幼なじみの救命士は、再会した初恋の私を今度こそ逃がさない 〜拒否権なしの溺愛同居〜

第4話 安心の先にある、ほころび

夢の世界から引き戻された瞼が、ゆっくりと上がっていく。
スウィートオレンジの控えめな香りが、ここが誰のベッドなのか教えてくれた。

(初めて、はる兄のベッドで寝てるんだ……)
 
軽く身じろぐも、がっちりと腕も足もホールドされていて動けない。
どうにか視線だけ動かして、時計に目をやると、もう十五時を過ぎていた。
 
「うそっ!もうそんな時間?!」
 
あれから、どれだけ眠ったんだろう。 
寝不足なのは芽依子も同じで、そのまま一緒に寝落ちたらしい。
隣の遥希はまだ寝ているので、起こさないよう脱出を試みる。

「んー……こら、めい……どこ行くねん」

伸びてきた手が、額に触れる。
確認したはずなのに、今度は額と額を合わせてもう一度、確かめる。 
子どもみたいに扱われてるのに、嫌じゃない。
——むしろ、ほっとしてしまう。
  
「熱はないな」
「大丈夫だよ……」
「雨に濡れたん、甘く見んな。……風邪ひかれたら困るん、俺やねんから」
「それ言うなら、はる兄もだよ。健康第一」
「ほなもうちょい、ゴロゴロしとこ」
 
片手分しかない距離にある遥希の顔。  
昨日の激情がうそみたいに、穏やかな寝起きの表情。
それは芽依子だけにしか見せていないと、瞳が伝えている。
 
「めーい、めい、めい……」
「……なに?」
「呼んだだけー」

遥希は布団を掛けなおして、子どもじみた笑顔でもぐる。
昔、二人で昼寝をしていた頃と変わらない顔。
離れていた時間なんてなかったみたいに――芽依子の鼓動を震わす。 

「今日の晩めし、何食べたい?」
「んー……オイルパスタかなぁ」
「了解。まかせとき」
 
(はる兄といると、全部うまくいく気がする)

(あとは、あたしが選んで飛び込むだけだよね)

遥希お手製のアーリオオーリオのパスタは、オリーブオイルが香る幸せの味だった。

*** 
ピーッピーッと、乾燥機の仕上がり音が聞こえる。
夕飯の洗い物を終えた芽依子は、洗面所に向かった。
遥希が入浴中なので、手早く引き上げて、リビングで畳んでいく。

(あ、このタオル、そろそろ替えどきかも……)  

(はる兄のハンカチは、あとでアイロンして)

(乾燥機があるって便利だな……二人分もあっという間に乾く)

芽依子を助けるための同居も、少しずつ二人暮らしのそれのように馴染んできている。
最初は戸惑っていた遥希の洗濯物も、今ではちゃんと直視できるようになった。

(あ……)

芽依子は、薄グレーの上着――救急服を手に取る。
畳んだものの、もう一度ひろげてみる。        
昨日、自分を守るように包み込んでくれたあの時の感触と、微かに残る彼の匂い。
思わずそれを抱きしめて、顔を埋めてしまう。

(はる兄の匂い……。すごく、落ち着く……)
 
「はる兄……」

自分でも気づかないくらい小さく呼びながら、制服を強く抱きしめる。
 
「……何してんの、めい」

一瞬、言葉を失う芽依子に、遥希がゆっくり近づいてくる。

「……そんなんされたら、仕事行くの嫌になるやん」

後ろから、制服ごと芽依子を抱き寄せる。
まだ濡れている髪の先から、一滴の雫が芽依子の頬を撫ぜていく。

「はる兄っ……」  
「俺おらんでも、制服で我慢できるん?」

耳元で囁かれた熱は、体温と溶けあって凶暴なほどに――芽依子の躊躇いを、易々と踏み越えていった。 
抱きしめられた腕は、一瞬だけ強くなり、そっと離れる。

(もう、近い距離だけじゃ、物足りなくなってる)

芽依子の中で、少しずつ芽吹いていく、まだ名もなき感情。
 
「洗濯もん、ありがとうな。めいも風呂っといで」
「……うん。でも、はる兄、先に乾かさないと」
「じゃ、めいがやって」

返事も待たずに、畳んだタオルを持って洗面所に行く遥希。
すぐさま、ドライヤー片手に戻ってくる。

「はい、よろしくー」

床に座って、ぺこりと頭を下げて突き出す。
温風に乗って香る匂いは、同じシャンプーのもの。
手櫛でとかしていると、気持ちよさげに目を細めるのも、こんな甘えた遥希を知っているのは、自分だけ――そんな優越感にも似た充足感で満たされていった。
 
「試験対策問題集?……」

乾かし終えた遥希の目線にある一冊の本。 
食後に目を通そうと、芽依子がダイニングテーブルに置いていたものだ。

「今度、主任登用試験があって、受けてみないかって」
「へぇー、ええやん。めいなら受かるわ」
               
遥希は当然みたいに言って、問題集をぱらぱらとめくる。

「でも、総務って覚えること多そう……」
「うっ……数字とか規定とか、苦手で」
「じゃ、俺が問題出したる」
「え?」
「夜、勉強会したるやん」
 
(まだ……受けるか悩んでるんだけど……)
 
当たり前みたいに隣にいる言い方。
それが嬉しくて、少しだけ苦しい。
 
「……はる兄って、なんでもできるよね」
「めい甘やかすんは得意やで」

くしゃりと笑って、遥希は芽依子の頭を軽く撫でる。
 
「はる兄はどうやって救急救命士の勉強してたの?」
「俺は、職場から専門学校に行ってたから、必然的にやるしかない環境やってん」
「そっか。国家資格だもんね……やっぱり凄いよ、はる兄」 
「俺は、自分で頑張ろうとしてるめいのが凄いで。そういう頑張り屋なとこも好きやで」

その一言が、胸の奥へ静かに沈んでいく。
守られてるだけじゃない。
ちゃんと、自分を見てくれてる。

(……やっぱり、はる兄が好き)

素直に自然に、すとんと胸に落ちる、そう認めた瞬間だった。
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