5倍に薄める幸せ

DILUTION2.5 最高の1杯

 あの報せから翌日。
 バタバタバタ……!
「伶君……!」
 朝起きると着信の嵐が一気に眠気を覚ました。知らされたのは伶君の訃報……いくら俺が守ると決意したって、実際守れなかったのが突きつけられた厳しい現実。
「伶君……」
「お兄ちゃん……うぅぅ……!」
 伶君が一体何をしたって言うんだ?誰よりも家族のことを大事にする良い子だったのに……!悪いことをやらかしすぎたのは絶対に、ヘリオス・ジャパンの若専務だろうが……なぜ若専務の仕業だと俺が断定できるのかだって?言っておくが俺の鼻は騙せない。俺が前に若専務から生臭い匂いを感じたことを話しただろう?あれは澪のAQUASTYLEをパクったAQUASTYLE+と全く同じ匂いの他、おまけに女の子の日と同じ匂いが感じられた。もし彼女といる時間が長くても、毎日酒池肉林を作るか浴びたりでもしないとまずつかない。それに昨日の強面が持っていた所持品にはヘリオス・ジャパン、若専務橘優真の名刺。
「鏡さん……」
「深沢さん」
 少し遅れて来たのは美月さんの弟とその奥さん。深沢さん夫妻。美月さんが不在の間海咲ちゃんの面倒を見てくれる人だ。
「……」
 俺は絶望する深沢さんと海咲ちゃんにかけてあげられる言葉が見つからなかった。中1の彼は苦いブラックが好きと言ってくれた。いつか俺が淹れる最高の1杯を飲ませてあげたかった……結局俺ができたのは初めて会ったとき、お腹の余白を埋められただけ。
「申し訳ありませんでした……」
「どうして鏡さんが謝るんですか……やめてください……!」
 小さい頃母さんに言われたのは「もう少し気楽に生きろ。一人で何でも抱え込むな」……まあ確かに、腕っぷしの強さしか取り柄のなかった俺の長所は、一人で皆の想いを受け止めてあげる意志だった。もう少し人に頼っていいとは思っている。けど俺は伶君と約束したんだ。必ず美月さんを連れて帰るって……
「海咲ちゃん……」
「グスン……うぅ……」
「落ち着いたらこれでも飲みな……?」
 海咲ちゃんに渡したのはお子様でも飲める甘いコーヒー牛乳。その名も白猫スウィート。最近発売したばかりの余白オリジナル商品だ。さっきは最高の1杯を飲ませたいと大層なこと言ったが、その1杯は俺が決めるものではない。その日とその人に決めてもらうのだ。珈琲が飲めない大人の人だっている。それでも俺は常に最高を提供するのが夢だ。
「幸人君……」
「心配するな…ママはおじさんが必ず連れて帰る。とにかく今は、これ飲んで元気出して欲しいな」
 白猫スウィートは落ち着いたときに飲んでくれ。感想とかはいらないからさ。俺は愛用の黒ジャケットを羽織り――
「見ててくれ母さん……俺は常に最高の1杯を作ってみせる」
 こんなに血が騒ぐのは久しぶりだ……

 シャー……ポトポトポト……
「飲めますか?」
「……うん」
 抽出した瞬間から漂う良い香り……飲みたかったけど私はまた今度でいいわ。
 ふ〜ふ〜……ズズ……
「あち……」
「大丈夫ですか?あぁ垂れてる……」
 一口飲んだ美月さんの目が開いたように感じた。
「苦み強い……美味しい……」
 表情がホッとしている。幸人が入れたって確証はないけれど、誰かを安心させられる力があるのは彼しかいない。けど……
「ゴホ……ゴホ……!」
「あぁ~……」
 ダメか……度重なるストレスと息子さんを亡くしたショックで胃腸炎を起こしているみたい……
「これ……飲んで……ゴホ……ゴホ……」
 ……私が飲んでいいの?でも女同士なんだし、間接キスも直接のキスもオッケー……!
 ゴク……ゴク……
「えっ……」
 ゴクゴク……
 私は少しだけぬるくなった珈琲を一気に飲み干してしまった。確かに苦みがけっこう強いのに後から引き立つ酸味と深い味……でも、どこかで飲んだことあるような……こんな絶望的な状況でも美味しいと感じられるなんて。まだ私は希望を捨てちゃいないんだ……!

 同刻。
 ブーン……ギギ……
 海咲ちゃんに別れの挨拶を終えて向かった先はヘリオス・ジャパンの本社。俺の自家用車は乗りやすさ維持費などのコスパ重視でラパンだ。別に俺は殴り込むために来たわけではない。あくまで話を聞くためだ。
 コツッ……バンッ……
「……」
 まるで東京タワーを地面から見上げているようだ。車から降りるときに少しカッコつけてしまったがあら大変……警備員が来てしまった。
 バタバタバタ……
「来客の方ですか?まずご要件をお願いします……」
 今この男を捻じ伏せたところで意味はない。それに今揉め事を起こそうものならサイレンを鳴らされるだろう。
「社長さんはおられますか?」
「いますが、ご要件を仰らないならお会いさせることはできません……」
 バカ野郎が……あっさりといるって言ってどうするんだよ?俺が本気を出したら門番など相手にならないが、社長がクロと決まったわけではない。社長さんときたら普段出張で会社にいないだろう。乗り込むなら今しかない。
「これで社長さんに会わせてくれないか?何なら弾んであげてもいいけど……」
「か……金……!?これ、100万はあるぞ……」
「だからさ、その服貸して?」
 美月さんや澪に辿り着けるなら100万なんて出してやるさ。さあどうする……この金があれば数か月は余裕で暮らせるぞ?
「うぅぅん……別にかまいませんけど……(この人専務より身体デッケぇ……何かヤバそう……)」
「けど……?」
「うぅ……!貸しますから、大事にはしないでください……!」
「ありがとな……」
「ちょっと待ていきなり!?」
「悪いが時間ないんでね……!」
 寒い中すまないな……一刻を争う事態でねっ!
 じゃ~ん……
「いやきついな……」
 パンツの丈は短くて靴は履けたものではない。幸い俺のブーツが長い方だったため足首は隠せる。肝心の上はちょっとでも激しい動きをしたらボタンがブチッ!っていくだろう。
「さて行くか」
「おい俺はどうするんだよ……!さみぃよ……」
「休憩室かどっかに着替えあるだろ?取りに行きなよ」
「その前に俺が捕まっちまうよ!」
 騒ぐなよもう……まあ外で脱がせたのはやりすぎた。せめて休憩室までは俺のジャケットを貸して着替えを取りに行けただけいいだろう。
 ウィーン……コツ……コツ……
 俺は帽子を目深に被って受付の前をすり抜ける。
「ご苦労さまです……」
 ダメだ……ゆる結びの女性を見るだけで誰もが澪に見えてしまう……
「あぁすいません!」
「はぃ……?」
 ドク……ドク……
 落ち着け俺……相手は華奢な受付の女性だ。
「靴紐解けてますよ?」
「えぇ……あぁ~……失礼しました……」
「お疲れ様です!」
 ふぅ~……何とかバレなかったか……強行突破のために女性を殴るなんて男じゃないしな。だが幸いなことに拝借した制服は裏口のアクセスキーがセットだ。
 ピピ……カチャ……
 いくら警備員の制服を着ていても全てのエリアに易々と入れるわけではない。こうなったら変装ごっこは、もういらないな……俺はキツキツの制服を脱ぎ捨てて下に着ていた普段着にチェンジ。やはりジャケットは欠かせないな。
 コンコン……
 アクセスキーのみを持って俺は非常階段を駆け上がる。社長さんがいるのは大体最上階だろう。やがて……
「見ぃつけた……!かくれんぼはもう終わりだぜ……」
 今俺の目に映るのはパンフレット、ホテルで見たヘリオス・ジャパンのおじさん社長。間垣 博明(マガキ ヒロアキ)だ……俺は一人になった瞬間を狙い――
 ガシッ……
「ググ……何だ……グググ……!」
 俺は殺さない程度に後ろから首を絞め上げる。
「騒ぐな……」
 いくら権力者でも自分より圧倒的な力を前にしたら黙り込む。絞め殺されるかもしれない状況でもあるからな。だが上に誰もいないなんてことはなく……
「社長!?あんた何してるんだ!?」
 予想通りだ。ヘリオス・ジャパンは裏社会に存在する会社ではない。社員たちは武器を持っていない他、俺の存在に震えているように見える。
「あんたらの若専務について教えろ……」
「専務だって……あぁ……」
「君……ググ……優真君の何が聞きたいんだ……?」
 バサッ……
 俺はなけなしの札束を社員の足元へ投げる。
「頼む……俺には時間がないんだ!」
「ウゥ……」
「知っていることは全部話す……だからこれ以上揉め事を起こさないでくれ……」
 この様子、もう逃げようって余裕はないな。俺は腕を離す。
「ゴホ……ゴホ……」
 ガチャ……!
 まずは鍵を締めてと……
「落ち着いてくれ……聞きたいことは何だ?優真君のことか…?」
「そうだ……社長さんなら色々知っているだろう」
 話し出すまでに数分かかったが、粘り強く圧をかけ続けたら諦めて話すようになった。まず話し出した内容だが――
「優真君は我らの会長のお孫さんなんだ……」
「孫……?」
 孫ってことはヘリオス・ジャパンは相当長い歴史を持っているのか?若専務はおそらく33か34くらい。
「だが元々……優真君は我が社の社員にならなかったんだ……!」
「勝手にマシンガントークしないでくれ……」
 この時点で追いつかない…確かに大企業や有名な名家の子息でも継がないこと自体今どき珍しくない。一体何の道に……
「この会社に入る前は何を?」
「医者だよ……」
「何……!どこの病院だ……」
「同じ区(港区)の大河原病院……」
「大河原病院……それって、母さんが入院した……」
「同じ港に住んでいるなら知っているだろう?」
 知っているも何も母さんが入院したって言っただろうが……!言ってしまったからには話すが、澪と別れて意気消沈する暇もなく、母さんにがんが発覚。間垣の話を聞いて思い出した。大学2年生だった俺は毎日のように病院に訪れた。橘優真……やはりあのときの助手だったのか……当時は黒髪で眼鏡をかけていたものだから、今の金髪の風貌に今日まで気づかなかった。だけど、あのときの橘は若いのに人柄が良くて俺でもこの人なら信じられるって思ったんだ!
「だが問題はそれじゃねぇ……じゃあ何で医者を辞めたんだ!?医者だったら、ずっと叶えたかった夢でもあっただろ!」
「あの子は何もしていない!罪を被らされたんだ……」
「……!?」
「君は鏡幸人君だろ?君のお母さん……鏡千里殺しの罪だよ」
「貴様……知っていたのか……!?」
 医療ミスとしか説明されなかった母さんの死が殺されただって……
「優真君はあの後医界を追放されたんだ……行く宛のなかったあの子を私が拾ったんだよ。何より、あの子のおじいちゃんいや、会長が亡くなる寸前に私に頭を下げたんだ……」
 じゃあ、橘はじいちゃんの懇願を受けた社長に拾われたってことか?
「じゃあ何で……女性を裏風俗の捨て駒になんかするんだ……?」
「それは私にもわからないんだ……私が知っていることは全て話した!」
「もういい……」
「鏡さん……!」
「言っておくけどな……あんた、嘘ついてるだろ?そんなんで俺を騙せると思ったのか?」
「どういうことだよ……!」
「それは自分の胸に手を当てて考えてみろ……そうすればわかるだろ?あんたの嘘もな……」
 ここでネタバラシをしたら話が終わってしまうかもしれない。せいぜい真実が明らかになるまで楽しみに待っておけ……さて話なら十分に聞けた。金を渡したことなんかノーダメージと言ったら嘘になるが、澪とまた会えるかもと考えたら安いもんだ。情報を得るのに2時間近くかかってしまったが、俺はその場を後にしようと車に戻った。
「……」
「……?」
 ゴシャッ……!
「ウ……!」
 突然頭がまるで割れたような痛み。薄れゆく意識の中目を必死で開けていると、俺の前に現れたのは金属バットを持った金髪の男。
「何俺のこと嗅ぎ回ってんのぉ〜?まぁ喫茶店の店長の割には頑張った方じゃないか」
「たち……ば……」
 俺はバットで殴られた痛みに抗うことができず、そのまま意識を手放してしまった。
「運ぶぞ……」
「はい」
 悪いな澪、美月さん……それに海咲ちゃん……!俺、最高の1杯、飲ませられないかもしれない……!

 私の知らないところで行動を起こしてくれた幸人だったけれど、真っ直ぐな性格ゆえアイツに殴られたみたい……そのことを知ったのはその日の夜。
 コツ……コツ……
「臭い……澪〜、君俺がいない間に珈琲でも飲んだの?」
「う……」
 珈琲が嫌いならたまらない匂い。淹れたときにお前がいたら熱湯でもかけてやるっての!
「橘……」
 美月さんはもう自分の足で立てないほど弱っている。そんな中でもレコーダーから行為の声が絶え間なく聞こえてくる……逃げ場もない絶望的状況だけど、あの珈琲の味が確かに希望をくれた。彼と交際していたとき、慣れない手つきで珈琲豆を直火で焼き、焦げていたのに美味しかったあの味……そう考えたらキスをしたあの日、愛してるって彼からのSOSだったんだ。
「澪、何そんな寂しそうな顔してんの……?」
「黙れ……」
「うぅん……今何か言ったかぁ?」
「黙れって言ってんのよ……!あぁ~!」
 私は弱ったまま奴に一直線のパンチを放つ!
 ドガ……!
「がはぁ……ゴホ……!」
 私のお腹に膝蹴りが直にめり込む……もう全部吐き出してしまいそうなのを我慢して奴の顔を見る。
「澪に重大発表だ……君は今日付けで西成に移転が決まったよ」
「西成……!?」
「心配しなくても俺は君の王子様であり続けるよ……誰かに奪われる前にね……」
 もう裸の私に何ができるの!珈琲を飲んでも私が非力で弱いのは変わらない。でも待って……裸でも私にできることがあるはず!奴は西成に場所を移すと言っていた。つまり家のドアが開けば、そのまま車に乗せられるに違いない。
「西成に行くなら、美月さんも行きたいって言ってたんだけど……ダメかな?」
「ちょっ……ム……!」
「ゴホン……いいかな?人が多い方がいいでしょ?」
「美月ちゃんもか?偉いなぁ〜……フンッ……なら望み通りにしてやろうか」
 その直後に立たされる私と美月さん。美月さんの表情は不安に満ちている。それでも私は――
「私を信じて……」
 外に出た瞬間が最後のチャンスよ!私が愛しているのは幸人だけって確信が持てたばっかりだから……彼のためにも私は生きなきゃダメなんだ!
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