遅かれ、早かれ、恋になりまして。

「有馬さんは?私に、何かないですか?」


すると有馬さんは少しだけ考えるみたいに黙り込んで、じっと私の顔を見つめた。その視線だけで落ち着かなくなる。数秒後、有馬さんがゆっくり口を開く。


「一個、お願いあるんだけど」

「……はい」

「名前で呼んで」


一瞬、思考が止まった。

名前。……名前!?有馬さんを!?

頭の中で“有馬さん”じゃない呼び方を想像した瞬間、ぶわっと顔が熱くなる。

無理無理無理。恥ずかしい。絶対無理。

そんな私を見て、有馬さんがまた笑った。楽しそうに目を細める顔が悔しい。この人、絶対分かってて言ってる。すぐ笑うし、よく笑うし。全然、鉄壁な男じゃない。むしろ、私で遊んでるまである。


「さ、先に有馬さんが呼んでくださいよ……!」


動揺のあまり、ついそんなことを言ってしまった。でも、たぶん。それが間違いだった。
有馬さんは少しも躊躇わなかった。まるで最初から呼ぶつもりだったみたいに、低く甘い声で、あっさり私の名前を口にする。


「弥生」


――っ。

心臓が止まるかと思った。普段、家族からも“ヤヨ”としか呼ばれない私にとって、名前をそのまま呼ばれるなんて破壊力が強すぎる。しかも、有馬さんの声で。

“弥生”って、大事に確かめるみたいに呼ばれてしまったら、もう無理だった。


「っ、むり……」


熱くなった顔を隠したくて、私は慌てて両腕で顔を覆う。すると有馬さんが、私の手首をそっと掴んだ。


「隠さないで」


優しい力で腕を下ろされる。真っ赤になった顔が、そのまま有馬さんの視線に晒される。


「弥生。呼んで」
< 173 / 175 >

この作品をシェア

pagetop