今夜は君の夜屑
 
 
 
 
 
ワンナイトは、若い頃は気楽でいいと思っていたけれど、執着されるのが鬱陶しくてしなくなった。
同じカテゴリーで付き合って別れると、気まずくなることを体感して、高校生の頃からは、自分の属していないコミュニティで彼女を作ることにした。

土日はどちらか会えればそれで充分だろうと思っていたし、平日はまっすぐ家に帰って、適当に腹を満たして寝ていたかった。
手料理を振る舞ってくれるのはありがたいと思っていたが、「手料理」と言いつつ惣菜を出されたことがあってから、その言葉を素直に受け取ることはなくなった。

「橘さん、おはようございます」
「おはよう」

コンサル部の山内に駅で声をかけられて、橘は挨拶を返した。
顔を向けて挨拶しているようには見えるかもしれないが、目は合わせない。
過度に期待をさせる気はないが、社内となるとそれなりの愛想も必要で、それが面倒だ。

「偶然ですね」
「そうだね」
「いつもこの時間ですか?」
「うーん、日によってバラバラかな」

こちらから会話を広げることはしない。
傾向を掴ませることも極力避けるが、この会社に入ってから、それでも積極性を失わない女性がそれなりにいることを知った。

「俺、ちょっとコンビニ行きたいから、またね」
「あっ、はい…また!」

「また」に返事はしない。
出口を上がって目の前が会社だが、すぐに左方向に身体を向け、歩き始めてから断る。事前に伝えておくと、「私も用事が」などと言われることがあるためだ。
手を振り、別れの姿勢を取ってから伝えると、今更の方向転換は流石にしにくいらしい。

無駄に朝からコンビニで何かを買う羽目になるが、一緒に出勤だと思われるくらいなら安いものだろう。

「あ、おはようございますー!」
「…おはよう、安達さん」

最近ペアを組まされている、同じ部署の新人の女の子が嬉しそうに駆け寄ってくる。
その手には、はちみつ梅と書かれたパッケージがあって、こういうのが好きなんだと意外に思うが、そういうことは口には出さない。

「見てください!限定のはちみつ梅なんですー!かわいいでしょ」
「ほんとだ、そのキャラクター可愛いね」

ふわりと巻かれた髪は綺麗に下ろされていて、もう八月だというのに暑そうだ。
この見た目で梅干しを好んでいる、というのがいわゆるギャップなのだろうが、そんなものは計算に決まっている。早く諦めればいいのに、と思う。


驕りではない。
今までの経験で、そうならざるを得なかったからだ。
だから、誰にもこんな考えは話したことがない。


「橘さんも食べます?美味しいの」
「ううん、俺、朝はあんまり食べられなくて。コーヒー買ってくるね」

会計を終えたらしいその袋から、どうぞと差し出してくるその容姿は確かに可愛く、周りの男たちが騒ぐのも理解できる。きっと、昔の自分だったら、同じ会社でなければ手を出していただろう。


余裕があるのではなく、経験豊富なわけではなく、冷めているだけだ。
きっと誰もが、俺の顔が整ってなかったら、好きだとは言わなかっただろうに。


「コーヒーお好きですねー!」
「じゃあ、また後でね」

だから、君もそういうところが可愛いと思う男と順当に付き合ったらいい。
俺は、性格が悪いから、きっと君の望むものはあげられない。




レジでまっすぐアイスコーヒーのMサイズを頼んで、電子マネーで会計をする。
ここのコンビニは外国人の店員が多くて、ありがたい。
俺の顔は、外国人には刺さらないようだと知っているから。

コーヒーがプラスチックのカップに溜まるのを見つめながら、ぼうっとスマホを取り出した。

【今日は一日外?】と届いていた、詩乃からのメッセージに【ずっと会社だよ】と返信をする。最近あまり会社では詩乃を見かけない。大きな会社なので当たり前かもしれないが、それが少し物足りない。

すぐに既読がついて、【今日のお昼は私は真菜とランチだよ】というメッセージと、目をうるうるさせた絵文字が送られてくる。
そうか、昼も会えないのか。そう思って、【夜は来る?行く?】と返すと、【おいでー、今日はご飯は外で食べたい気分】と、ハートマークがついて返ってきた。

なんでもいい、会えるなら。
飯なんか何でもいいし、どっちの家でもいい。
作ってもらえるならそれはとても嬉しいが、自分が作れないので強要はしたくない。詩乃がやりたいようにやってくれればいいと思っている。

「それで、昨日の飲み会でさ、途中で帰っちゃって。家が近いとか言って!」
「家が近いはヤバい!なんで?会社の飲み会で抜け出すとかある?」
「いやなんか、飲みすぎたらしいんだけど、そんなに飲んでなかった感じするんだよねー」

背後から聞こえてきた声に振り返ると、同じ部署の一つ下の後輩が、知らない顔の女の子と歩いていた。
ちょうどコーヒー抽出完了の電子音が鳴って、隣の棚のカップとストローを持って、その場をずれた。

そういえば、昨日詩乃も飲み会って言っていて、この子もハシケンとのプロジェクトに参加していたんじゃなかったか?

背中を冷たいものが這ったような感覚がして、スマホを仕舞って足を進めた。
幸い気付かれていない。始業まで時間もある。まだ買いたいものがあるふりをして、なんとなく棚を見ながら足を進める。

「中途なのにそんなに仲良いの?」
「さぁ、年は一緒っぽいよ。元々は三人でやってて広げたプロジェクトだから、そこで仲良くなったのかな?」
「手ぇ早くない?」
「ねー、そのままタクシーで送ってったって。平日からお持ち帰りかよって」
「やば、ちょっと今後も展開教えて」
「スンッて感じの人だし、もう尻尾出すかなー…」

飲み物の棚からサンドイッチコーナーまで歩きながら聞いて、これ以上はと思って離れた。

ふうん。そういえば昨日は、飲み会が終わったとか、今帰りだとか、そういう連絡はなかったね。
帰宅したことしか知らせてこなかったあのメッセージの裏には、そんな背景があったのかな?

コンビニを出ると、サウナのような熱風が自分を包んだ。
会社が近いだけあって、利用者が多いのは分かっていたが、あんな話を朝からコンビニで大声でするなんて、向いてないね。俺が管理者なら、評価落としちゃうな。


ガシャガシャと、安っぽいプラスチックの容器の中で氷がぶつかり合って音を立てる。
手の熱と気温で、コーヒーはすでにたらりと汗をかいていた。


凪のような人だ。
いつも涼しい顔をして、自分から男に媚びたりしない。
淡白なのに流されやすくて、境界線が曖昧。

誰に対しても受容的で、誰にも芯を掴ませない。
有能で自立していて、冷たいように見えるぶん、その内側に入った男はきっとじわじわ惹かれていく。

「好きだ」ではなく、「欲しい」と思わせる。

手に入ったはずなのに、掴んでいる実感がまるで湧かない。
宙に浮いているかのようで、放っておいたらどこかに飛んでいってしまいそう。
そしていつか、また誰かに拾われた先で、俺と同じように、すべてを受け入れてほしいと思わせていく。


シャツの下に着ているドライインナーが、すでに肌にへばりついて汗を吸っている。

今夜、詩乃から話があるだろうか。
詩乃を、繋ぎ止めておくには、どうしたらいいんだろうか。

物理的に囲うしか方法がないような気がする彼女が、俺だけだと言っているうちに、どうにか、手の中に。


 
 
 
 
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