遅かれ、早かれ、恋になりまして。
「先輩、残るんですか」
静かになったフロアの中で、八木くんの声だけがやけにはっきり聞こえた。私は資料を抱えたまま振り返って、「うん。もともとこれやることあったから」と自分のデスクを指差す。
まだ未処理のメールも残ってるし、確認しなきゃいけないデータもある。どうせ今日は最初から定時で帰れるなんて思ってなかった。そう答えると、八木くんは一瞬だけ黙った。何か考えるみたいに視線を落として、それから小さく息を吐く。
「じゃあ、俺もやります」
さらっと言って、八木くんは肩にかけていたカバンをデスクの下に置き直した。
「え、いいよいいよ、もう帰るところだったでしょ」
「予定ないですし、大丈夫です」
そう返しながら、八木くんは課長が置いていった明日の会議用の資料束を手に取り、バラついた紙の端をトントンと綺麗に揃えていく。
「ごめんね、巻き込んじゃって」
「課長がふたりって言ってたんで」
短く返ってきたその言葉に、思わず小さく笑ってしまった。本当に、変に気を遣わせない言い方をする。素直というか、ぶれないというか。
黙々とふたりで作業すること15分。思っていたよりずっとスムーズに進んで、課長に頼まれていた仕事はあっという間に片付いた。
「ふたりでやれば早いね。八木くんありがとね」
作業を終えて息をつきながらそう言うと、八木くんは資料を揃える手を止めずに「こちらこそ」と短く返した。最後の一束をパチン、とホッチキスで留める音が響く。ようやく全部終わった。思っていたよりずっと早かったな。
私は椅子から立ち上がりながら、デスクの上を見渡した。会議用の資料は課長のデスクに置いておけばいいとして……あと残っているのは、資料室へ戻すよう頼まれていた大量のファイル。
改めて見ると、なかなかの量だ。ファイルの背表紙には取引先の会社名が並んでいて、色褪せたラベルに長い年月を感じる。