5倍に薄める幸せ

DILUTION 4.6 火消し

 幸人との共同生活から3日後。
「皆!今日から一緒に働くことになった夢野澪さんだ。よろしくね」
「夢野澪です!よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
 私は彼に頼み込み、会社に復帰するまでの期間は余白で働かせてもらうことになった。飲食店で働くのは初めてで不安だけど、彼は『余白だから心配するな』と相変わらず余白を強調する。『店で起きたことは俺の責任だし、余白だから失敗することで積み重ねが埋まる』なんて哲学者みたいに語るけど、真剣な表情で言われれば自然と安心していた。
「まずやってもらうことは、とにかく笑顔でいらっしゃいませ!ありがとうございました!余裕があったら、余白が少しでも埋まったらお幸せです……って言ってみてほしい」
 ふむふむ……余白という店名は彼が考えたのかな?最初に聞いたときは試験用紙の余白しか浮かばなかった。そんなことを考えていたらもうオープンの時間じゃん!
 カランカラン……
「いらっしゃいませ!」
「いぃ……いらっしゃいませ!」
 朝8時オープンだから来店されるお客様は私服の人が多い印象。普段なら朝礼の時間だな。
「2名様ご来店です!」
 彼、ホールをやりながらキッチンも回すなんて熟練者としか言いようがないな……初めて見た仕事中の真剣な表情。支配愛が薄まる中で彼に対する好き度が増していく。カウンター4卓でテーブル席は5卓。じゃなきゃワンオペのときに回せないわね……よし!彼の真剣な姿を見ていたら私も燃えてきた!元々営業職やっていたし、きっとできるはず!
「いらっしゃいませ!」
 やはり頑なに腕まくりをしない彼を見ると気になってしまう。見られてはいけないことはわかっているけど、絶対に仕事しづらいに決まっている。
「これ8番にお願い!」
 カレーライスこれで普通盛り!?ライス大盛り無料に驚いているのに、普通盛りでもけっこうなボリューム……スパイスのいい匂いが香る。
「ふぅ……けっこうしんどいな……」
 1か月の入院でほとんど外に出ていなかったことが仇になり、接客や配膳が重なると体力がかなり奪われていく。
「澪、水分補給してきな?」
「ありがとう……ふぅ~……」
 忙しくなっても気遣いを忘れない。気づいたらもう12時を過ぎていた。あっという間に休憩時間に。
「はぁ~……キツかったぁ……!」
「お疲れさん」
 13時からディナータイムの17時頃までは基本的に暇な時間みたいだ。
「ほらっ……」
 オムライスだ。ケチャップはかなり控えめにかかっている。まかないあるんだ……?
「まあ一品だけね。食べなきゃ出せる元気も出せないしな」
「でもあんなボリュームで安く提供してさ、赤字にならないの?」
「うちは自家製だし産地直送だから、そこそこ儲かってんだ」
「だから大盛り無料なんだね?」
「余白は喫茶店で出しているけど、感覚的にはごはんカフェみたいな感じかな」
 珈琲を飲んでリラックスしながらしっかりと食事ができる。
「基本酔っぱらいに遭遇する率は低いし、働きやすさも余白の自慢かな」
 酔っぱらいに遭遇しないのは強いわね……まだ勤めているときに会社の飲み会でものすごくガラの悪い人がいたな……
「……」
「どうしたの?」
 なぜか急に険しい表情になる彼。
「ん?いや、何でもない……」
 私が唯一鼻につく彼の嫌いなところ……
 ガシッ……!
「おい何する……!?」
「それはこっちの台詞よ!何こそこそケータイ見て隠してんのよ……」
 いやらしい動画でも観ているのかよ……だが確認した途端に彼の表情の意味が一瞬でわかることになる。
「何よこれ……!?」
「……」
 ヘリオス・ジャパン、生存者の女性が確認されているだけで2人が、殺害された……!
「い……いやぁー……!」
「澪!」
 私は急激な不安感で吐き気を催した。嫌だ怖い……!私も生存者の一人……
「だから見せたくなかったんだ……」
「嫌だ……嫌だ嫌だ……!死にたくない……!」
「澪……!落ち着け……」
 殺害して回っている……まさか橘が!?
「心配するな。君はもう誰にも傷つけさせない」
「何自信満々に言ってんのよ!」
「俺の余白には君の命が入っている。だから心配するな」
 確かに彼の声は優しいけど、今の私の耳にはまるで入らなかった。

 ボトボト……ゴクゴク……
「ウップ……」
 幸人のせいで全てを失った……これまで築き上げてきた地位に権力、財産も、何もかも……今じゃアパートに移り住んで酒に溺れる毎日だ。いや、俺は自分から失わせる行動をした。だから幸人のことを恨んでいない……澪は確かに幸人の恋人になった。だがそれは結果だ。俺は素直に受け止めた。それでも、俺にはまだやることがある。幸人とは奪い合いでも殺し合いでもない、正々堂々の喧嘩で決着をつけること……だが最近性懲りもない奴が、逆恨みやらわけのわからねぇことをしているようだが……

 2日後。
「今日はお店休むの?」
「うん。申し訳ないが臨時休業だ」
 俺はこのとき、何とも言えない胸騒ぎを感じていた。
「橘が犯人じゃないって、本当に言い切れるの?」
 澪は信じてくれないが、俺にはアイツが犯人ではないと100%と言い切れる。あのとき約束したんだ……それに約束したときのアイツは、男の中の男と言える目をしていた。
「でも今回は信じないわ……アイツを生かしたのって、あなたなんだから……」
 俺は復讐人でもなければ警察でもない。俺に人を裁く権利はない。けれど、今回の一件は俺も関わった。救助したなど格好良いことは言えないけれど、俺に『助けて』と訴えた時点で、俺の余白には助けを求める声が入った。
「……」
「やっぱりまだ心配か?」
「当たり前でしょ……」
 澪はまだサバイバーズ・ギルトを克服できていない。店を休みにした理由は安全のためでもあるが、何より大切なことは、澪の願いを叶えてあげる大切な時間だ。
「ところで澪、スニーカーは履いたか?」

 何でわざわざスニーカーを履かせたのよ?
 ガシッ……!
「何よ?ちょちょ……ちょっとぉ……!」
「迷う暇があったら走れ……」
「い……いきなり走るの……!?」
 私の問いかけに無視するように腕を引っ張る。少し走っただけで息が切れそうなのに、自然と走れてしまう。
「ちょっと待ってよ……!」
「悪いな……公園の方がテンションが上がるんだ!」
 後にわかったことだけど、お店にいるよりも少し離れた方が安心と考えていたみたい。
「待ってよ……!目立つし恥ずかしいよ!」
 周りにはママさんと過ごすちびっ子ちゃんもいるのよ!?こんなところで筋トレするの!
「言っただろ?澪の願いを叶えるって……その一つがダイエット。余白を埋めた次は自己肯定感を高めることだ。じゃあまずは、懸垂だ……」
 いやあなただってデカい身体で懸垂ができるのかよ!
「補助つきだ!いち、にっ、さんで上げるぞ!」
 言っておきながら私のお腹ばっかり触るし……バカップルみたいでちびっ子たちの視線が痛いっての……!?その後も幸人の熱血指導は続き、けど意外にも彼が課すダイエットメニューは走ったりする種目ではなかった。
「これ一番キツいわよ……バーピーってやつ?」
 彼は腕立て伏せも軽々とするが私は無理だ。そもそも腕立て伏せができたことがない。
「よぉし!今日はこれで以上だ」
 バタンッ……
 もう無理、立てない……まだ1月で寒いのに汗がかなり出た。
「澪!風邪引いちゃうぞ!ほら立って……」
「ちょっと休ませてよ……」
 確かに汗が服に染みついて寒いが、足がガタガタと震える。
「よいしょ……」
「ちょっと、恥ずかしいじゃん!」
「自分で立たないからだろ。風邪引かれちゃ困るんだよ」
 一瞬お姫様抱っこしてそのままおんぶへ移行。公園から余白までは徒歩圏内なんだけど……
「どうしたの?」
 チラチラ……
 何やらお店の周りをチラチラ見ている。やはり彼も心配なんだ。橘はもちろん、おそらく橘と関わった人間が私の居場所を知っている。
 バタンッ……
「大丈夫そうだった?」
「とりあえずな」
 倒産したとはいえヘリオス・ジャパンは超大手の外資系企業だ。金を持っていた人間が敵なのか、それともなけなしの金で雇われたチンピラが敵なのかわからない。そう考えていたらなぜか――
「脚出して」
「今は勘弁して……絶対臭いでしょ?」
「何言ってんだ?マッサージするだけだよ」
 もみもみ……グリグリ……
「あっ、気持ちぃ……」
 さっきまで痛かったのが嘘みたいに解れていく……そういえば彼が課したメニューはスクワット系の脚トレは控えめだった。後で教えてくれたのが、筋肉痛が酷いといざというときに逃げられないからだという。
「今日は出前でも取るか」
「ん?」
 今日は食材がないのかな?出前を取るなんて珍しい。
「澪ってウーバーとか入れてる?」
「出前館ならあるよ」
「じゃあそこから、澪の好きなもの頼んでくれないか?」
 彼に言われるがまま吉野家の牛丼を選択。
「俺は超特盛」
「……」
「別に食べたいもの食べていいんだよ?俺も食べながら痩せたから」
 当時の彼は体格に似合う食べっぷりだった。そう言われた私は牛黒カレーを選ぶ。
「注文したよ。払っといたから私の奢りで」
「いや俺の奢りだ。俺の方が金額大きいし」
「じゃあこれは、幸人の指導料も含める!でいいかな?」
「ハハハ……まあそう言うなら。よし、次は肩揉んでやる」
 気持ちいい……今さら思ったけれど、彼こそ私の手に入れたかった理想の恋人と。私のことをクレオパトラと言うなら、彼は何だろう……強いて言えば、英雄っぽくナポレオン?
 スリスリ……
「……」
「……?ねぇちょっと、肩から段々下に下がってってない?」
「うん?気のせいだよ」
 肩を揉む彼の手が胸に下がっていく。
「キャ……!ねぇちょっと〜」
「バレたか」
「もぉ〜!」
 チュ……!
 言葉では言い表せない幸せ。次は私が狙われるかもしれない不安。でも幸人がいれば大丈夫。不器用だけど、強くて優しいから。
 ピンポーン!
「来たか」
「?」
 また……険しい表情で階段を降りたら私も気になって仕方がない。私も彼に続いた。すると――
「あれ?私置き配にしなかったはずなのに……」
 私は特に気にすることもなく置かれたお弁当を拾う。
「死ねぇ!」
「キャァ!?」
 驚いたのも束の間、配達員の男は既に……
「イテテ!イテテテテ……!?ちくしょう離せ!」
「誰だお前は?配達員がナイフ持っちゃってさぁ!」
「まさかあなた……わかってて出前頼んだの?」
「奴が教えてくれたんだ。犯人は配達員に紛れ込んでいるってな……」
 奴ってまさか橘のこと!?どういう風の吹き回しよ?
「で……お前は誰の差し金だ?誰からの命令だ!?」
 男の腕は既に真反対に曲がりそうなほど捻れている。
「社長……」
「何?」
「社長が、間垣社長……うわぁぁ〜!」
「なるほどな……」
 話を聞き終えた彼は手を離すが、それでも懲りない男は――
「ちくしょう!死ねぇ!」
 ドガァン……!
 顔面にパンチを喰らった男は数m吹き飛んだ!
「ググ……!」
「逃がしてよかったの?」
「どうせ長くは持たない。予想通りではあったけどな」
「社長だっけ?」
 私は社長を知らないけど、そこまでする奴だったの?
「でも何で、生存者の命を狙うの?」
「橘が生存者の名前をリークしたんだ。それで被害者たちが声を上げて会社が潰れた。もちろん社長からしたら面白い話じゃない……」
「ちょっと待ってよぉ~!じゃあ本当に、橘は今回の事件に関わりがないってこと?」
「うん。全然関係ない」
 確かにあの事件から会社の倒産まであっという間の出来事だった。まさかアイツがリークしているとは思わなかった。
「まっ、邪魔者はいなくなったし、チンして食べよっか」
「そうだね!」

 翌日。
「……」
「心配か?」
「うん」
 昨日は配達員に扮して殺しにかかってきた。今日は来店されたお客様が襲いかかってくるかもしれない。澪の不安はやはり拭えない。
「今日も忙しくなると思うけど、余白で物騒なことを俺が許すと思うか?」
「それは、許さないとわかっているけど」
「それだけで十分だ。余白は俺のテリトリーだからな」
 明日は我が身。というわけではないが、今日は目を光らせておいた方がいいだろう。お客様へのおもてなしもしっかり。
「いらっしゃいませ!」
 忙しくなるのはお昼どき。年始の休業を終え、仕事始めのサラリーマンたちが余白を埋めようとランチセットのオーダーが止まらない。
「ご注文お願いします!カツカレーランチとオムライスランチです!」
「はい了解!じゃあこれセットの白雪お願い!」
「りょーかい!」
 優秀な人がいると本当に助かる。もちろん澪だけではなく、一生懸命働いてくれる皆には本当に感謝だ。だが仕事にミスはつきもの。
「夢野さん!あちらのお客様のご注文お願い!」
「は……はい!」
 テーブルの片づけをこなしながらご注文をお伺いするのは意外にも難しいものだ。
「お〜い!俺の方も頼むよ!」
「はい!ただ今お伺いします……!」
 ツル……ガシャーン!
「あっ……!」
「おい!何やって……」
「申し訳ありません!すみませんでした……!」
 澪に視線が集まる。彼女は慌てた様子で割ってしまったお皿を拾う。
「大丈夫か?手で持ったら怪我するぞ……」
 ガシャ……ガシャ……
 怪我させてはいけない。ミスしたら慌てない、自分を責めないことが大事だ。
「ごめんなさい……」
「気にするな……失敗するのも余白を埋める一つだ」
「幸人……」
「なあオーナー、この人最近入った人か?」
「はい。今週から入った夢野さんです」
「夢野さんか。中々いい笑顔じゃないか」
「ありがとうございます!」
 だから心配いらないと言っただろ?しつこいくらい余白だから安心しろと言ったが、
「……?」
 誰かに見られている?皿を片づけながら、視線を感じる方向へ目を向ける。
「……」
 その視線は店の外からだった。橘……すると俺に話があるのか、小さく手招きをする。
「悪い澪……ちょっとだけ店任せてもいいか?」
「どうしたの?」
「ちょっとな。ごめん、すぐ戻るから」
「はーい」
 カランカラン……
「どうした?あんたから来るなんて珍しいじゃないか?」
「わかっているだろ?俺が何を言いに来たか」
「ああ。生存者が次々と殺された事件だろ?」
「間垣の仕業ってこともわかるな……?」
「ああ……」
 奴が微笑みを浮かべる。『俺は俺でやるべきことがある』と言っていたが、事件を追っているのか?奴はAQUASTYLE+の真相を認め、騙して売りつけた女性の名前とプロフィール、亡くなった森田美奈子さんのことも全てリークしている。自分から全てを手放した男だ。当然間垣にとって面白くない。
「昨日間垣が美月を殺そうと病院に乗り込んでね……俺が少し圧をかけただけで逃げやがったが……」
「やはり小心者だったわけか?」
「だが油断しない方がいい。あんたも後ろには気をつけておくんだな……」
 トン……
「待て」
「何だ?」
「美月さんは無事か?」
「無事だよ。ただ、一生歩けないみたいだ……」
 そう語る奴の目は非常に哀れんでいるようだった。あくまで奴が失ったのは社会的なもので、美月さんは一生車椅子生活というハンデを背負っている。
「そうだ、お前との決着は必ずつける……せいぜいマヌケな間垣に殺されないでくれよ……お前はマヌケ善人だからな」
「フン……ならあんたは特等席で見ていてくれ。間垣の破滅をな」
 そう告げると奴はフードを目深に被って去って行った。やはり身を隠す必要があるのだろう。そう思いながら店に戻り――
「ごめんごめん!」
「も〜長いですよ!」
 しまった忙しい時間帯に空けてしまった……だが切り替えてバリバリ働こう!
「お待たせ」
「遅い!」
「ごめんごめん……あっそうだ!今日は白夜の淹れ方を教えてやる」
「私に?でもあれ、幸人しか作れないんじゃないの?」
「あと君な」
 俺はさり気なく澪の手を握ると、そのまま見つめ合った。
「新メニュー考えたんだ。その名も、澪」
「私じゃん……付き合ってんのバレるよ」
「じゃあ……ミオミオ?」
「だから一緒じゃん……!」
 珈琲の淹れ方を教えるはずなのに、結局くだらない会話が続いてしまった。こういう日も悪くないな。
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