今夜は君の夜屑
「達樹って、同期にいなかったよね…」
「あ…うん、中途で入った」
「そうそう、俺が初日の説明とか軽い面談を担当して、同い年って分かってちょっと喋ったよね」
「うん…」
達樹は会議室の中に入ってきて、静かにドアを閉めた。外のざわめきが途切れる。
さっきまで当たり前にあった音が消え、急に空気が密になった気がした。
「詩乃は新卒でここに?」
「うん、そうだよ」
「やー、俺もびっくりだなー流石に大学までは見なかったもんなー」
橋立がニコニコと笑いながら、自分の隣の椅子を引いて、朝川に座るように促した。
「それで、元カレなの?おもしろいねー」
「おもしろがらないで」
「二人は同期なんだよね…?」
「そうだよ、俺も新卒でここに。詩乃ちゃんは広報部」
「詩乃ちゃん?」
「…私が入ってたインカレサークルで一緒だったの」
「ああ、あのイベント企画の」
「よく覚えてるね」
詩乃と朝川のやり取りを楽しそうに見ていた橋立の視線に気づき、詩乃は慌ててパソコンに顔を落とした。また何かのネタにされるのは勘弁だ。
「じゃ、積もる話もありそうだけど、まぁそれは後日二人で飲みにでも行ってもらって、一旦仕事に戻ろっか」
「うん…」
朝川はまだ状況が飲み込めていないかのように曖昧に頷き、パソコンを開いた。
時計を見ると、開始時刻から数分過ぎていた。
「えーと、今回、中途採用コンテンツの見直しで、上から人材の再現性ちゃんと見ろって話が出て」
「はい」
「今、全社の人材データ見てるのが経営企画で、その担当が朝川くん」
「…よろしくお願いします」
朝川は遠慮がちに頭を下げた。
詩乃は気まずさから目を逸らし、パソコンのモニターに集中した。
「それで、応募は来るけどミスマッチ多い、早期離職が課題っていうので、こういう人がハマるっていうのをちゃんと出したい」
「それは、人事の感覚ベースで?」
「うん」
「…主体性とかコミュニケーション力があるとか、よくある言い方に寄ると思うんですけど、結局それってどの会社でも言ってるので、差別化にならないし、実際の成果ともズレることが多いかなと」
確かに、と橋立が頷いた。
視線の置き場がなくて、詩乃は採用ページが開かれたままのモニターを見つめた。
「で、実際に成果出してる人を見ていくと、もっと具体的で。仮説を立てる頻度とか、意思決定の速さとか、どのタイミングで人を巻き込むかとか」
「…記事に落としたら面白いかも?」
気づけば口に出していて、達樹が少しだけこちらを見たのが分かった。
目の前の橋立と視線が一瞬だけ合って、口角をあげた後に逸らされた。
右斜め向かいは、やっぱり見られない。
「面白いかもですね。ただ、そのまま書くと難しいんで、具体的なエピソードに落とした方が」
「うん、それはできる」
「…そうだね」
そう返ってきた返事が、どこか頭に引っかかる。
なんてことない肯定の返事なのに、距離の近さを感じるのはなぜか。
「よし、じゃあ」と橋立が空気を戻すように手を叩く。
「一旦、活躍人材の定義をざっくり出して、そのあと誰を取材するか決めよう。詩乃ちゃんはそれを記事に落とす。朝川くんはその定義とエピソードの整合性見てほしい」
「了解です」
「うん」
二人の返事が重なり、会議はそのまま進んでいく。
言葉は仕事として正しく積み上がっていくのに、上滑りしているような感覚が残る。
モニターを見つめる視線の端で、朝川が指を組む。
大学の頃、授業を一緒に受けていた時にしていた、話を聞く時の、癖。
議事録も担当していたことが幸いだったのかもしれない。モニターとタイピングに集中しているフリができるから。
懐かしい穏やかな声が、詩乃の頭を素通りさせてはくれない。
少し高くて、丸みを帯びた、柔らかい声。
「じゃあ、そんな感じで。まだ時間あるし、お二人はごゆっくりー」
ある程度話がまとまり、次回のミーティングの予定をすり合わせたところで、橋立はパソコンを折りたたんで二人の返事も聞かずに、するりと会議室を出て行った。
あの男、絶対に面白がっている。
真菜や橘に話が行く前に、できるだけこの場を穏便に切り上げたい。
「…あ、えっと…じゃあ?ね?」
自分でもよく分からないまま言葉がすべり落ち、詩乃はパソコンを閉じた。
特に話すこともなければ、未練があるわけでもない。
朝川だって同じようなものだろう、そう思って立ち上がると、すれ違った際に朝川が詩乃の手首を掴んだ。
「詩乃、話したい」
「えっ」
「あの時のこと、話したいとずっと思ってた。今日、時間ない?」
詩乃は足元に落としていた視線を、朝川に向けた。
からかっているわけではないことくらい分かっている。
そういう穏やかなところが、好きだったから。
「…えーっと」
「ちょっとでいい、嫌だったら途中で帰ってもらってもいい」
「い…いけど…」
ここでかわしても、いつかまた同じように誘われそうで、それなら今飲んでしまったほうが楽かもしれない。
そんな打算が咄嗟に働いて、詩乃は気づいたら頷いていた。
「ありがとう、あの…連絡先、教えてもらっていい?」
「あー…うん」
詩乃はポケットに手をやろうとして気づいた。
そうだ、今日はスカートだったと、パソコンの上に乗せていたスマホを取り出して、朝川にQRコードを見せた。
「写真…」
朝川が詩乃の連絡先を読み込んで、そうぽつりと言った。
何のことか分からずちらりと朝川のスマホ画面を覗き込むと、トークアプリの、自分のプロフィール画面が映っていた。
アイコンの奥に設定していた画像は、もうずいぶん前から変えていなかった、花火の写真。
「…忘れてただけ」
ああもう、最悪だ。
詩乃はスマホを再度パソコンの上に置き、振り返らないで会議室を出た。
ヒールが絨毯の床に沈み込む音がする。
「あ」
エレベーターに乗り込んで、自分の部に戻ろうとして、気づく。
奥の鏡に映るのは、黒いぴったりめなニットのトップスと、膝までのタイトスカート。
「めんどくさいことになりそう…」
最悪のコンボが揃っている状態に、詩乃はため息をついた。
一つしか下がらなかったエレベーターがすぐに到着音を鳴らし、詩乃の退出を促す。
無意識に手を顔に当てながら部署に戻った。
今日は仕事にならなさそうだ。