【色彩奉納記】
第一章第一幕【赤の色神の神官】
奉納神楽から数日後。
僕は深蘇芳家の長い長い廊下を歩いていた。
一族代々使われてきたこの屋敷は広いだけで建付けが悪い。
その中唯一異質な離れ。
外へと繋がる廊下を歩いたその先にある主の部屋。
あまりにも色神への扱いとは言えない。
これだけでこの家の内情が分かってしまう。
きっと「あのお方は大切にされていない」と。
「牡丹様、いらっしゃいますか?」
「…はい。ここに」
障子の奥から鈴を転がすような声が響く。
僕はゆっくりと障子に手をかけ、中を見る。
部屋の真ん中に座っていた牡丹様。
机には本が広がっている。
おそらく読書をしていたのだろう。
タンスに差布団。
必要最低限のものしか置かれていないこの部屋は彼女の無欲さがうかがえる。
「…凛紅さん。えっと、こんにちは」
「はい。こんにちは」
「…」
「…」
お互い会話が得意ではないタイプだ。
いつも会話がこれで終わってしまう。
それにしても、机に置いてある本が不自然だ。
一冊は逆さまに広げられていて、もう一冊は栞が変な位置に挟まっている。
…何か隠していられる?
…少しカマをかけてみますか。
「…牡丹様失礼を承知で言いますが、その本、逆さまですよ」
「…えっ!?逆さま…?」
牡丹様は本を目に近づけて見た。
そんなに目が悪いお方とは聞いていないのだが。
もちろん本が逆さまなんでのは嘘だ。
だけど試してみたのは、本の中に何かを隠しているかもしれないから。
「…すみません。僕の見間違いでした。本は逆さまじゃありません」
「本当ですか…?良かった…!」
「良かった」とはなんなのだろうか?
でもこれで少なくとも本には何かを隠してないことはハッキリした。
僕は牡丹様の言葉の真意を探りながら、お茶をすることにした。
ふとお茶を置いたとき、牡丹様の手が微かに震えているのが見えた。
僕は気づかないふりをした。気づいてしまったら、余計なことを言いそうで。
***
凛紅さんはお茶を置くとき、わたしの手を見た気がした。
でも何も言わなかった。
それだけで、少し息ができた気がした。
「…?…あれ?」
よく見てみたら紙が逆さまだ。
最近こういうことが増えた気がする。
見えにくく、聞こえにくい。
今日だって凛紅さんが言ってることがあんまり聞き取れなかった。
これが神に近づいている証拠なのだろうか…?
深蘇芳家の本には「色神は彩る度に五感が薄くなる」って書いてあったのを思い出す。
それは「七色の神様が迎えに来てくれる証拠だと」。
…それが幸せなことなのかわたしにはよく分からなかった。
「…牡丹様!!」
「っはい!?」
「もう…さっきから呼んでるじゃないですか…」
「え、あぁすみません。考え事をしてました…」
「考え事ですか?」
「はい…。色々と」
いつからいたのだろうか?
大声で呼ばれてやっと気づいた。
きっと考え事をしていたから聞こえなかっただけで、聴覚が薄れたわけじゃない。
…そう信じないとわたしは壊れてしまう気がして。
凛紅さんが呆れたようにため息を吐く。
「ただ……もう少し、色神としての自覚を持たれては?」
言いかけて、凛紅さんは僅かに黙った。
「自分がどれほど……便利な道具として、期待されているか」
「……分かっていないようですね」
───『色神としての自覚を持て』
何度言われた言葉だろうか。
わたしがお姉様に代われないことなんて分かってる。
でも、でも…!
貴方だけには言われたくなかった…!
凛紅さんのこと、少し信じられるかもって思ってたんですよ…?
世界が暗くなっていく気がする。
手が冷えていく感覚がわたしを襲う。
凛紅さんの顔が満月の光のせいでよく見えない。
「…今日は帰ってください。凛紅さん」
「ッ…!僕は…!…いえ。なんでもありません。失礼します」
彼の足音が遠ざかっていく。
わたし達はこれからどうなっていってしまうのだろうか。
もしお姉様が目覚めてくれたらなと淡い期待を生んでしまう。
霞んで見える満月を見上げながらわたしは自分の手をさすった。
***
「どうして僕はあんな言い方しか出来ないんだ…ッ」
牡丹様を傷つけてしまった。
主を傷つけるなどあってはならないこと。
僕は道具になれなどと言いたかったわけではない。
ただ貴方個人が大切だと伝えたくて…!
今更に後悔しても遅い。
眩しいくらいに光る満月を背に拳を握る。
明日絶対に謝らなければ。
僕は深蘇芳家の長い長い廊下を歩いていた。
一族代々使われてきたこの屋敷は広いだけで建付けが悪い。
その中唯一異質な離れ。
外へと繋がる廊下を歩いたその先にある主の部屋。
あまりにも色神への扱いとは言えない。
これだけでこの家の内情が分かってしまう。
きっと「あのお方は大切にされていない」と。
「牡丹様、いらっしゃいますか?」
「…はい。ここに」
障子の奥から鈴を転がすような声が響く。
僕はゆっくりと障子に手をかけ、中を見る。
部屋の真ん中に座っていた牡丹様。
机には本が広がっている。
おそらく読書をしていたのだろう。
タンスに差布団。
必要最低限のものしか置かれていないこの部屋は彼女の無欲さがうかがえる。
「…凛紅さん。えっと、こんにちは」
「はい。こんにちは」
「…」
「…」
お互い会話が得意ではないタイプだ。
いつも会話がこれで終わってしまう。
それにしても、机に置いてある本が不自然だ。
一冊は逆さまに広げられていて、もう一冊は栞が変な位置に挟まっている。
…何か隠していられる?
…少しカマをかけてみますか。
「…牡丹様失礼を承知で言いますが、その本、逆さまですよ」
「…えっ!?逆さま…?」
牡丹様は本を目に近づけて見た。
そんなに目が悪いお方とは聞いていないのだが。
もちろん本が逆さまなんでのは嘘だ。
だけど試してみたのは、本の中に何かを隠しているかもしれないから。
「…すみません。僕の見間違いでした。本は逆さまじゃありません」
「本当ですか…?良かった…!」
「良かった」とはなんなのだろうか?
でもこれで少なくとも本には何かを隠してないことはハッキリした。
僕は牡丹様の言葉の真意を探りながら、お茶をすることにした。
ふとお茶を置いたとき、牡丹様の手が微かに震えているのが見えた。
僕は気づかないふりをした。気づいてしまったら、余計なことを言いそうで。
***
凛紅さんはお茶を置くとき、わたしの手を見た気がした。
でも何も言わなかった。
それだけで、少し息ができた気がした。
「…?…あれ?」
よく見てみたら紙が逆さまだ。
最近こういうことが増えた気がする。
見えにくく、聞こえにくい。
今日だって凛紅さんが言ってることがあんまり聞き取れなかった。
これが神に近づいている証拠なのだろうか…?
深蘇芳家の本には「色神は彩る度に五感が薄くなる」って書いてあったのを思い出す。
それは「七色の神様が迎えに来てくれる証拠だと」。
…それが幸せなことなのかわたしにはよく分からなかった。
「…牡丹様!!」
「っはい!?」
「もう…さっきから呼んでるじゃないですか…」
「え、あぁすみません。考え事をしてました…」
「考え事ですか?」
「はい…。色々と」
いつからいたのだろうか?
大声で呼ばれてやっと気づいた。
きっと考え事をしていたから聞こえなかっただけで、聴覚が薄れたわけじゃない。
…そう信じないとわたしは壊れてしまう気がして。
凛紅さんが呆れたようにため息を吐く。
「ただ……もう少し、色神としての自覚を持たれては?」
言いかけて、凛紅さんは僅かに黙った。
「自分がどれほど……便利な道具として、期待されているか」
「……分かっていないようですね」
───『色神としての自覚を持て』
何度言われた言葉だろうか。
わたしがお姉様に代われないことなんて分かってる。
でも、でも…!
貴方だけには言われたくなかった…!
凛紅さんのこと、少し信じられるかもって思ってたんですよ…?
世界が暗くなっていく気がする。
手が冷えていく感覚がわたしを襲う。
凛紅さんの顔が満月の光のせいでよく見えない。
「…今日は帰ってください。凛紅さん」
「ッ…!僕は…!…いえ。なんでもありません。失礼します」
彼の足音が遠ざかっていく。
わたし達はこれからどうなっていってしまうのだろうか。
もしお姉様が目覚めてくれたらなと淡い期待を生んでしまう。
霞んで見える満月を見上げながらわたしは自分の手をさすった。
***
「どうして僕はあんな言い方しか出来ないんだ…ッ」
牡丹様を傷つけてしまった。
主を傷つけるなどあってはならないこと。
僕は道具になれなどと言いたかったわけではない。
ただ貴方個人が大切だと伝えたくて…!
今更に後悔しても遅い。
眩しいくらいに光る満月を背に拳を握る。
明日絶対に謝らなければ。