Over the moon

Vol.6

 ほんの一週間前の新月、ニュームーンが沈んだあとの深夜、家を抜け出そうとしていた朋也を美月が呼び止めた。


『お義兄ちゃん、私も連れて行ってよ』



 その日は美空公園へ観測に行くつもりだった。ダメだと言ったが、美月は連れて行かないと両親に言い付けるからと微笑んだ。義妹の屈託のない笑顔に逆らうことの出来ない朋也は、たまにはいいかと、美月を連れて観測へと向かった。

 物心付く頃に義兄が出来たことを素直に喜んでいた美月はすぐに朋也になついた。
 朋也も血の繋がりは無いとはいえ、くるくると回る猫の目のように甘え、じゃれてくる美月をほんとうの妹のように可愛がっていた。


 ヘラクレス座の球状星団を望遠鏡で捉え、肩を並べてファインダーを覗き込んでいると、ふいに美月か呟いた。

『ねぇ、お義兄ちゃん。自分のやりたいことやったほうがいいよ。後で絶対に後悔しちゃうよ』

 まさか義妹からそんなことを言われると思ってもいなかった朋也は慌てた。

『おまえ、何言ってるんだ。俺は今のままでいいんだよ』

 ふぅんと、小さな溜息を漏らした美月が真剣な面持ちで朋也を見つめた。

『もぉ……、私にまで嘘吐かないで。私、小さな頃からずっとお義兄ちゃんのこと見ているから無理しているんだなって分かるもの。ホントはずっとずっとそう思っていたわ。でも、私はまだ子どもでお義兄ちゃんの相談相手になれなかった。けど、今は違う。私は高校二年生、十七歳になったのよ。少しくらい悩んでいることとか話して欲しい。まだ頼りにも力にもなれないかも知れない。でも、一人で抱え込んでいるよりはましだと思うの』

 自分のことにかまけてばかりで、義妹がこんなにも成長していたことに朋也は気付いていなかった。

『お父さん、まだ気にしているよ。あのね、お父さんも昔、役者を目指していたんだって。だけど親の猛反対があって役者への夢を諦めたって聞いたわ。だからお父さん、お義兄ちゃんには夢を諦めて欲しくない、好きなことをやらせてあげたいって』
『そんなこと一度も聞いたことないぞ』

 信じられないといった朋也の顔を覗き込みながら美月が悪戯っぽく微笑んだ。

『晩酌の相手をしながら聞き出したのよ。私、結構いけるクチみたい』

 くすくすと笑う義妹が朋也の目に大人びて映る。

『お父さんは喜んで許してくれるわ。お義母さんのことは気にしないで。私も協力するし、お父さんだってきっと説得に廻ってくれる。だって私たち、家族だもの。絶対に分かり合えるって信じている。お義母さんだって気が付いている筈よ。今のお義兄ちゃんはほんとうのお義兄ちゃんじゃないって。だから……、お願い。宇宙飛行士になる夢を諦めないで』

 朋也は夜空を見上げ、実父が教えてくれた言葉を思い出していた。


― 夢は追いかけることより、諦めないでいることのほうが難しい。諦めなければ必ず夢は掴むことが出来る 。


 ほんとうにその通りだ。諦めてしまえば全てはそこで終わってしまう。
 そんなことは嫌だ。ほんとうは諦めたくなんかない。あの月に行きたいと心の底から思っている。

『小難しい顔して医学書を読んでいるお義兄ちゃんより、こうして星や星座の名前を教えてくれるお義兄ちゃんのほうがステキだよ。だから、もう一度チャレンジしようよ。学部変更したって今からでも遅くないわ』

 朋也の瞳が少しだけ潤んでいたのだが、美月はそれに気付かないふりをした。

『私、お義兄ちゃんが大好きよ。義妹じゃなかったら恋をしていたかも』

 そう呟くと、美月は朋也の頬に軽くキスをした。それは仔猫がじゃれあっているような自然なものだった。

『ありがとう、美月』



 朋也は美月と義父に心から感謝した。
 翌日、朋也は早速義父にもう一度チャレンジしたいと願い出た。義父からは快諾を得られたが、母に対してはなかなか切り出すことが出来ない。だからといって義父や美月にこの話を切り出してもらおうとは思わなかった。

 自分の夢を人任せにしたくはないからだ。しかし、面と向かうとどうしてもあの淋しそうな顔を思い出してしまい、話すことが出来ない。きっかけが掴めないまま一週間が過ぎてしまい、又ここに来てしまったという訳だった。




 話し終えた朋也がゆっくりと起き上がった。

「俺、本当に情けないと思った。美月にまで心配掛けていたなんて」

 妙にさっぱりとした表情で自分のことを俺、と言った朋也のことが何だか可笑しくて紗月はクスリと笑った。

「私も美月ちゃんに賛成だわ。確かに宇宙を見ている時のあなたはとても生き生きしている。素敵だなって思うもの。自分の進む道を、夢を素直にお母様に伝えて欲しいな」

 夢を応援してくれる人が側にいる。支え、励ましてくれる人がいる。羨ましいなと紗月は思っていた。

「うん、必ず伝える。分かってもらえるように努力する。俺、今晩ここに来たのは美月のときのように背中を押してくれる何か、そう……。何かしらのきっかけを掴みたいと思って来たんだ。そうしたら紗月さんに出会えた。何か掴めそうな気がしている」

 眩しそうに月を見上げていた朋也が力強く言った。

「私は何もしていないわ。あなたの話を聞いてあげただけ。きっかけなんてほんとうに些細なことよ。自分の気持ちをいつまでも強く持ち続けてさえいれば大丈夫」
「そうだね。自分の気持ちを強く持たないと、又、いつか諦めてしまうかも知れない。そんなことだけはしたくないんだ」

 朋也の何気ない一言に紗月の胸が軋んだ。

― 私は諦めてしまった。

 反射的に目を伏せて黙り込んだ紗月に朋也がそっと呟いた。

「俺で良かったら聞かせてもらえないかな。紗月さんのこと」
「私は、何も……」

 朋也は静かに首を振り、紗月の肩にそっと手を置いた。

「一人で抱えているのってホントに苦しいんだ。俺もそうだったから。こんな時間にたった一人でこんな所に来るなんて、きっと何かあったと思う。力になれるかどうか分からないけど、俺で良ければ聞かせて欲しい」

 肩に置かれた手が暖かく感じられる。紗月は何時しか、朋也に対して心を許し始めていた。

「……私、意地っ張りだから上手く話せないわ。それでもいい?」
「うん。ゆっくりでいいからさ。俺、紗月さんのこと分かってあげたいって思っている」

 夜空を見上げていた時と同じ瞳が紗月を見つめている。
 素直に向き合いたいと思えるくらいに穏やかに澄んだ瞳。その眼差しに促されたように紗月はこくりと頷くと、ゆっくりと口を開いた。
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