Over the moon
Vol.5
でも、夢は夢。現実とは違うモノ。
そう考えるようになった紗月は生活という形のある現実を選び、その代償に夢という形のないものを置き去りにしてきた。
しかし、朋也を見ているともう一度チャレンジしてみたいという気持ちが何処からか沸いてくる。
― 不思議だな。どうしてこんな気持ちになるんだろう。
紗月は気を取り直し、夜空を見上げながら朋也に尋ねてみた。
「朋也くんは宇宙が好きなんだね。将来の夢は天文学者なのかな」
その言葉を聞いた朋也は穏やかな笑みを浮かべ紗月を見つめた。その真っ直ぐな瞳に紗月はドキリとした。
「そうです。博士号は必ず取得したい。そして、最終的な目標は宇宙飛行士になってあの月に行くことです。でも……」
「でも……何?」
紗月が不思議そうに首を傾げると、朋也は妙にサバサバとした表情になった。
「まいったな、すごく不思議です。何だか紗月さんとは初めて会った気がしない。昔からの知り合いのような気がするんです。もっとたくさん、色々なことを話してみたい」
朋也の言葉に紗月は小さく頷いていた。
「私もそう思っていたわ。あなたと話していると、何だか不思議な気持ちになるの」
二人は互いに見つめ合ったあと、くすくすと笑い出し始めた。
「感性とか趣味が似ているとかよく分からないけど、気が合うっていうのかな?」
「そうね。話していても気が楽って感じもするわ」
朋也は笑いながらシートの上に大の字に寝転がると真顔で呟いた。
「もう普段通りの自分で話します。生意気になると思うけど勘弁して下さい」
「構わないわよ。そのほうが話しやすいと思うわ」
長い夜になるかも、と紗月は思っていた。
夜空に浮かぶ月はゆっくりと西に傾きかけている。あと何時間かすれば月は沈み、やがて夜明けがやってくるだろう。
「僕の今の両親は再婚同士。家族は母、そして義父に義妹がいます」
月を見上げながら、朋也は物静かな感じのする口調でゆっくりと語りはじめた。
朋也の実父は考古学者で、世界中を巡り発掘調査などの仕事をしていたという。
朋也が七歳の時、父親は崖から足を滑らせ滑落死という最後を遂げていた。母は悲しみながらも幼い朋也と暮らしていくため知人を通じ、私立大学の図書室の司書として働きはじめた。
幾つかの季節が過ぎた頃、母は勤務先で医学部の教授と知り合った。相手も妻と死別しており、再婚に至るまでそう時間はかからなかった。
義父は朋也を実の息子のように慈しみ、三歳違いの美月という名の可愛いらしい義妹も出来た。朋也にとって穏やかで幸せな時間はゆっくりと流れて行き、彼は何時しか中学二年生になっていた。
ある日、飛び抜けて成績の良かった朋也に義父が将来の夢は何かと尋ねてきた。朋也は小さな頃から好きだった宇宙への憧れと夢を義父と母に語って聞かせた。
『僕は将来、宇宙飛行士になりたいんだ』
その言葉を聞いた途端、母親の顔が凍りついた。
母は目を潤ませながら何故、そんな危険な仕事に就きたいのかと声を震わせた。
スペースシャトルが空中爆発をし、搭乗員全員が死亡するという事故が記憶に新しい頃だった。実父の死も不慮の事故だったとはいえ、残された母は辛い思いをしたのだろう。朋也はこんなにも淋しく、悲しみを湛えた母の顔を見たのは初めてだった。
留守ばかりだった実父の代わりに愛情をたくさん注いでくれた優しい母。そんな母に悲しい顔をさせてはいけないという気持ちが、思春期だった彼の胸の奥深くに刻まれた。
それ以来、朋也は宇宙という言葉を両親の前では口に出さなくなった。
高校も義父の母校だった有名私立大学の付属高校を受験し、トップクラスの成績で入学した。自分の気持ちを偽り、想いを胸の奥底に沈めながら。
しかし、朋也が高校生活に馴染みはじめた頃、世界は宇宙開発への新しい技術や新発見を次々と発表していった。その革新的な進歩には目を見張るものがあった。宇宙への関心を封印していたとはいえ、それらのニュースは朋也の心を奪うものばかりだった。
心の奥底にある宇宙への憧れ、宇宙飛行士になりたいという夢は日を追う毎に大きく膨らんでいく。
高校生になると、自分の行動範囲と友人関係が加速度をつけて広がっていった。
朋也は親の目を盗み、夜中に家を抜け出しては天文サークルの観測会に参加したり、そこで知りあった知人の私設観測所に同級生との勉強会と偽りながら入り浸るといった日々を続けた。
大学受験が近づいたある日、朋也は意を決し両親に自分の進みたい道を伝えた。
義父は目を細め、お前の人生なのだから好きなことをやりなさいと言ってくれた。
しかし母は義父の手前、反対こそしなかったものの明らかに朋也に対して何かを訴えたいといった様子が見て取れた。
元来、丈夫とはいえなかった母はやがて床に伏した。
主治医からは精神的な疲れが原因と診断され、彼女が不安に思っていることに心当たりがあるのなら家族皆で協力して取り除いてあげなさいと言われた。
自分のせいなのだと朋也は確信していた。夫が非業の死を遂げたにも拘わらず、息子までもが危険と思われるような道を選ぼうとしている。そんな不安から母は病に倒れたのだと。
母の胸中がどのようなものだったか、痛いほど分かっているつもりだった朋也は何も言わずに医学部への願書を提出した。
義父はほんとうにそれでいいのかと言ってくれたが、これ以上の迷惑を掛けたくはなかった。 義父だからという遠慮も心の何処かにあったのだ。
朋也は現役でK大医学部に合格した。
やがて母の具合は持ち直し、家族それぞれが普通の生活へと戻っていった。これで良かったのだと朋也は自分に言い聞かせた。
ご近所からは優秀で良く出来た息子だと評判だったが、朋也の心の中は何時の間にか屈折し歪んだものへと変化していった。
大学の講義は真面目に受講し、優秀な成績を修めてはいたが鬱積していく気持ちをどうしていいのか分からずにはけ口を求め、夜になると少し離れた街の繁華街に出掛けて遊び始めるようになった。
繁華街ではほんとうの自分を隠すように軽いノリの若者を演じることで、次第にほんとうの笑顔も忘れていくようになっていた。
しかし、そんな朋也を変わることなく見守っていたものが二つあった。
ひとつは時折、観測に行って眺める美しい星空だった。自分を迎えてくれるように輝く星々。その星々を抱き、果てしなく広がる宇宙を見ているだけで心が落ち着き、朋也は本来の自分を取り戻すことが出来ていた。
そしてもうひとつは義妹の美月だった。
そう考えるようになった紗月は生活という形のある現実を選び、その代償に夢という形のないものを置き去りにしてきた。
しかし、朋也を見ているともう一度チャレンジしてみたいという気持ちが何処からか沸いてくる。
― 不思議だな。どうしてこんな気持ちになるんだろう。
紗月は気を取り直し、夜空を見上げながら朋也に尋ねてみた。
「朋也くんは宇宙が好きなんだね。将来の夢は天文学者なのかな」
その言葉を聞いた朋也は穏やかな笑みを浮かべ紗月を見つめた。その真っ直ぐな瞳に紗月はドキリとした。
「そうです。博士号は必ず取得したい。そして、最終的な目標は宇宙飛行士になってあの月に行くことです。でも……」
「でも……何?」
紗月が不思議そうに首を傾げると、朋也は妙にサバサバとした表情になった。
「まいったな、すごく不思議です。何だか紗月さんとは初めて会った気がしない。昔からの知り合いのような気がするんです。もっとたくさん、色々なことを話してみたい」
朋也の言葉に紗月は小さく頷いていた。
「私もそう思っていたわ。あなたと話していると、何だか不思議な気持ちになるの」
二人は互いに見つめ合ったあと、くすくすと笑い出し始めた。
「感性とか趣味が似ているとかよく分からないけど、気が合うっていうのかな?」
「そうね。話していても気が楽って感じもするわ」
朋也は笑いながらシートの上に大の字に寝転がると真顔で呟いた。
「もう普段通りの自分で話します。生意気になると思うけど勘弁して下さい」
「構わないわよ。そのほうが話しやすいと思うわ」
長い夜になるかも、と紗月は思っていた。
夜空に浮かぶ月はゆっくりと西に傾きかけている。あと何時間かすれば月は沈み、やがて夜明けがやってくるだろう。
「僕の今の両親は再婚同士。家族は母、そして義父に義妹がいます」
月を見上げながら、朋也は物静かな感じのする口調でゆっくりと語りはじめた。
朋也の実父は考古学者で、世界中を巡り発掘調査などの仕事をしていたという。
朋也が七歳の時、父親は崖から足を滑らせ滑落死という最後を遂げていた。母は悲しみながらも幼い朋也と暮らしていくため知人を通じ、私立大学の図書室の司書として働きはじめた。
幾つかの季節が過ぎた頃、母は勤務先で医学部の教授と知り合った。相手も妻と死別しており、再婚に至るまでそう時間はかからなかった。
義父は朋也を実の息子のように慈しみ、三歳違いの美月という名の可愛いらしい義妹も出来た。朋也にとって穏やかで幸せな時間はゆっくりと流れて行き、彼は何時しか中学二年生になっていた。
ある日、飛び抜けて成績の良かった朋也に義父が将来の夢は何かと尋ねてきた。朋也は小さな頃から好きだった宇宙への憧れと夢を義父と母に語って聞かせた。
『僕は将来、宇宙飛行士になりたいんだ』
その言葉を聞いた途端、母親の顔が凍りついた。
母は目を潤ませながら何故、そんな危険な仕事に就きたいのかと声を震わせた。
スペースシャトルが空中爆発をし、搭乗員全員が死亡するという事故が記憶に新しい頃だった。実父の死も不慮の事故だったとはいえ、残された母は辛い思いをしたのだろう。朋也はこんなにも淋しく、悲しみを湛えた母の顔を見たのは初めてだった。
留守ばかりだった実父の代わりに愛情をたくさん注いでくれた優しい母。そんな母に悲しい顔をさせてはいけないという気持ちが、思春期だった彼の胸の奥深くに刻まれた。
それ以来、朋也は宇宙という言葉を両親の前では口に出さなくなった。
高校も義父の母校だった有名私立大学の付属高校を受験し、トップクラスの成績で入学した。自分の気持ちを偽り、想いを胸の奥底に沈めながら。
しかし、朋也が高校生活に馴染みはじめた頃、世界は宇宙開発への新しい技術や新発見を次々と発表していった。その革新的な進歩には目を見張るものがあった。宇宙への関心を封印していたとはいえ、それらのニュースは朋也の心を奪うものばかりだった。
心の奥底にある宇宙への憧れ、宇宙飛行士になりたいという夢は日を追う毎に大きく膨らんでいく。
高校生になると、自分の行動範囲と友人関係が加速度をつけて広がっていった。
朋也は親の目を盗み、夜中に家を抜け出しては天文サークルの観測会に参加したり、そこで知りあった知人の私設観測所に同級生との勉強会と偽りながら入り浸るといった日々を続けた。
大学受験が近づいたある日、朋也は意を決し両親に自分の進みたい道を伝えた。
義父は目を細め、お前の人生なのだから好きなことをやりなさいと言ってくれた。
しかし母は義父の手前、反対こそしなかったものの明らかに朋也に対して何かを訴えたいといった様子が見て取れた。
元来、丈夫とはいえなかった母はやがて床に伏した。
主治医からは精神的な疲れが原因と診断され、彼女が不安に思っていることに心当たりがあるのなら家族皆で協力して取り除いてあげなさいと言われた。
自分のせいなのだと朋也は確信していた。夫が非業の死を遂げたにも拘わらず、息子までもが危険と思われるような道を選ぼうとしている。そんな不安から母は病に倒れたのだと。
母の胸中がどのようなものだったか、痛いほど分かっているつもりだった朋也は何も言わずに医学部への願書を提出した。
義父はほんとうにそれでいいのかと言ってくれたが、これ以上の迷惑を掛けたくはなかった。 義父だからという遠慮も心の何処かにあったのだ。
朋也は現役でK大医学部に合格した。
やがて母の具合は持ち直し、家族それぞれが普通の生活へと戻っていった。これで良かったのだと朋也は自分に言い聞かせた。
ご近所からは優秀で良く出来た息子だと評判だったが、朋也の心の中は何時の間にか屈折し歪んだものへと変化していった。
大学の講義は真面目に受講し、優秀な成績を修めてはいたが鬱積していく気持ちをどうしていいのか分からずにはけ口を求め、夜になると少し離れた街の繁華街に出掛けて遊び始めるようになった。
繁華街ではほんとうの自分を隠すように軽いノリの若者を演じることで、次第にほんとうの笑顔も忘れていくようになっていた。
しかし、そんな朋也を変わることなく見守っていたものが二つあった。
ひとつは時折、観測に行って眺める美しい星空だった。自分を迎えてくれるように輝く星々。その星々を抱き、果てしなく広がる宇宙を見ているだけで心が落ち着き、朋也は本来の自分を取り戻すことが出来ていた。
そしてもうひとつは義妹の美月だった。