少年吸血鬼はハンターの未亡人に愛を捧げる
アルフォンスの正体と、ナタリアが選んだもの
アルフォンスは必死の表情で窓を叩いているが、音は全くしない。窓が揺れることもない。
その様子はヴェネディクトが死んだ日と全く同じだった。
背後の男は何かブツブツと呟きながらナタリアに迫る。
その口元からは血混じりの泡がブクブクとあふれてきて、男が着ているシャツを汚している。
水夫か漁師だろうか、磯臭い体臭は血の匂いと混じり、吐き気をもよおさせられる。
「ああっ⋯」
床に映るアルフォンスの影は、まだ激しく窓を叩き続けている。
ナタリアの中で、その時何かがプツンと切れたような気がした。
(そうだわ⋯⋯どうせ殺されるのなら、美しいほうがいいわ)
今見ているのはさっき見た夢の続きに違いない。
ナタリアは大急ぎで窓を開けた。
「アルフォンス様、助けて!」
ナタリアは羞恥をかなぐり捨てて、突然現れた美しい少年の胸に飛び込んだ。
「ナタリア、無事か⁉︎」
その言葉にナタリアは新たな涙を滲ませて頷いた。
室内にいた男は、怖じ気付いたように後退りしながら、ナタリアを見つめている。
だが、とうとう目の前の餌に耐えられなくなったように、四つ足の動物の動作でナタリアに飛び掛かった。
「ひっ」ナタリアの喉からは情けない声しか出ない。
だがアルフォンスが優美な動きで男の背から銀のナイフを抜き取ると、今しもナタリアに喰らいつかんとしていた男の心臓に、ズブリ⋯⋯と突き刺した。
「薄汚い悪食め、一族の誇りを持たぬ者!」アルフォンスが鋭く言い捨てる。
男の体はナイフに突きさされたまま、色を塗り忘れた絵のように白く色を失っていき、しばらくすると細い末端の部分から灰に変わっていく。
短剣は支えを失ってトッと軽い音を立てて床に突き立った。
さっきまで人だったものがその形を失うのをナタリアは直視出来ず、アルフォンスの胸に縋った。
すると、彼の手から髪の毛が焦げるような不快な匂いがしているのに気が付いた。
先ほど男にナイフを立てた時と同じ匂いだ。男はもう完全に真っ白な灰になり、それすらも風に散ろうとしていた。
ナタリアはアルフォンスの手を取って開いた。
「い⋯っ!」アルフォンスが叫んで手を引っ込めた。
手の平からは、焼けた肉のにおいがした。
「アルフォンス様⋯⋯あなた」
ナタリアはただナイフを握っただけの彼の傷がこんなにも焼けただれる意味を知っていた。
「あなたは⋯⋯」
だが、アルフォンスはナタリアが最後まで言い切らないうちに「そうだ」と重い声を発した。
アルフォンスが、さっとナタリアから離れてベランダに体をすべらせた。
「アルフォンス様⋯⋯助けてくれて、ありがとう。あなたがいなかったら、私はあの男に殺されていたわ」
ナタリアはそう言いながら、手負いの獣にそうするようにゆっくりとアルフォンスに近づいた。
「⋯⋯俺は、バンパイアだ。俺があんたを助けたのは、ただ獲物を横取りされたくなかっただけだ」
アルフォンスは焼けた匂いのする手を庇うようにあとずさった。
ナタリアは、少年に自分の獲物だと言われたことに激しい高揚感を感じていた。
「私が自分で選んだの。あの男よりあなたが良いって」
ナタリアが近づくとアルフォンスはベランダの手すりにぶつかって、ナタリアを見返した。
月に照らされたその顔は苦しげで、荒い呼吸を繰り返している。
「アルフォンス様」
ナタリアはアルフォンスの顔を覗き込んで、思わずハッと息をのんだ。
その瞳が赤く、闇夜の獣のように光って見えたからだ。それに、わずかに覗く犬歯が鋭く尖っている。
アルフォンスはノロノロと震える手を伸ばして、ナタリアの手を握った。
ナタリアが手をひっこめる間もなく、彼はナタリアの手のひらにちゅっと口付けた。
「あっ⋯⋯!」
それは、先日フォグリア家の別荘へ向かう途中で転んで作った傷だった。
決して深くはないのだが、チリチリとした痛みが続いていた。
アルフォンスが、傷口を啄んで吸い上げた。
「ああ⋯⋯」
ナタリアから、切なく熱を持った吐息がこぼれる。
これはナタリアが自ら望んだ事だった。ナタリアは望んでいたのだ。夫ヴェネディクトと同じくバンパイアの血肉になることを。
夫と又一体になる事を。
そして、あの醜い男ではなく、この美しい少年の獲物になりたいとナタリア自身が願ったのだ。
「ナタリア⋯⋯」アルフォンスが、見下ろしながら厳かにナタリアを呼んだ。
ナタリアの記憶の中から、夫との結婚式で呼ばれた自分の名前が浮き上がる。
『汝、ナタリア・リッツ……』
ハァッと、ナタリアの吐息がまたこぼれた。
ヴェネディクトの優しいまなざし、父親の笑顔、参列者達の拍手。
それらが、砕け散るガラスのように散りぢりになり、
この昏い夜の中でキラキラときらめいている。
少年とのわずかな距離がもどかしい。ナタリアは今、こんなにも彼の牙を待っているのに。
『ナタリア、僕の可愛い人』
記憶の中で、夫が甘く囁く。
ナタリアは熱に浮かされたように、ずっと求めて来た愛おしい名前を呼んだ。
「ヴェネディクト!」
ナタリアは夢見ごこちでアルフォンスの体に縋りついた。
「ああっ、ヴェネディクト、ヴェネディクト!」
アルフォンスが気圧された表情でナタリアを引き剥がした。
彼女を見るアルフォンスの頬はひくりと引きつり、恐ろしいものを見たように見開かれている。
そして、次の瞬間アルフォンスの姿は黒い霧に変化し、そのまま窓から流れ出るように月夜の空に消えて行った。
その様子はヴェネディクトが死んだ日と全く同じだった。
背後の男は何かブツブツと呟きながらナタリアに迫る。
その口元からは血混じりの泡がブクブクとあふれてきて、男が着ているシャツを汚している。
水夫か漁師だろうか、磯臭い体臭は血の匂いと混じり、吐き気をもよおさせられる。
「ああっ⋯」
床に映るアルフォンスの影は、まだ激しく窓を叩き続けている。
ナタリアの中で、その時何かがプツンと切れたような気がした。
(そうだわ⋯⋯どうせ殺されるのなら、美しいほうがいいわ)
今見ているのはさっき見た夢の続きに違いない。
ナタリアは大急ぎで窓を開けた。
「アルフォンス様、助けて!」
ナタリアは羞恥をかなぐり捨てて、突然現れた美しい少年の胸に飛び込んだ。
「ナタリア、無事か⁉︎」
その言葉にナタリアは新たな涙を滲ませて頷いた。
室内にいた男は、怖じ気付いたように後退りしながら、ナタリアを見つめている。
だが、とうとう目の前の餌に耐えられなくなったように、四つ足の動物の動作でナタリアに飛び掛かった。
「ひっ」ナタリアの喉からは情けない声しか出ない。
だがアルフォンスが優美な動きで男の背から銀のナイフを抜き取ると、今しもナタリアに喰らいつかんとしていた男の心臓に、ズブリ⋯⋯と突き刺した。
「薄汚い悪食め、一族の誇りを持たぬ者!」アルフォンスが鋭く言い捨てる。
男の体はナイフに突きさされたまま、色を塗り忘れた絵のように白く色を失っていき、しばらくすると細い末端の部分から灰に変わっていく。
短剣は支えを失ってトッと軽い音を立てて床に突き立った。
さっきまで人だったものがその形を失うのをナタリアは直視出来ず、アルフォンスの胸に縋った。
すると、彼の手から髪の毛が焦げるような不快な匂いがしているのに気が付いた。
先ほど男にナイフを立てた時と同じ匂いだ。男はもう完全に真っ白な灰になり、それすらも風に散ろうとしていた。
ナタリアはアルフォンスの手を取って開いた。
「い⋯っ!」アルフォンスが叫んで手を引っ込めた。
手の平からは、焼けた肉のにおいがした。
「アルフォンス様⋯⋯あなた」
ナタリアはただナイフを握っただけの彼の傷がこんなにも焼けただれる意味を知っていた。
「あなたは⋯⋯」
だが、アルフォンスはナタリアが最後まで言い切らないうちに「そうだ」と重い声を発した。
アルフォンスが、さっとナタリアから離れてベランダに体をすべらせた。
「アルフォンス様⋯⋯助けてくれて、ありがとう。あなたがいなかったら、私はあの男に殺されていたわ」
ナタリアはそう言いながら、手負いの獣にそうするようにゆっくりとアルフォンスに近づいた。
「⋯⋯俺は、バンパイアだ。俺があんたを助けたのは、ただ獲物を横取りされたくなかっただけだ」
アルフォンスは焼けた匂いのする手を庇うようにあとずさった。
ナタリアは、少年に自分の獲物だと言われたことに激しい高揚感を感じていた。
「私が自分で選んだの。あの男よりあなたが良いって」
ナタリアが近づくとアルフォンスはベランダの手すりにぶつかって、ナタリアを見返した。
月に照らされたその顔は苦しげで、荒い呼吸を繰り返している。
「アルフォンス様」
ナタリアはアルフォンスの顔を覗き込んで、思わずハッと息をのんだ。
その瞳が赤く、闇夜の獣のように光って見えたからだ。それに、わずかに覗く犬歯が鋭く尖っている。
アルフォンスはノロノロと震える手を伸ばして、ナタリアの手を握った。
ナタリアが手をひっこめる間もなく、彼はナタリアの手のひらにちゅっと口付けた。
「あっ⋯⋯!」
それは、先日フォグリア家の別荘へ向かう途中で転んで作った傷だった。
決して深くはないのだが、チリチリとした痛みが続いていた。
アルフォンスが、傷口を啄んで吸い上げた。
「ああ⋯⋯」
ナタリアから、切なく熱を持った吐息がこぼれる。
これはナタリアが自ら望んだ事だった。ナタリアは望んでいたのだ。夫ヴェネディクトと同じくバンパイアの血肉になることを。
夫と又一体になる事を。
そして、あの醜い男ではなく、この美しい少年の獲物になりたいとナタリア自身が願ったのだ。
「ナタリア⋯⋯」アルフォンスが、見下ろしながら厳かにナタリアを呼んだ。
ナタリアの記憶の中から、夫との結婚式で呼ばれた自分の名前が浮き上がる。
『汝、ナタリア・リッツ……』
ハァッと、ナタリアの吐息がまたこぼれた。
ヴェネディクトの優しいまなざし、父親の笑顔、参列者達の拍手。
それらが、砕け散るガラスのように散りぢりになり、
この昏い夜の中でキラキラときらめいている。
少年とのわずかな距離がもどかしい。ナタリアは今、こんなにも彼の牙を待っているのに。
『ナタリア、僕の可愛い人』
記憶の中で、夫が甘く囁く。
ナタリアは熱に浮かされたように、ずっと求めて来た愛おしい名前を呼んだ。
「ヴェネディクト!」
ナタリアは夢見ごこちでアルフォンスの体に縋りついた。
「ああっ、ヴェネディクト、ヴェネディクト!」
アルフォンスが気圧された表情でナタリアを引き剥がした。
彼女を見るアルフォンスの頬はひくりと引きつり、恐ろしいものを見たように見開かれている。
そして、次の瞬間アルフォンスの姿は黒い霧に変化し、そのまま窓から流れ出るように月夜の空に消えて行った。
