い、冬夜の温もりを己の唇で感じる。
――これが、キス。
想像していたより百倍優しくて静かな愛情表現に、春佳の心がふるりと震えた。
同時に、これが最期のキスになると思うと、悲しくて惜しくて、涙を零してしまった。
「……なんで泣くんだよ」
指に熱い涙を感じた冬夜は、顔を少し離して苦笑混じりに尋ねる。
「……もったいなくて。こんなに素敵なもの、私、ずっと知らなかった」
「……俺も知らなかったよ」
予想外の事を言われた春佳は顔を上げ、信じられないと目を瞬かせて言った。
「……嘘……」
確かに恋人はいなかったかもしれないが、モテる兄の事だからキスやセックスは経験済みなのだと思っていた。
すると冬夜はおかしそうに笑って言う。
「嘘じゃないよ。……確かにモテていたかもしれないけど、俺は父親にレイプされた男だ。それを知ればどんな女性だって引いて、逃げていく。学生の時に一度だけ付き合った事があったけど、本当の事を言ったら逃げられた。だから誰の事も、もう信じないと決めていたんだ」
冬夜の心に刻まれた深い傷は、彼から男として生きる事すら奪っていた。
「真剣に探せば、そんな俺でもいいという人を見つけられるかもしれない。でも傷付くかもしれないのに、恋をしては裏切られて……と繰り返す勇気はなかった」
春佳はそんな兄の手を、おずおずと握った。
「……私は、……拒絶しないよ。お兄ちゃんを全部受け入れるよ」
冬夜はしばし黙ったあと、妹の華奢な手を握り返してその細い指を辿る。
そして、試すように言った。
「……じゃあ、俺の最期の願いも聞いてくれるか? ……好きな女を抱いてみたい」
潮騒に混じって冬夜の熱を帯びた声が耳朶をかすり、春佳は胸を高鳴らせる。
――嘘みたい。
決して結ばれる事はないと思っていたのに、いま自分は冬夜に告白し、兄もまた自分を求めてくれている。
――どうせ死ぬなら、なんだってできる。
そう思った春佳は、胸の奥に覚悟を宿して頷いた。
「……いいよ。……私も、経験してみたい」
そっと兄の胸板に手を置いて返事をすると、温かな胸の奥からドクッドクッと彼の命の鼓動が伝わってきた。
「ありがとう」
冬夜は礼を言い、微かに震える息を吐いたあと、春佳の手を握ったまま海とは反対方向に歩き始めた。
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