遅かれ、早かれ、恋になりまして。
「体調、大丈夫ですか」
有馬さんだった。私は反射的に顔を上げる。仕事中の表情のままなのに、その声だけ少し温度が違った。
「……え?」
「朝、少し辛そうだったので」
静かな声。誰にも聞こえないくらい小さい。私は慌てて視線を前へ戻した。
「だ、大丈夫です。寝不足なだけなので」
答えながら、自分でも分かるくらい声が小さくなる。エレベーターの階数表示がゆっくり減っていく。その短い沈黙が妙に長く感じた。
「無理しないでください」
有馬さんはそれだけ言って、また前を向く。その横顔はもう完全に仕事の顔へ戻っていて、さっきの言葉だけが少し浮いているみたいだった。
ピン、と音がして一階へ到着する。ロビーへ出ると、外の光が少し眩しかった。私は三人を入口まで案内して、立ち止まる。
「本日はありがとうございました」
高瀬課長がそう言って頭を下げ、私と八木くんも続いて会釈をする。
「こちらこそ、ありがとうございました」
田島さんが穏やかに返す。その後ろで、有馬さんがこちらを見る。ほんの一瞬だけ目が合った。
「では、また次回」
営業用の、綺麗に整った声。なのに今朝電車で聞いた低い声を思い出してしまって、胸の奥が妙に落ち着かなくなる。
「はい、よろしくお願いします」
なんとかそう返すと、有馬さんは小さく頷いた。
そのまま三人は自動ドアの向こうへ出ていく。離れていく背中を見送りながら、私はようやく小さく息を吐いた。緊張していたのか、思った以上に肩に力が入っていたらしい。