5倍に薄める幸せ

DILUTION 5 2人のY

 翌月。
「よし完成だ!」
「新メニュー?」
「受験生に向けた炭酸強めドリンク、集中レモネードってとこかな?ちょっと飲んでみてくれないか?」
 ゴク……
 飲んだ瞬間舌を突き刺すような炭酸の刺激。しかも、あの酸っぱすぎるグミを食べたようなビリビリ感。これは集中力が上がりそう……
「あともう一つ、これは絶対合格ラテだ。ちょっとブドウ糖入れてみてな、集中力上げられるぞ?」
 相変わらず幸人はネーミングセンスだけないわね?聞けば看板メニューの白夜もお母さんが考えたみたい。初めて知ったことだが、お母さんの千里さんも洋食屋を経営していたシェフだったとか。私のお母さんの料理も美味しかったけど、幸人ったら、小さい頃から毎日美味しいもの食べられたなんて羨ましい……!
「そういえばその時計、自分で買ったの?」
 彼がしている時計はHamilton。ネット通販で見たことあったけど、安くても10万円はするはず。
「これ、母さんからの最後のプレゼントだったんだ……」
「お母さんから?」
「大事にしてきたけどやっぱり色んなとこにぶつけて傷ついたな……命くらい大切にしてきた」
 彼は高校生の頃から腕時計をつけていた。何かもう、身体の一部みたいね。
「俺あんまり派手なもの好きじゃないからさ」
「でも真っ黒は、余白に合っていないような気もするけど……?」
「シンプル・イズ・ベストってやつだな」
 ブー……ブー……
「……」
「誰から?」
「アイツだ……」
 まさか橘?念のため私は着信拒否をしていなかったけど、幸人にかけてくるってことは、もしかして?
「もしもし……」
 私は思わず電話口に耳を近づけた。
「やっと幸せになれたか?うちの社長が申し訳なかったな……」
「わざわざ妬みの連絡か?負け惜しみする奴じゃないだろあんたは?」
「相変わらず無駄口が多い……まあ長話もあれだ。俺の方もちょうど終わったとこでな……」
 終わった?アイツが何をしていたの?
「ようやくか……それで?ご希望の日は?こっちは店をいきなり押しかけてもかまわないが……」
「フン……俺がそんな狡猾な真似をすると思うな……明日、俺が指定した場所に来てもらう……じゃあな」
 プツッ……
「ごめんな……」
「やっぱり、行くつもりなの?」
「ああ……」
 男には、女にはわからない友情、ライバル心、嫉妬、敵対意識がある。負の感情を多く抱えることはよくわかる。鏡幸人と橘優真、2人のYを見ればよりわかる。
「それより、アイツ終わった……なんて言ってたけど、何なの?」
「ヘリオス・ジャパンが跡形もなく潰されたらしい。あと、残された社員のほとんどが、再就職したみたいだ」
 2000人以上いた社員さんがほとんど再就職したの!?アイツったら、善人には見えないけど、やるときはちゃんとやるじゃない……!悔しいけど、少しだけ見直した。
 シャー……ポトポト……
「行ってきな……」
「えっ?」
「よくわからないけど、これがあなたたちの友情とライバル心じゃないのかな?私は、『澪』淹れて待ってるから……」
「澪……」
「ただ、負けないこと約束ね?」
「すまないな……」
 私は橘優真という濃縮液に支配され、鏡幸人という希釈液に救われた。まさか知り合い同士だとわかったときは驚いたけど、私の知らないところで、奇妙な関係を築いていたんだ……?
「よし!じゃあ明日は店番、私に任せて!」
「そんな……大変だぞ?」
「大丈夫よ!幸人が1から10まで教えてくれたじゃない?だから心配いらないわ!」
 初めての店番ということは、私がほぼワンオペでお店を回すこと。今日まで幸人に守ってもらったから、どうしても私は責任感のある仕事がしたい!
「わかった……何かあったら連絡――」
「しないわ!あなたにはあなたのやることがあるでしょ?」
「それは……」
「私のこと愛してるなら、信じて……私もあなたのことを信じるから……絶対に勝つって」
「澪……」
「さあ!今日はあなたにしぃっかり教えてもらわなきゃ!あら早速お客様かな?」
 カランカラン……
「いらっしゃいませ!」
「どうぞこちらへ!」
 私の社会復帰はまだまだこれから!これからもご指導よろしくね、幸人!

 翌日。俺は橘に指定された場所へ向かっていた。
 コツ……コツ……
 そこは母さんが入院していた大河原病院。今は使われていない6階の旧リハビリ病棟。閉じたカーテンから昼間の明るい光が差し込む。
「橘……」
「来たか……約束はちゃんと守る男のようだな?」
「それはあんたも同じだろ?」
 奴は俺との戦いで一度負けてから、残された社員たちの社会復帰を支援し、澪発案のAQUASTYLEを偽商品に仕立てて売った名誉毀損と業務妨害を認めた。奴は既に罪を償っている……それでも、まだ足りない。
「幸人、時間をくれたことには素直に感謝させてくれ……」
「……」
「だが何で、俺を信じたんだ?俺が逃げるかもしれないとは考えなかったのか?」
 確かにその可能性はあったのかもしれない。それ以上に俺の信じる力の方が強かった。
「そんなことはどうでもいい。大事なのは今だろ……?あんたが言っていた、男同士の決着をつける前に愚問はいらない」
 すると奴はスマホを高速でタップする。一体何を?
「あと10分でサツが来る。それまでの時間、有意義に過ごそうじゃないか?戦うことでな……」
「やはり俺たちは、戦うことでしか……わかり合えないようだな?」
 10分……えらい短い時間にしてくれたな?でもいいぜ……!最後くらい、俺と楽しい喧嘩しようじゃないか!
「覚悟はいいな?幸人……」
「望むところだ……」
「いくぞ……」
「ハァー!」

「よし、じゃあ今日はオーナーがいませんから、私たちの全力をぶつけちゃいましょう!」
「はい!」
「うん!元気で笑顔、挨拶を忘れない!」
 アルバイトなのになぜか私はリーダー気分になっていた。口では言えないけど、私は鏡幸人の未来の奥さんだから。彼がいない間は、私が彼の味を守る。
 カランカラン……
「いらっしゃいませ!カウンターどうぞ!」
「おお夢野ちゃん!今日も頑張ってんねぇ?」
「いえいえ!今日は何にしますか?」
「その新作の澪と、シーフードドリアランチちょうだい!」
「かしこまりました!」
 緊張していても笑顔……そして元気よく挨拶すること!今当たり前に見せている笑顔でも、幸人がいなかったら見せられていなかったかもしれない。私が守れるものは彼の味だけじゃない。笑顔だって、私が守れるんだ!
「お待たせしました!シーフードドリアランチと澪です!」
「おお!アッツアツゥ……!」
「フフフ……!」
「お会計お願いします!」
「はい!ありがとうございます!」
 余白には、けっこうガテン系で威圧的な雰囲気のお客様もいるけど、皆様本当に優しくて最高。ドリアをよく頼むこのお客様も、最初に見たときは正直ビビってしまった。
「夢野さん!5番に4名様ご来店です!」
「いらっしゃいませ!お待たせしました、こちらへどうぞ!」
 やっぱり忙しいと時間が本当に早いわね……こんなに忙しいお店を彼は一人で回していたなんて尊敬する。そんなとき……
 バシャッ……!
「あっちぃ!」
 高校生アルバイトの坂井君が珈琲をお客様にこぼしてしまった!
「あっちぃなおい……!」
「申し訳ありません……!すみません……すみません……」
 初めてのアルバイトなのかな?手の震えが緊張を物語っている。
「もういいよ……」
「すみません……すみません……!」
 大丈夫と言われても、坂井君はお客様の洋服を拭き続ける。
 トントン……
「……!?」
「惜しかったね……落ち込まない!次よ次!」
「……」
「火傷されてませんか?」
「大丈夫だ……てかな、失敗くらいで落ち込むなよ?男だろ?」
 高校生ならまだ働きたて。ミスはやっぱり怖いわよね……?
「じゃあ坂井君!あなたはキッチンの方お願いしよっかな!」
「はい……」
「落ち込むのは仕方ないけど、私たちはあなたを信じてるから、あなたはできる人なんだから!」
「……はい!」
「お待たせしました、ご注文は?」
「あの男の子、ガッツあるじゃないか?伸びる男だぜあれは」
「ありがとうございます!余白は優秀な人がいて本当に助かってます!」
「俺も余白があってくれて本当助かってるよ!」
 その言葉が私の励みになる。支配され続けた私の心は、辛いことと楽しいことが、今ある幸せにつなげてくれた。
「いらっしゃいませ!」
「また来ちゃった!いつもの、ちょうだい!」
「かしこまりました!」

 ドスッ……!
「ウゥ……!ハァー!」
 ドスッ……!
「ギィ……!オラァー!」
 限られた10分間の中で、俺たちの死闘が繰り広げられる。手加減も小細工もなし……全力の殴り合いが俺たちの肉体を血で染めていく。
「ガァ……!やるな……」
「あんたもな……!あのときより強くなってんじゃねぇか……」
「俺が無駄に過ごしたと思うか……?グフッ……!」
「橘……いや優真!まだ終わりじゃねぇよな?」
「当然だろ……」
 俺たちの戦いは10分だけで収まるのか?そう思ったが既にボロボロだ。
「決着をつけるか……」
「ああ……!」
「ハァー……!」
「ウワァー……!」
 次は取っ組み合いか?悪いがフィジカルも体重も俺の方が上だ。しかし、奴は意外な行動に出る……
「グゥ……!」
「……!何……!?」
 バリィーン……!
「ウゥ……!?」
 バリィーン……!ドシャ……!
 何と奴は俺の身体を持ち上げ、そのまま窓ガラスを突き破るように飛び込んだのだ!だが落下する最中に優真の身体の方が下になり、下敷きになるように落下した。
「ガ……!」
 俺は優真を庇うように手を入れたことで、俺の両手首は完全に骨折してしまった。
「お前の優しさが仇に……グブゥ……!なったようだな……?」
 俺はパンチが打てなくなるくらい動かせなくなった。それがチャンスだと知った優真が容赦ない連撃を浴びせる……
 ドスッドスッドス……!
 両手はちぎれるような痛み、殴られ続けるダメージが全身を襲う。勝敗はもう見え始めていた。もう俺は、一生珈琲を淹れられないのか……?澪を抱くことはできないのか……?そんなの嫌だ……!俺は優真を救い、澪を救うんだ……!

 ――母さんにがんが発覚する前までは、本当に充実した毎日だったな……澪と付き合っていた頃でもあったっけか……
「うん……もうちょっと塩胡椒足してもいいかな?」
「本当に?じゃあ――」
「待って!塩胡椒は一箇所に振りかけるんじゃなくて、こう周りにもかけるようにするの。そうすれば味が染み込むから!」
 今じゃ余白の看板メニュー『ペペロン焼きそば』。初めて教わったとき、確か1年ぶりに実家に帰ったときだったか?
 ジュー……
「うん!上手!麺のほぐし方うまくなったじゃん?」
「そうか……?」
 母さんの教え方は、厳しくもあって優しかったな……当時母さんが経営する洋食屋は『灯火』。余白の店名だけは俺がつけた。灯火がなくなったからこそ、誰かの心を休める余白になりたい……なんて考えたのかな?
「うん!バッチリね!明日は母さん自慢のミネストローネ教えてあげるから!」
「あんなの俺なんかが超えられないよ……」
「最初から諦めるな……!澪ちゃんに食べてもらいたいでしょ?」
「何で澪のこと知ってんだよ……」
「料理は好きな人だけじゃなくて、色んな人を幸せにする力があるの!高級だとかただ美味しいんじゃなくて、いつまでも食べたい味が大事なの。それがわかんなかったら、ママの味は超えられないよ?」
「……わかったよ。相変わらず語ること多いぜ……」――

 いや!俺は生きている限り料理で人を幸せにしたい……!澪をまた抱きたい……!今は痛くても、永遠に続くなんてことはない。俺は必ず、返り咲くんだ!
「ウウォー……!」
 俺は痛みを無視して右拳に力を込めた。
「……!?」
「サァー……!」
 ドゴォーン……!
「ガバァ……!(まだそんな力を……!?)」
「もう一発ダァ……!」
 ドガァーン……!
「グバァ……!?」
 俺のパンチを喰らった優真はよろよろしたように立つ。魂の乗った一撃が、俺の勝利をつないだ瞬間だった。
「優真……俺の粘り勝ちだ……!」
「……幸人……!」
「サァー……!」
 ドガァーン……バタンッ……
「クゥ……信じられん……」
「はぁ……はぁ……」
 優真は完全に倒れた。俺も限界を迎え、その場で膝をついた。
 ウゥー……ウゥー……!
「ハハハ……時間切れ……のようだな……」
「優真……」
 どうやら、俺たちの戦いは10分経つ前に終わったようだ。パトカーのサイレンが遠くから迫ってくる。病院の玄関前、それも母さんが入院していた病院。それに優真が勤めていた元職場。過去を背負う優真と未来を背負う俺。だからこの場所を選んだのか?
 ピーポーピーポー……!バンッ……
「橘優真!一連の傷害、監禁、業務妨害事件の容疑で逮捕する!」
「ようやく……終わったか……」
 ガチャリ……
「立て……」
 遂に優真はヘリオス・ジャパン事件の主犯として逮捕された。最後まで厄介な奴だったが、どこか憎めない男は大人しく警察の指示に従った。
「鏡幸人……あんたもこりゃ過剰防衛だ。署まで来てもらう……」
「ですよねぇ……?」
 俺もお縄になってしまったが、優真は刑務所で罪を償うことを選択した。澪を含めた女性たちを騙した罪、違法風俗店の経営。傷害や過失致死など、罪は重くなるかもしれない……それでも俺は、優真のことを信じたい。
「お前はやっぱり、最後までマヌケ善人だったな……珈琲淹れる手を犠牲にしやがって……」
「そうだな……確かに珈琲淹れる手ではあるが、人を守る手もあるんでな……それに、使えなければリハビリで治せばいい」
「さすがだ……」
「だから優真……!あんたもきちんと罪を償って、しっかり戻ってこい……」
「フン……」
「時間だ……さあ歩け」
「あんたもな鏡……全く余白のオーナーも何やってんだよ……?出たら食わせろよ?」
 見たことがある顔だと思ったが、やはり合っていた。カツカレーを食べに来てくれた若いお客様だ。
「お客様でしたか?」
「あの辛いカレーがたまんなく好きなんだよ……」
「了解です……次はもっと辛くしましょう?美味しいですから」
 刑事さんは手の痛みを察したのか、手錠をかけることはなかった。そして優真がパトカーに乗せられる寸前のとき。
「幸人!」
「……?」
「ありがとな……」
「フン……あんたこそありがとな!」
「ほら行くぞ……」
 バンッ……ブーン……

 その日の夜。
「ありがとうございました!」
「また来るよ!」
 カランカラン……
 結局、今日は帰って来なかったな……私はふと店内のテレビをつけてみる。
「速報です。本日夕方、ヘリオス・ジャパン元専務、橘優真容疑者が、警察に自首しました。橘容疑者はこれまで、複数の女性を――」
「終わったのね……」
 最後は自首したんだ……好きにはなれない男だったけど、最後の男らしさは、少しばかり見直してもいいかな?まあ幸人が帰って来なかったのは、どうせ妙なことに首を突っ込んだに違いない……
 カランカラン……
「いらっしゃいませ……部長!?お久しぶりです、どうぞ!」
「お邪魔するよ。よいしょ……」
 何かいつもの部長じゃないな……暗い顔をしている。
「どうしたんですか?何か暗いですよ?」
「実はなぁ……」
「なになに!?」
 ヤベ……上司なのにタメ口になってしまった……!
「実はな、ルミエール商事の社長が辞任したんだ……それでな」
「社長が辞任ですか……!?」
 ちょっと待って……!辞任ということは社長の座を引き継ぐ人は誰よ!?まさか会社の存続自体危ういとか……?
「それで、ルミエール商事はどうなるんですか……?」
「俺がいきなり部長から、社長になることが決まっちまったんだよ……」
「えぇー……!?」
 あの山本部長が、いきなり社長!?
「もう引き継ぎやら何やらでボロボロだよ……重すぎるっての……!」
「……」
「やっぱり、優秀な部下が一人いないだけでキツいよ……」
 チラッ……
 まさか私のこと……?確かに、会社に復帰するまでの期間は余白で働いているけど……
「まっ!愚痴っててもしょうがねぇ……!そうだ早速、澪とペペロン焼きそば大盛り頼むよ!」
「かしこまりました!愛情込めて作っちゃいますね!」
「おう!」
 山本さんが社長か……私には納得できる。だって、山本さんが一番部下想いの熱血上司だから!
「お待たせしました!ペペロン焼きそば大盛り、あと澪です!」
「美味そぉ……!いただきます!」
 スルスル……
「ああ美味っ……!」
 ニンニクは疲れた身体にピッタリと聞いたことがあった。この一品で元気を与えられたら嬉しいな……
「それと、この澪っての美味いな!よかったらこの、お持ち帰りのやつ買わせてくれないか?皆に飲ませたいんだ!」
「喜んで!」
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