苦くて甘い恋のゆくえ~無機質な堅物上司がメンターですが、本音なんて言えません~
「どうした?」
「いえ。何も……」
俺はわざとボタンを押して再度扉を閉め、敢えて二人きりの状況を作った。彼女は驚いたような顔でこちらを見上げてる。
「いいか。何か困った時はすぐ俺に相談しろ」
「は、はい……わかりました」
伝え終わると、ボタンを押して扉を開け、芦原を降りるように促した。
彼女は下を向いたまま、まっすぐに企画課の方へ歩き出す。廊下はひと気もなく、静まり返っている。一呼吸置いて、こちらもすぐにエレベーターを出た。
誰もいない廊下の途中、窓から見える遠くのビルに視線を向け、長く息を吐いた。
何かがおかしい。彼女の声を、表情を、指先を、必要以上に意識してしまう。
誰かに対してこんな感情抱くのは初めてかもしれない。
学生時代から女性と付き合う経験はあったが、自然と恋人の関係になることが多く、自分から積極的に動くことはあまりなかった。
いつかこの感情が抑えられなくなり、彼女の心に踏み込んでしまったら……。
だが、上司としての立場を利用したくはない。
今はメンターとして、彼女のサポートに徹するべきだ。そう自分を戒める。冷静な自分を演じるのは慣れている。アンドロイドと揶揄されるように、自分の感情をかき消すことくらい容易なはずだ。
片手でメガネの位置を調整すると、すぐに自分の席へと戻った。