友達以上恋人未満
頻発する偶然
頻発する偶然
「久しぶり」
背後から聞こえた声に、龍太郎の足が止まった。振り返ると、そこに立っていたのは真子だった。春先の柔らかな風が吹き、真子の髪がわずかに揺れている。最後にまともに会ってから、一年半――その時間が、一瞬で巻き戻されたような感覚だった。
「真子ちゃん」
龍太郎は、反射的にそう呼んでいた。すると真子は、一瞬目を丸くした。
「えっ……」
驚いたような声だった。龍太郎自身も、口にした後で気づいた。以前は「真子さん」と距離を置くように呼んでいた。それなのに、自然に「ちゃん」が出たのだ。真子は少し照れたように笑った。
「なんか、急に距離近くなってない?」
「いや……自分でも今、びっくりした」
龍太郎は頭をかきながら苦笑した。しかし胸の奥では、妙な感覚が広がっていた。ただの呼び方なのに、何かが変わった気がしたのだ。沈黙が流れる。だが不思議と気まずくはなかった。むしろ、一年半という空白が、ほんの数日のことだったような空気が漂っている。
「龍太郎さん、まだ煙草吸ってるの?」
真子が懐かしそうに言った。
「ああ、減らしたけどな」
「前も同じこと言ってたよ」
真子は笑った。その笑い方を見た瞬間、龍太郎の脳裏に、デイケアの体育館、コンビニの駐車場、LINEの通知音、赤い軽自動車――様々な記憶が一気によみがえった。偶然にしては、出来すぎている。忘れようとした頃に現れる。もう終わったと思った時に、また再会する。
「久しぶり」
背後から聞こえた声に、龍太郎の足が止まった。振り返ると、そこに立っていたのは真子だった。春先の柔らかな風が吹き、真子の髪がわずかに揺れている。最後にまともに会ってから、一年半――その時間が、一瞬で巻き戻されたような感覚だった。
「真子ちゃん」
龍太郎は、反射的にそう呼んでいた。すると真子は、一瞬目を丸くした。
「えっ……」
驚いたような声だった。龍太郎自身も、口にした後で気づいた。以前は「真子さん」と距離を置くように呼んでいた。それなのに、自然に「ちゃん」が出たのだ。真子は少し照れたように笑った。
「なんか、急に距離近くなってない?」
「いや……自分でも今、びっくりした」
龍太郎は頭をかきながら苦笑した。しかし胸の奥では、妙な感覚が広がっていた。ただの呼び方なのに、何かが変わった気がしたのだ。沈黙が流れる。だが不思議と気まずくはなかった。むしろ、一年半という空白が、ほんの数日のことだったような空気が漂っている。
「龍太郎さん、まだ煙草吸ってるの?」
真子が懐かしそうに言った。
「ああ、減らしたけどな」
「前も同じこと言ってたよ」
真子は笑った。その笑い方を見た瞬間、龍太郎の脳裏に、デイケアの体育館、コンビニの駐車場、LINEの通知音、赤い軽自動車――様々な記憶が一気によみがえった。偶然にしては、出来すぎている。忘れようとした頃に現れる。もう終わったと思った時に、また再会する。まるで見えない糸が、まだどこかで繋がったままなのではないか――龍太郎は、そんな錯覚に包まれていた。まるで見えない糸が、まだどこかで繋がったままなのではないか、龍太郎は、そんな錯覚に包まれていた。
龍太郎は、最後まで言葉を飲み込んだまま真子と別れた。
「また会おう」
その一言さえ、喉の奥で凍りついて出てこなかった。
夕暮れの駐車場。真子は新しく買ったばかりらしい白い軽自動車に乗り込む。ドアが閉まる音。エンジン音。バックランプの白い光。そのすべてが、龍太郎の胸に小さな痛みを残していく。そして、去っていく車のナンバープレート。なぜか、その数字だけが異様なほど鮮明に脳裏へ焼き付いた。帰宅しても数字は消えなかった。風呂に入っても、煙草を吸っても、布団に入っても、頭のどこかで繰り返される。
「……あの番号だった」
数週間後。
龍太郎はいつものように車を走らせていた。何気なく視線を向けた会社の駐車場。その瞬間、心臓が強く跳ねた。
真子の車だった。見間違えるはずがない。あのナンバー。あの白い車体。
「なんで……ここに……」
偶然。ただ、それだけの話かもしれない。だが龍太郎の胸の奥では、静かに何かがざわめいていた。その日を境に、龍太郎は無意識にその道路を通るようになる。仕事の帰り。コンビニへ向かう途中。
遠回りになる日でさえ、気づけばハンドルを切っていた。そして駐車場を見る。真子の車がある日。
ない日。それだけで気分が変わる。
「今日は来てる……」
それだけで、少し救われた気持ちになる。
逆に車が見当たらない日は、胸の奥にぽっかり穴が空いたようだった。龍太郎は、自分でも気づいていた。
これは恋なのか。執着なのか。それとも、終わったはずの縁をどこかで信じ続けているのか。しかし答えは出ない。ただ今日もまた、真子のナンバーを探しながら、龍太郎は静かな道路を走っていた。
純子と会っている時でさえ、龍太郎の頭の片隅には、白い車のナンバーが浮かんでいた。
「龍太郎さん、聞いてます?」
純子の声に、龍太郎は我に返った。
「あ、聞いてるよ」
「嘘。今、どこか遠く見てました」
純子は責めるような口調ではなかった。ただ、少し寂しそうに笑った。その笑顔を見た瞬間、龍太郎の胸に小さな罪悪感が刺さった。純子は目の前にいる。声も聞こえる。手を伸ばせば届く距離にいる。なのに、自分はまだ、真子の影を追っている。
「ごめん。ちょっと考えごとしてた」
「小説のこと?」
龍太郎は曖昧に頷いた。本当は違う。真子の車のことだった。喫茶店を出たあと、純子は「今日は楽しかったです」と言って帰っていった。龍太郎はその後ろ姿を見送りながら、心の中で呟いた。この人を大事にした方がいい。そう思った。本当にそう思った。だが、車に乗り込んだ瞬間、ハンドルは自然と別の道へ向かっていた。家とは反対方向。会社の駐車場が見える道路だった。夕暮れの空は薄紫に染まっていた。龍太郎は速度を落とし、駐車場の奥に目を凝らす。あった。
白い軽自動車。あのナンバー。胸がどくんと鳴った。
「今日もいる……」
それだけで救われたような気持ちになる自分がいた。そして同時に、どうしようもなく情けなかった。
真子に会いたいわけではない。声をかける勇気もない。ただ、車がそこにあることを確かめたい。それはもう恋というより、心の安定剤に近かった。龍太郎はしばらく車を停め、遠くからその白い車を見ていた。真子本人の姿は見えない。それでも、そこに彼女の気配があるだけで、胸の奥に火が灯る。だがその火は、温かいものではなかった。じりじりと心を焦がす火だった。その夜、龍太郎はパソコンを開いた。タイトルを打つ。
『ナンバープレートの女』
カーソルが点滅する。龍太郎は書き始めた。男は、終わった恋の証拠を探すように、毎日ひとつの車を見に行く。そこまで打って、指が止まった。これは小説なのか。それとも自分の告白なのか。龍太郎には、もう区別がつかなかった。
「久しぶり」
背後から聞こえた声に、龍太郎の足が止まった。振り返ると、そこに立っていたのは真子だった。春先の柔らかな風が吹き、真子の髪がわずかに揺れている。最後にまともに会ってから、一年半――その時間が、一瞬で巻き戻されたような感覚だった。
「真子ちゃん」
龍太郎は、反射的にそう呼んでいた。すると真子は、一瞬目を丸くした。
「えっ……」
驚いたような声だった。龍太郎自身も、口にした後で気づいた。以前は「真子さん」と距離を置くように呼んでいた。それなのに、自然に「ちゃん」が出たのだ。真子は少し照れたように笑った。
「なんか、急に距離近くなってない?」
「いや……自分でも今、びっくりした」
龍太郎は頭をかきながら苦笑した。しかし胸の奥では、妙な感覚が広がっていた。ただの呼び方なのに、何かが変わった気がしたのだ。沈黙が流れる。だが不思議と気まずくはなかった。むしろ、一年半という空白が、ほんの数日のことだったような空気が漂っている。
「龍太郎さん、まだ煙草吸ってるの?」
真子が懐かしそうに言った。
「ああ、減らしたけどな」
「前も同じこと言ってたよ」
真子は笑った。その笑い方を見た瞬間、龍太郎の脳裏に、デイケアの体育館、コンビニの駐車場、LINEの通知音、赤い軽自動車――様々な記憶が一気によみがえった。偶然にしては、出来すぎている。忘れようとした頃に現れる。もう終わったと思った時に、また再会する。
「久しぶり」
背後から聞こえた声に、龍太郎の足が止まった。振り返ると、そこに立っていたのは真子だった。春先の柔らかな風が吹き、真子の髪がわずかに揺れている。最後にまともに会ってから、一年半――その時間が、一瞬で巻き戻されたような感覚だった。
「真子ちゃん」
龍太郎は、反射的にそう呼んでいた。すると真子は、一瞬目を丸くした。
「えっ……」
驚いたような声だった。龍太郎自身も、口にした後で気づいた。以前は「真子さん」と距離を置くように呼んでいた。それなのに、自然に「ちゃん」が出たのだ。真子は少し照れたように笑った。
「なんか、急に距離近くなってない?」
「いや……自分でも今、びっくりした」
龍太郎は頭をかきながら苦笑した。しかし胸の奥では、妙な感覚が広がっていた。ただの呼び方なのに、何かが変わった気がしたのだ。沈黙が流れる。だが不思議と気まずくはなかった。むしろ、一年半という空白が、ほんの数日のことだったような空気が漂っている。
「龍太郎さん、まだ煙草吸ってるの?」
真子が懐かしそうに言った。
「ああ、減らしたけどな」
「前も同じこと言ってたよ」
真子は笑った。その笑い方を見た瞬間、龍太郎の脳裏に、デイケアの体育館、コンビニの駐車場、LINEの通知音、赤い軽自動車――様々な記憶が一気によみがえった。偶然にしては、出来すぎている。忘れようとした頃に現れる。もう終わったと思った時に、また再会する。まるで見えない糸が、まだどこかで繋がったままなのではないか――龍太郎は、そんな錯覚に包まれていた。まるで見えない糸が、まだどこかで繋がったままなのではないか、龍太郎は、そんな錯覚に包まれていた。
龍太郎は、最後まで言葉を飲み込んだまま真子と別れた。
「また会おう」
その一言さえ、喉の奥で凍りついて出てこなかった。
夕暮れの駐車場。真子は新しく買ったばかりらしい白い軽自動車に乗り込む。ドアが閉まる音。エンジン音。バックランプの白い光。そのすべてが、龍太郎の胸に小さな痛みを残していく。そして、去っていく車のナンバープレート。なぜか、その数字だけが異様なほど鮮明に脳裏へ焼き付いた。帰宅しても数字は消えなかった。風呂に入っても、煙草を吸っても、布団に入っても、頭のどこかで繰り返される。
「……あの番号だった」
数週間後。
龍太郎はいつものように車を走らせていた。何気なく視線を向けた会社の駐車場。その瞬間、心臓が強く跳ねた。
真子の車だった。見間違えるはずがない。あのナンバー。あの白い車体。
「なんで……ここに……」
偶然。ただ、それだけの話かもしれない。だが龍太郎の胸の奥では、静かに何かがざわめいていた。その日を境に、龍太郎は無意識にその道路を通るようになる。仕事の帰り。コンビニへ向かう途中。
遠回りになる日でさえ、気づけばハンドルを切っていた。そして駐車場を見る。真子の車がある日。
ない日。それだけで気分が変わる。
「今日は来てる……」
それだけで、少し救われた気持ちになる。
逆に車が見当たらない日は、胸の奥にぽっかり穴が空いたようだった。龍太郎は、自分でも気づいていた。
これは恋なのか。執着なのか。それとも、終わったはずの縁をどこかで信じ続けているのか。しかし答えは出ない。ただ今日もまた、真子のナンバーを探しながら、龍太郎は静かな道路を走っていた。
純子と会っている時でさえ、龍太郎の頭の片隅には、白い車のナンバーが浮かんでいた。
「龍太郎さん、聞いてます?」
純子の声に、龍太郎は我に返った。
「あ、聞いてるよ」
「嘘。今、どこか遠く見てました」
純子は責めるような口調ではなかった。ただ、少し寂しそうに笑った。その笑顔を見た瞬間、龍太郎の胸に小さな罪悪感が刺さった。純子は目の前にいる。声も聞こえる。手を伸ばせば届く距離にいる。なのに、自分はまだ、真子の影を追っている。
「ごめん。ちょっと考えごとしてた」
「小説のこと?」
龍太郎は曖昧に頷いた。本当は違う。真子の車のことだった。喫茶店を出たあと、純子は「今日は楽しかったです」と言って帰っていった。龍太郎はその後ろ姿を見送りながら、心の中で呟いた。この人を大事にした方がいい。そう思った。本当にそう思った。だが、車に乗り込んだ瞬間、ハンドルは自然と別の道へ向かっていた。家とは反対方向。会社の駐車場が見える道路だった。夕暮れの空は薄紫に染まっていた。龍太郎は速度を落とし、駐車場の奥に目を凝らす。あった。
白い軽自動車。あのナンバー。胸がどくんと鳴った。
「今日もいる……」
それだけで救われたような気持ちになる自分がいた。そして同時に、どうしようもなく情けなかった。
真子に会いたいわけではない。声をかける勇気もない。ただ、車がそこにあることを確かめたい。それはもう恋というより、心の安定剤に近かった。龍太郎はしばらく車を停め、遠くからその白い車を見ていた。真子本人の姿は見えない。それでも、そこに彼女の気配があるだけで、胸の奥に火が灯る。だがその火は、温かいものではなかった。じりじりと心を焦がす火だった。その夜、龍太郎はパソコンを開いた。タイトルを打つ。
『ナンバープレートの女』
カーソルが点滅する。龍太郎は書き始めた。男は、終わった恋の証拠を探すように、毎日ひとつの車を見に行く。そこまで打って、指が止まった。これは小説なのか。それとも自分の告白なのか。龍太郎には、もう区別がつかなかった。