【忙しい人のための】シン・安倍晴明物語~天才陰陽師の恋~
第2話 承平・天慶の乱
承平八年(938)四月、平安京が未曾有の大地震に襲われた。このまま死んでしまうのではないかと思うほどの激しい揺れであった。多くの家屋が倒壊し、大勢の死傷者が出た。陰陽寮も少なからず被害が出た。晴明と保憲は地の震えに細心の注意を払いながら帰宅した。
この日の夜、晴明は玉屑の夢を見た。夢の中で、玉屑は冥府に赴き泰山府君に拝謁した。彼女は大地震について言及し、泰山府君に原因を尋ねる。彼いわく、地震は兵革の兆しだという。この頃、東国では平将門が、西国では藤原純友が反乱を起こしていた。玉屑は泰山府君に反乱を鎮める方法を尋ねるが、神仙が凡界の運命に介入することは許されないという。彼女は落胆し、東西の軍勢が平安京に攻め入る可能性はあるのかと尋ねた。だが、泰山府君のような強大な力をもつ神でも、未来のことは分からない。大勢の命が犠牲になり、都が滅ぼされる可能性もある。神でさえ天命には逆らえないのだ。それを聞いた玉屑は、悲痛な表情を見せた。その場で二人の会話を聞いていた晴明にも彼女の心痛が伝わり、胸が苦しくなった。玉屑は肩を落として冥府を退出した。晴明も彼女の後を追いかけて冥府を出ようとしたところ、眩しい光が差し込んだ。その瞬間、目が覚めた。
翌朝、晴明は朝餉の場で夢の内容を話した。彼は幼い頃に玉屑と出会って以来、たびたび彼女の夢を見ていた。賀茂忠行いわく、確かに地震は兵革の兆しだという。晴明はなぜか、起床してから強い不安感に苛まれていた。その原因は、彼自身にも分からない。玉屑の悲痛な面持ちが頭から離れないからだろうか。
陰陽頭の文武兼が大地震の吉凶を占ったところ、やはり兵革の兆しであった。世間の人々は、玉屑と同じように東西の軍勢による侵攻を恐れた。朝廷は災いを鎮めるために改元し、諸社奉幣と加持祈祷を行うと決めた。武兼は陰陽寮の皆に赤山禅院への参拝を勧めた。この寺院には陰陽道の祖神である泰山府君が祀られている。泰山府君は生死を司るから、兵乱の鎮圧を祈れば将門と純友を地獄に導いてくれるという。だが、晴明が見た夢が真実であれば、泰山府君が衆生の祈りを聞き入れることはないだろう。
晴明と保憲は赤山禅院を参拝した。境内を巡っても、泰山府君に関する記述はあれど、玉屑の名はどこにも見当たらない。やはり玉屑は、晴明の心が映し出した幻にすぎないのだろうか。落胆する晴明を保憲が慰める。幼い頃から何度も玉屑の夢を見るのは、晴明の人生にとって意味があるはずだと。
その日の夜、晴明は玉屑の夢を見た。夢の中で、玉屑は泰山の頂上から物憂げな表情で満月を眺めている。そこへ、彼女の兄の炳霊帝君がやってきた。彼は元気のない玉屑を心配しているようだ。玉屑は、平安京が東西の賊徒に滅ぼされる未来を危惧していた。ところが、炳霊いわく、東西の反乱は地方の蜂起にすぎず、彼らに朝廷を乗っ取る意志はないという。浄玻璃鏡を用いて、反乱で落命した死者の生涯を見て察したらしい。その言葉を聞いた玉屑は安堵した。その場にいた晴明も胸を撫で下ろした。
炳霊は、日本に兵革や天変地異が絶えないのは妖神が顕れる前触れではないかと推し量る。玉屑が日本の情勢を案じているのは、妖神を気にしているからだろうと。初めて聞く話題だ。晴明は二人の間に立ち、注意深く耳を傾ける。炳霊いわく、妖神は天地の始まりとともに生まれた存在で、玉屑と陰の精気を二分したらしい。妖神は唐土、天竺の王朝で悪行をなし、次は日本に襲来すると予測されている。玉屑が妖神を倒し魂魄を吸収すれば、彼女は真の神になれるという。だが、玉屑は神妙な面持ちで言葉少なであった。晴明は、彼女の視線の先にある満月を見た。満月が眩しく輝いた瞬間、目が覚めた。
翌朝、晴明は朝餉の場で夢の内容を話した。忠行も保憲も、東西の兵乱の実情を知り安堵する一方、妖神の存在に不安を募らせる。晴明は玉屑の態度を不可解だと感じた。彼女は妖神の討伐をためらっているようにも見えた。諸国で悪逆の限りを尽くした妖神を生かしておく理由はないはずである。曲がりなりにも自分と魂を分かち合った存在ゆえに、情があるのだろうか。
天慶二年(939)十二月、平将門の軍勢は常陸国を占拠し、印璽を強奪した。朝廷に反旗を翻す行動である。最終的に関東八カ国を占領した将門は新皇を称し、除目を行い東国の支配を企んでいるという。この知らせを受けた朝廷は騒然とし、将門の討伐を決めた。
忠行は藤原忠平に召され、兵乱鎮圧の秘法はないか尋ねられたという。以前、武兼は将門の名を記した人形を太一式盤の下に敷いて呪詛を行った。現状を踏まえると、呪詛の効験は見られなかったのであろう。しかし、陰陽道の祭祀や修法はあらかた出尽くした。忠平は他の陰陽師にも声をかけており、忠行は手柄を渡したくないという。晴明は、忠行から玉屑を心に強く念じて寝るよう促された。神託を期待してのことである。しかし、このような時にかぎり、夢に玉屑は現れない。切迫した状況のなか、空しく時が流れた。
一週間後、ようやく晴明の夢に玉屑が現れた。夢の中で、玉屑は冥官を集めて講義を開いた。冥官たちは夜遅くに召集されたことに不満を漏らしたが、玉屑は一喝して皆を静まらせた。昼の議会で居眠りしていたのだから、眠くはないだろうと。玉屑は妖神の襲来に備えて白衣観音法の練習をすると言い放った。赤山禅院の創立にも深く関わっている慈覚大師円仁が、唐土から日本に伝えた密教の修法である。玉屑は白衣観音法の呪文を唱え、冥官たちも後に続いた。唱和が何度か繰り返された後、晴明は目が覚めた。そして、忠行に夢の内容を報告した。
この日の夜、晴明は玉屑の夢を見た。夢の中で、玉屑は冥府に赴き泰山府君に拝謁した。彼女は大地震について言及し、泰山府君に原因を尋ねる。彼いわく、地震は兵革の兆しだという。この頃、東国では平将門が、西国では藤原純友が反乱を起こしていた。玉屑は泰山府君に反乱を鎮める方法を尋ねるが、神仙が凡界の運命に介入することは許されないという。彼女は落胆し、東西の軍勢が平安京に攻め入る可能性はあるのかと尋ねた。だが、泰山府君のような強大な力をもつ神でも、未来のことは分からない。大勢の命が犠牲になり、都が滅ぼされる可能性もある。神でさえ天命には逆らえないのだ。それを聞いた玉屑は、悲痛な表情を見せた。その場で二人の会話を聞いていた晴明にも彼女の心痛が伝わり、胸が苦しくなった。玉屑は肩を落として冥府を退出した。晴明も彼女の後を追いかけて冥府を出ようとしたところ、眩しい光が差し込んだ。その瞬間、目が覚めた。
翌朝、晴明は朝餉の場で夢の内容を話した。彼は幼い頃に玉屑と出会って以来、たびたび彼女の夢を見ていた。賀茂忠行いわく、確かに地震は兵革の兆しだという。晴明はなぜか、起床してから強い不安感に苛まれていた。その原因は、彼自身にも分からない。玉屑の悲痛な面持ちが頭から離れないからだろうか。
陰陽頭の文武兼が大地震の吉凶を占ったところ、やはり兵革の兆しであった。世間の人々は、玉屑と同じように東西の軍勢による侵攻を恐れた。朝廷は災いを鎮めるために改元し、諸社奉幣と加持祈祷を行うと決めた。武兼は陰陽寮の皆に赤山禅院への参拝を勧めた。この寺院には陰陽道の祖神である泰山府君が祀られている。泰山府君は生死を司るから、兵乱の鎮圧を祈れば将門と純友を地獄に導いてくれるという。だが、晴明が見た夢が真実であれば、泰山府君が衆生の祈りを聞き入れることはないだろう。
晴明と保憲は赤山禅院を参拝した。境内を巡っても、泰山府君に関する記述はあれど、玉屑の名はどこにも見当たらない。やはり玉屑は、晴明の心が映し出した幻にすぎないのだろうか。落胆する晴明を保憲が慰める。幼い頃から何度も玉屑の夢を見るのは、晴明の人生にとって意味があるはずだと。
その日の夜、晴明は玉屑の夢を見た。夢の中で、玉屑は泰山の頂上から物憂げな表情で満月を眺めている。そこへ、彼女の兄の炳霊帝君がやってきた。彼は元気のない玉屑を心配しているようだ。玉屑は、平安京が東西の賊徒に滅ぼされる未来を危惧していた。ところが、炳霊いわく、東西の反乱は地方の蜂起にすぎず、彼らに朝廷を乗っ取る意志はないという。浄玻璃鏡を用いて、反乱で落命した死者の生涯を見て察したらしい。その言葉を聞いた玉屑は安堵した。その場にいた晴明も胸を撫で下ろした。
炳霊は、日本に兵革や天変地異が絶えないのは妖神が顕れる前触れではないかと推し量る。玉屑が日本の情勢を案じているのは、妖神を気にしているからだろうと。初めて聞く話題だ。晴明は二人の間に立ち、注意深く耳を傾ける。炳霊いわく、妖神は天地の始まりとともに生まれた存在で、玉屑と陰の精気を二分したらしい。妖神は唐土、天竺の王朝で悪行をなし、次は日本に襲来すると予測されている。玉屑が妖神を倒し魂魄を吸収すれば、彼女は真の神になれるという。だが、玉屑は神妙な面持ちで言葉少なであった。晴明は、彼女の視線の先にある満月を見た。満月が眩しく輝いた瞬間、目が覚めた。
翌朝、晴明は朝餉の場で夢の内容を話した。忠行も保憲も、東西の兵乱の実情を知り安堵する一方、妖神の存在に不安を募らせる。晴明は玉屑の態度を不可解だと感じた。彼女は妖神の討伐をためらっているようにも見えた。諸国で悪逆の限りを尽くした妖神を生かしておく理由はないはずである。曲がりなりにも自分と魂を分かち合った存在ゆえに、情があるのだろうか。
天慶二年(939)十二月、平将門の軍勢は常陸国を占拠し、印璽を強奪した。朝廷に反旗を翻す行動である。最終的に関東八カ国を占領した将門は新皇を称し、除目を行い東国の支配を企んでいるという。この知らせを受けた朝廷は騒然とし、将門の討伐を決めた。
忠行は藤原忠平に召され、兵乱鎮圧の秘法はないか尋ねられたという。以前、武兼は将門の名を記した人形を太一式盤の下に敷いて呪詛を行った。現状を踏まえると、呪詛の効験は見られなかったのであろう。しかし、陰陽道の祭祀や修法はあらかた出尽くした。忠平は他の陰陽師にも声をかけており、忠行は手柄を渡したくないという。晴明は、忠行から玉屑を心に強く念じて寝るよう促された。神託を期待してのことである。しかし、このような時にかぎり、夢に玉屑は現れない。切迫した状況のなか、空しく時が流れた。
一週間後、ようやく晴明の夢に玉屑が現れた。夢の中で、玉屑は冥官を集めて講義を開いた。冥官たちは夜遅くに召集されたことに不満を漏らしたが、玉屑は一喝して皆を静まらせた。昼の議会で居眠りしていたのだから、眠くはないだろうと。玉屑は妖神の襲来に備えて白衣観音法の練習をすると言い放った。赤山禅院の創立にも深く関わっている慈覚大師円仁が、唐土から日本に伝えた密教の修法である。玉屑は白衣観音法の呪文を唱え、冥官たちも後に続いた。唱和が何度か繰り返された後、晴明は目が覚めた。そして、忠行に夢の内容を報告した。