5倍に薄める幸せ
DILUTION 3.5 誰よりも愛したい人
トラックに乗せられてから何時間経過したのだろう?暖房が効かない荷台の中では、幸人のジャケットを借りても私の手足は寒さで震えが止まらず、足の指に至っては蝋を塗ったみたいに動かない……
ガコン……ガチャ……!
「澪……しっかりしろ……!」
荷台が開いた瞬間こそ逃げ出せるチャンスなのはわかっている……けど裸の私は今外に出たとて待っているのは凍死しかない……荷台が開くたびに女性が次々と追加で乗せられていく。男性でまともに動けるのは幸人だけ。このまま私たちを西成に連れて行くって魂胆なの?私と彼含めて5人。美月さんは知っていても他の方は知らない人。
「澪……俺が温めるから無理せず寝るんだ……」
「それじゃ……幸人が……?」
「俺のことは心配しなくていい……今男は俺だけだし、いざというときは俺が代わりになるさ……」
今まで寝ずに耐えていたけれど、寒さが私の眠気をさらに誘発させる。
「どうせ俺は危険因子でマークされただけだ……」
彼は私が誘拐されているのを知ったら交通違反もクソもねぇ!ってなって追跡者の如く爆走するのがわかる。だから一緒に拉致しておけ!って橘が考えたんでしょう……
「ギャーー……!」
「……!?何!?」
突然一人の女性が私たちの耳を刺すように叫ぶ!あまりの大声に耳を塞ぐ……それでも彼は女性に駆け寄り――
「落ち着くんだ……!俺を見て……」
バチン……!
「ウ……!?」
「幸人!?」
慰める彼を吹き飛ぶくらいの勢いで平手打ち……だけどその直後……!
「あぁ……ぁ……」
バタン……
「おい!大丈夫か……おい!?ダメだ……死んでる……」
「一体何があったの……?」
彼は胸元に耳を澄ませると――
「この人……ペースメーカーだ……」
「ペースメーカーって……心臓ペースメーカー!?」
心臓ペースメーカーを埋め込んでいたってことはこの女性、心臓の病気を持っていたってこと!?アイツ何人騙くらかしてんのよ……息絶えた女性はおそらく50歳くらい。心臓が止まっても、聞こえるはずのないペースメーカーの電子音が私の心に脈を打っているようだった。
「はぁ……ぁ……!」
私の心は限界を迎えそうだった。目の前で人が亡くなって私が守ると誓った美月さんは意識不明の状態……私が軽率に一緒に連れて行ってと言わなければ、美月さんは今苦しんでいるはずがないから……!救えなかった現状に自分の愚かさを呪う。
「お姉ちゃん……怖いよ……」
「……」
この人まだ10代よね……?高校生じゃないことを信じたいけど、いやダメだけど……この子は一生トラウマを背負うことになる。私は――
「君名前は?私は夢野澪よ……」
「宮田舞です……」
「舞ちゃんね?あっ……この人は鏡幸人よ。悪い人じゃないわ……」
「いや俺の紹介いるか?」
「だって男はあなただけなんだからここで安心させないでどうすんのよ?特にあなた身体デカいんだからさ……」
私は既に胃がおかしくなっていてお腹空かないけれど、彼のお腹はグ〜と鳴り響く。
「お腹空きました……?」
「空いてないと言ったら嘘になるけど、カップラーメンがあったら食べるより奴らにかけてやりたいよ……」
付き合っていたからこそわかる……明るく言っているけどこれはもう誰も止められないくらい怒っている……
「舞ちゃんか?好きな食べ物は何かな?」
「フレンチトーストかな……」
「フレンチトーストか?任せとけ!今度とびきり美味いの作ってやるからな!」
「鏡さんが……?」
彼は首を大きく縦に振った。やっぱり……
「あなた……余白の店長なの?」
「あぁ。正確にはオーナーだけど、君が胡散臭いフェラーリに乗るとこ、バッチリ見てたよ」
あのとき?だってお店の方見なかったのにわかっていたの?何年経ってもクレオパトラは変わらないからって言いそうだけど……
ギィィィィーー……!
「キャァ……!?」
「……!?掴まれ!」
急ブレーキ……!?私はとっさに舞ちゃんの腕を掴んでギリギリ叩きつけられなかったけど、意識を失っていた美月さんは受け身を一切取ることができず――
ドシャ……
後頭部から荷台の床に叩きつけられ、生々しい音を立てた……そんな私たちの姿を、別の車から監視する男がいた……
数時間前。
俺の名前は橘優真。昔は医者なんてやってたエリートと呼ばれていたが、今じゃヘリオス・ジャパンの専務だ。幸い俺は会長の孫だと入った当初からちやほやされ、俺の言うことに誰もが従う。
「優真さん……1台ご自宅に向かわれてます……」
「鏡を乗せた車か……」
面倒事を嫌いすぎたか。バカめ鏡君よ……お前を杜撰に縛った時点で俺の家に来るなんて想定済みなんだよ……だから俺は全ての車にGPSを入れておいた。
「ドアは有刺鉄線、澪は薬でも打って寝かせておけ。部屋は任せる」
「これ以上の投与は危険と思われますが、かまいませんか?」
「かまわん……」
「わかりました……」
俺はテーブルに突っ伏して居眠りする澪の前に立ち――
グイィ……ズキズキ……!
「痛い……!?やめて離して……!」
無理矢理起こしたいときは髪を引っ張るか熱湯をかければ嫌でも起きる。だが俺も遊びすぎた……
「橘……死ね!死ね……」
「よくないな……子は親に逆らえないんだよ」
ガブ……
「……!俺の女のくせに逆らうか、やれ……」
ブスッ……
「う……」
バタン……
澪……どうして君が俺の一番だとわかってくれないんだよ?君は単なる商品じゃない。俺の大切な恋人なんだよ。誰かを愛したいと思ったら支配したいって思うのが普通。皆はそうは思わないか?愛する人を支配してこそ愛。今まで異なる年齢の女と付き合ってきたが、澪の美しさは格別だった……
「優真さん……もうそろそろ着きそうです」
「お前は先に行け。俺はお出迎えしなきゃな……」
真っ直ぐなバカは杜撰なトラップにも気づかない。
「お気をつけて……」
奴は俺に監視されていることに気づかない。いや、そもそも超小型カメラを忍ばせた状況で気づけるなんて常人にはまず不可能だ。
「フン……痛がれ痛がれ……」
仕掛けた有刺鉄線は軽く握っただけで手のひらに食い込む。部屋に入るや否や血が出るわ出るわ……痛そうだなぁ?君は罠にハマったんだよ。
「予定通り痛めつけますか?」
「いや、ここまで来たら面白くなってきた……奴は生け捕りにしておけ」
「男も乗せるよう言っておけ……」
「わかりました……問題ありませんか?」
「問題ない」
本来なら女だけでかまわないが、鏡はおまけだ。奴が女に弱いことは数年前から知っている。どうせ澪以外の女は限界に近い。嫌でも奴は死の瞬間を見る……どうして俺が鏡幸人のことを知っているか?答えは簡単だ。何せ、鏡の母親を殺したのは俺だからな……あの女のせいだ……!俺がいくら安静にしろと忠告しても――
「最後に息子と家に帰りたい」
ばかり……俺はずっと止めたんだ……それでもゴネるから仕方ないだろう!心が限界だった俺は一縷の望みをかけて薬を投与しただけなんだ!
「優真さん……」
「おっとすまない……」
俺としたことが、くだらない過去を思い出したようだ。さて、澪と鏡のいちゃつきを見させてもらおうか。
ギィィィィ……!
「ウゥ……!おい、皆無事か?」
「私は大丈夫……!」
いきなり急ブレーキなんて踏んだら危ないだろうが……
「美月さん……!しっかりして……美月さん……!」
「これ以上動かすと危険だ……下手したら頚椎が折れている……!」
あんな鈍い音を立てたんだ。美月さんの意識を見るに骨が数箇所折れたのは明白だった。
ガコン……!
美月さんに寄り添う俺たちの視界に、明るすぎて目が焼けてしまうような光が差し込む。一瞬目が死ぬかと思ったが、
「これ絶対服じゃねぇか……」
荷台を開けたサングラスの男が持っているのは大きいボストンバッグ。だが俺はあえて荷台から動かない。なるべく外で着替えさせたくないからな……
「早く出ろ……言うこと聞けば服は返してやる」
あら親切……服は返してくれるんだな。携帯と財布は橘が持っているか。
「でも多分服足りないんだよなぁ……」
「何言って……」
ドスッ……!
「がはぁ……!」
「まっ……欲しいのは上着だけ」
ボストンバッグを開けると女性用の上下服にパンツ、上着がぎっしり詰まっている。しかし澪は……
「えっ……ちょっと靴下ない……!?」
澪の靴下だが隅々まで探しても見つからなかったようだ。
「まさか裸足で靴履けっての?」
「裸足でアスファルトは冷たいぞ?何ならコイツの靴下でも拝借するか?」
俺が指差した先はサングラス男。すると――
「絶対に、嫌!」
わかっているよ。君は俺のお下がりじゃなきゃ着れないってことくらい。
「俺が美月さんの身体起こすから、ゆっくり着せてくれ」
「わかったわ……」
「いくぞ……」
俺は力を入れすぎないように美月さんを起こす。裸になる前何を着ていたんだ……明らかに薄着で防寒にならない。
「舞ちゃんは着れたかな?」
「うん……」
「制服……!?舞ちゃん、高校生なの……?」
「ガキなのにあんな男と付き合うなんてませすぎだよね?」
「そんなことないわよ!?だって私なんて、もう25なのにホイホイ騙されちゃったんだよ?」
騙されたのが事実でも、人は誰もが恋心を抱く。一度でも愛したら追いかけたいのは普通の心理だ。騙されたのが悪いのではなく、その心につけ入る悪意があるから悲劇が生まれ続ける……
「皆用意できたかな?」
美月さんは仰向けのままだが、ここは俺がおんぶして連れて行こう。しかし――
「……」
「この人は……」
俺含め4人。さっきまでは5人だったが、一人の女性が亡くなっている……
「この人は警察に任せよう……今俺たちが運んだら死体遺棄だ」
亡くなった方の所持品を確認するのは忍びないが、あなたの無念は俺に預けてくれませんか。女性が履いていたと思われるズボンのポケットに入っていた運転免許証には――
森田 美奈子さん……1968年生まれ……57歳か。美奈子さんの目はわずかに開いている。
「……」
……すっ……
俺は静かに美奈子さんの目を閉じた……
「すまない澪……舞ちゃんと協力して美月さんをお願いできるか?」
「わかったわ……けどあなたはどうするの?アイツが易々と逃がしてくれるとは思えないけど……」
「俺はいつかあの男とケリをつける必要があるんだ」
「……わかったわ」
澪は誰にも奪わせない。そしてこれ以上アイツの犠牲者が増える必要もない……!
「おい待て……」
「何だ?」
「お前ら、こんなことして……ぐぅ……社会的にも殺されるぞ……」
何だそのくだらない忠告は?俺の答えは決まっている。
「だったら何だ?そもそもな、ヘリオス・ジャパンを敵に回した時点でな、俺の覚悟は決まってんだよ……澪をこれ以上、泣かせたくないんだ!」
こっちはもう時間がないんだ。引き止める男を無視して荷台から降りる。
「ここってどこなの?」
「乗せられてから今の時間考えたら大阪じゃない。だとしたら早すぎるからな……」
外が明るいと思ったら朝の10時。場所は川が流れる橋の上。なぜこんなところに止まった?
ブーン……
「今度は何……?」
「奴だ……」
「橘が……!?」
「ひぃぃ……」
「大丈夫よ……私たちが一緒だから……」
ブーン……ギギ……バフッ……
「ようやく会えたな……橘優真……」
「こうやって話すのは初めてか……鏡幸人……」
「狙いは俺だろ?いったん澪たちは逃がしてくれるか?」
「いいだろう……お前を倒して奪えばいいだけだ」
「澪……舞ちゃん……美月さんを安全なところへ」
幸人と橘が向かい合った瞬間、空気が歪むのを感じた。私を愛で支配しようとした男、橘優真。私を包み込むような愛で心を希釈してくれた男、鏡幸人。顔も違えば愛のカタチだって違う2人の男。
「橘……!」
「まぁ待て、まだネタバラシが終わってねぇ……」
どういうことなの?
「忘れてたよ……橘先生」
「フン……」
何?この2人は知っている者同士なの?幸人は拳から力を抜く。
「時間はたっぷりあるんだ。そうしたら、お前を倒す……」
「それはこっちの台詞だ」
橘が勝ったら私は濃縮液の愛に支配され続ける。幸人が勝てば希釈液の愛で私を呪う支配愛が薄まってゆく。今、私の幸せを賭けた運命の戦いが始まろうとしていた……
ガコン……ガチャ……!
「澪……しっかりしろ……!」
荷台が開いた瞬間こそ逃げ出せるチャンスなのはわかっている……けど裸の私は今外に出たとて待っているのは凍死しかない……荷台が開くたびに女性が次々と追加で乗せられていく。男性でまともに動けるのは幸人だけ。このまま私たちを西成に連れて行くって魂胆なの?私と彼含めて5人。美月さんは知っていても他の方は知らない人。
「澪……俺が温めるから無理せず寝るんだ……」
「それじゃ……幸人が……?」
「俺のことは心配しなくていい……今男は俺だけだし、いざというときは俺が代わりになるさ……」
今まで寝ずに耐えていたけれど、寒さが私の眠気をさらに誘発させる。
「どうせ俺は危険因子でマークされただけだ……」
彼は私が誘拐されているのを知ったら交通違反もクソもねぇ!ってなって追跡者の如く爆走するのがわかる。だから一緒に拉致しておけ!って橘が考えたんでしょう……
「ギャーー……!」
「……!?何!?」
突然一人の女性が私たちの耳を刺すように叫ぶ!あまりの大声に耳を塞ぐ……それでも彼は女性に駆け寄り――
「落ち着くんだ……!俺を見て……」
バチン……!
「ウ……!?」
「幸人!?」
慰める彼を吹き飛ぶくらいの勢いで平手打ち……だけどその直後……!
「あぁ……ぁ……」
バタン……
「おい!大丈夫か……おい!?ダメだ……死んでる……」
「一体何があったの……?」
彼は胸元に耳を澄ませると――
「この人……ペースメーカーだ……」
「ペースメーカーって……心臓ペースメーカー!?」
心臓ペースメーカーを埋め込んでいたってことはこの女性、心臓の病気を持っていたってこと!?アイツ何人騙くらかしてんのよ……息絶えた女性はおそらく50歳くらい。心臓が止まっても、聞こえるはずのないペースメーカーの電子音が私の心に脈を打っているようだった。
「はぁ……ぁ……!」
私の心は限界を迎えそうだった。目の前で人が亡くなって私が守ると誓った美月さんは意識不明の状態……私が軽率に一緒に連れて行ってと言わなければ、美月さんは今苦しんでいるはずがないから……!救えなかった現状に自分の愚かさを呪う。
「お姉ちゃん……怖いよ……」
「……」
この人まだ10代よね……?高校生じゃないことを信じたいけど、いやダメだけど……この子は一生トラウマを背負うことになる。私は――
「君名前は?私は夢野澪よ……」
「宮田舞です……」
「舞ちゃんね?あっ……この人は鏡幸人よ。悪い人じゃないわ……」
「いや俺の紹介いるか?」
「だって男はあなただけなんだからここで安心させないでどうすんのよ?特にあなた身体デカいんだからさ……」
私は既に胃がおかしくなっていてお腹空かないけれど、彼のお腹はグ〜と鳴り響く。
「お腹空きました……?」
「空いてないと言ったら嘘になるけど、カップラーメンがあったら食べるより奴らにかけてやりたいよ……」
付き合っていたからこそわかる……明るく言っているけどこれはもう誰も止められないくらい怒っている……
「舞ちゃんか?好きな食べ物は何かな?」
「フレンチトーストかな……」
「フレンチトーストか?任せとけ!今度とびきり美味いの作ってやるからな!」
「鏡さんが……?」
彼は首を大きく縦に振った。やっぱり……
「あなた……余白の店長なの?」
「あぁ。正確にはオーナーだけど、君が胡散臭いフェラーリに乗るとこ、バッチリ見てたよ」
あのとき?だってお店の方見なかったのにわかっていたの?何年経ってもクレオパトラは変わらないからって言いそうだけど……
ギィィィィーー……!
「キャァ……!?」
「……!?掴まれ!」
急ブレーキ……!?私はとっさに舞ちゃんの腕を掴んでギリギリ叩きつけられなかったけど、意識を失っていた美月さんは受け身を一切取ることができず――
ドシャ……
後頭部から荷台の床に叩きつけられ、生々しい音を立てた……そんな私たちの姿を、別の車から監視する男がいた……
数時間前。
俺の名前は橘優真。昔は医者なんてやってたエリートと呼ばれていたが、今じゃヘリオス・ジャパンの専務だ。幸い俺は会長の孫だと入った当初からちやほやされ、俺の言うことに誰もが従う。
「優真さん……1台ご自宅に向かわれてます……」
「鏡を乗せた車か……」
面倒事を嫌いすぎたか。バカめ鏡君よ……お前を杜撰に縛った時点で俺の家に来るなんて想定済みなんだよ……だから俺は全ての車にGPSを入れておいた。
「ドアは有刺鉄線、澪は薬でも打って寝かせておけ。部屋は任せる」
「これ以上の投与は危険と思われますが、かまいませんか?」
「かまわん……」
「わかりました……」
俺はテーブルに突っ伏して居眠りする澪の前に立ち――
グイィ……ズキズキ……!
「痛い……!?やめて離して……!」
無理矢理起こしたいときは髪を引っ張るか熱湯をかければ嫌でも起きる。だが俺も遊びすぎた……
「橘……死ね!死ね……」
「よくないな……子は親に逆らえないんだよ」
ガブ……
「……!俺の女のくせに逆らうか、やれ……」
ブスッ……
「う……」
バタン……
澪……どうして君が俺の一番だとわかってくれないんだよ?君は単なる商品じゃない。俺の大切な恋人なんだよ。誰かを愛したいと思ったら支配したいって思うのが普通。皆はそうは思わないか?愛する人を支配してこそ愛。今まで異なる年齢の女と付き合ってきたが、澪の美しさは格別だった……
「優真さん……もうそろそろ着きそうです」
「お前は先に行け。俺はお出迎えしなきゃな……」
真っ直ぐなバカは杜撰なトラップにも気づかない。
「お気をつけて……」
奴は俺に監視されていることに気づかない。いや、そもそも超小型カメラを忍ばせた状況で気づけるなんて常人にはまず不可能だ。
「フン……痛がれ痛がれ……」
仕掛けた有刺鉄線は軽く握っただけで手のひらに食い込む。部屋に入るや否や血が出るわ出るわ……痛そうだなぁ?君は罠にハマったんだよ。
「予定通り痛めつけますか?」
「いや、ここまで来たら面白くなってきた……奴は生け捕りにしておけ」
「男も乗せるよう言っておけ……」
「わかりました……問題ありませんか?」
「問題ない」
本来なら女だけでかまわないが、鏡はおまけだ。奴が女に弱いことは数年前から知っている。どうせ澪以外の女は限界に近い。嫌でも奴は死の瞬間を見る……どうして俺が鏡幸人のことを知っているか?答えは簡単だ。何せ、鏡の母親を殺したのは俺だからな……あの女のせいだ……!俺がいくら安静にしろと忠告しても――
「最後に息子と家に帰りたい」
ばかり……俺はずっと止めたんだ……それでもゴネるから仕方ないだろう!心が限界だった俺は一縷の望みをかけて薬を投与しただけなんだ!
「優真さん……」
「おっとすまない……」
俺としたことが、くだらない過去を思い出したようだ。さて、澪と鏡のいちゃつきを見させてもらおうか。
ギィィィィ……!
「ウゥ……!おい、皆無事か?」
「私は大丈夫……!」
いきなり急ブレーキなんて踏んだら危ないだろうが……
「美月さん……!しっかりして……美月さん……!」
「これ以上動かすと危険だ……下手したら頚椎が折れている……!」
あんな鈍い音を立てたんだ。美月さんの意識を見るに骨が数箇所折れたのは明白だった。
ガコン……!
美月さんに寄り添う俺たちの視界に、明るすぎて目が焼けてしまうような光が差し込む。一瞬目が死ぬかと思ったが、
「これ絶対服じゃねぇか……」
荷台を開けたサングラスの男が持っているのは大きいボストンバッグ。だが俺はあえて荷台から動かない。なるべく外で着替えさせたくないからな……
「早く出ろ……言うこと聞けば服は返してやる」
あら親切……服は返してくれるんだな。携帯と財布は橘が持っているか。
「でも多分服足りないんだよなぁ……」
「何言って……」
ドスッ……!
「がはぁ……!」
「まっ……欲しいのは上着だけ」
ボストンバッグを開けると女性用の上下服にパンツ、上着がぎっしり詰まっている。しかし澪は……
「えっ……ちょっと靴下ない……!?」
澪の靴下だが隅々まで探しても見つからなかったようだ。
「まさか裸足で靴履けっての?」
「裸足でアスファルトは冷たいぞ?何ならコイツの靴下でも拝借するか?」
俺が指差した先はサングラス男。すると――
「絶対に、嫌!」
わかっているよ。君は俺のお下がりじゃなきゃ着れないってことくらい。
「俺が美月さんの身体起こすから、ゆっくり着せてくれ」
「わかったわ……」
「いくぞ……」
俺は力を入れすぎないように美月さんを起こす。裸になる前何を着ていたんだ……明らかに薄着で防寒にならない。
「舞ちゃんは着れたかな?」
「うん……」
「制服……!?舞ちゃん、高校生なの……?」
「ガキなのにあんな男と付き合うなんてませすぎだよね?」
「そんなことないわよ!?だって私なんて、もう25なのにホイホイ騙されちゃったんだよ?」
騙されたのが事実でも、人は誰もが恋心を抱く。一度でも愛したら追いかけたいのは普通の心理だ。騙されたのが悪いのではなく、その心につけ入る悪意があるから悲劇が生まれ続ける……
「皆用意できたかな?」
美月さんは仰向けのままだが、ここは俺がおんぶして連れて行こう。しかし――
「……」
「この人は……」
俺含め4人。さっきまでは5人だったが、一人の女性が亡くなっている……
「この人は警察に任せよう……今俺たちが運んだら死体遺棄だ」
亡くなった方の所持品を確認するのは忍びないが、あなたの無念は俺に預けてくれませんか。女性が履いていたと思われるズボンのポケットに入っていた運転免許証には――
森田 美奈子さん……1968年生まれ……57歳か。美奈子さんの目はわずかに開いている。
「……」
……すっ……
俺は静かに美奈子さんの目を閉じた……
「すまない澪……舞ちゃんと協力して美月さんをお願いできるか?」
「わかったわ……けどあなたはどうするの?アイツが易々と逃がしてくれるとは思えないけど……」
「俺はいつかあの男とケリをつける必要があるんだ」
「……わかったわ」
澪は誰にも奪わせない。そしてこれ以上アイツの犠牲者が増える必要もない……!
「おい待て……」
「何だ?」
「お前ら、こんなことして……ぐぅ……社会的にも殺されるぞ……」
何だそのくだらない忠告は?俺の答えは決まっている。
「だったら何だ?そもそもな、ヘリオス・ジャパンを敵に回した時点でな、俺の覚悟は決まってんだよ……澪をこれ以上、泣かせたくないんだ!」
こっちはもう時間がないんだ。引き止める男を無視して荷台から降りる。
「ここってどこなの?」
「乗せられてから今の時間考えたら大阪じゃない。だとしたら早すぎるからな……」
外が明るいと思ったら朝の10時。場所は川が流れる橋の上。なぜこんなところに止まった?
ブーン……
「今度は何……?」
「奴だ……」
「橘が……!?」
「ひぃぃ……」
「大丈夫よ……私たちが一緒だから……」
ブーン……ギギ……バフッ……
「ようやく会えたな……橘優真……」
「こうやって話すのは初めてか……鏡幸人……」
「狙いは俺だろ?いったん澪たちは逃がしてくれるか?」
「いいだろう……お前を倒して奪えばいいだけだ」
「澪……舞ちゃん……美月さんを安全なところへ」
幸人と橘が向かい合った瞬間、空気が歪むのを感じた。私を愛で支配しようとした男、橘優真。私を包み込むような愛で心を希釈してくれた男、鏡幸人。顔も違えば愛のカタチだって違う2人の男。
「橘……!」
「まぁ待て、まだネタバラシが終わってねぇ……」
どういうことなの?
「忘れてたよ……橘先生」
「フン……」
何?この2人は知っている者同士なの?幸人は拳から力を抜く。
「時間はたっぷりあるんだ。そうしたら、お前を倒す……」
「それはこっちの台詞だ」
橘が勝ったら私は濃縮液の愛に支配され続ける。幸人が勝てば希釈液の愛で私を呪う支配愛が薄まってゆく。今、私の幸せを賭けた運命の戦いが始まろうとしていた……