Over the moon
Vol.7
「私が今夜ここに来たのは、付き合っていた人に振られたから。ううん、それだけじゃない。今の自分がとても中途半端で、自分で自分が嫌になっていたの。だから、ここから夜の海や夜空を見て気を紛らわせようと思っていたのよ。ただそれだけ。何の解決にもならないってことくらい、自分で分かっていたけど……」
紗月は人口が一万人にも満たない、小さな町で生まれ育った。良くも悪くも閉鎖的な街だった。
昔からの風習を盾に、自分たちの価値観を子どもたちにも押し付けてくる両親や親戚と紗月は折り合いが悪く、早く独り立ちしたいと思っていた。
高校を卒業した紗月はすぐに実家を飛び出し、一人暮しをしながら美術系短大に奨学金を受けながら通ったのだった。
「私ね、童話作家になるのが夢だったの。高校生の時に書いた童話で二度ほど賞を頂いたわ。短大で絵を習ったのも、自分の書いたお話に自分で挿絵を描きたかったから。アルバイトもたくさんこなしながら一生懸命頑張ったわ。その甲斐あって、大きな賞を受賞したりしてデビューまであと少しというところまで辿り着いたの。でも、すぐに作家として独り立ちして行くのは難しいって分かっていたから、就職のときには出版社を希望したわ。少しでも色々な勉強が出来る環境に身を置きたかったから。でも、実際に就職出来たのは創作とは全く関係のない家電メーカーの事務職だった。それでも最初の頃は仕事を終えたあと、寝る間を惜しんで童話を創っていた。目を掛けてくれていた出版社に原稿を持ち込んだりもしていた」
ふぅ、と深呼吸した紗月は深く目を閉じて言葉を続ける。
朋也は口を挟むことなく、黙って紗月の話に耳を傾けていた。
「でも、でも何時の頃からか仕事に追われ、日々の生活に追われ、そして恋をして夢中になっていった私は物語を創ることを忘れていったの。ううん、これは言い訳。本当は流されるままに時間を過ごして来たのよ。夢は夢。現実はそう簡単なモノじゃない。夢と現実とは違うモノ。だから、今が楽しければ、今さえ良ければそれでいいやって考えるようになっていたわ……」
深い溜息を吐いて、紗月はそっと目を開いた。
「気持ちを強く持てなかった私は何時しか夢を諦めて、とてもつまらない中途半端な人間になっていた。今夜、あなたの前向きな姿を見ていたらほんとうに自分が情けなく思えた。自分を見失って夢を諦めた自分が……」
堪えきれなくなってポロポロと涙が零れはじめた。
泣き顔を見られたくなかった紗月は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。そんな紗月の肩を明也は戸惑いながら優しく撫でていた。
「過去形で言ってどうするんだよ。紗月さんはまだ二十二歳、今からだって遅くない」
「……朋也くん」
紗月は力なく顔を上げ、朋也をそっと見つめた。朋也は微笑むと力強い声で励ますように言った。
「俺だって諦めかけていた。でも、間違いに気が付けばまた、そこからやり直せばいいんだよ」
彼自身吹っ切れたような、そしてきっかけを掴めたかのような自信に満ち溢れた表情をしていた。
「海が見たかったんだよね。今から行こう」
華奢な紗月を軽々と支え抱き上げるようにして朋也が立ち上がる。ふわりと抱きかかえられたことで、ずっと誰にも頼らず歩んできた紗月にとって、それは身も心も支えられているという感じがした。
「今……から?」
濡れている目を擦り、しゃくり上げながら紗月は呟いた。
「そう、今から。紗月さんに見せたいものがあるんだ。まだ間に合いそうだ」
朋也は夜空を仰いだあと、テキパキと望遠鏡や荷物を片付けはじめた。 紗月は止まらない涙を拭いながらそれを手伝う。
「こんなに沢山の荷物を持ったままで海に行くなんて無理よ」
まだ涙声の紗月は荷物をまとめ終え、階段に向かって歩きはじめた朋也に呟いていた。振り返った朋也がくすりと笑う。
「歩いて行くつもりなんてないよ。俺の車で行くから」
「ここに来た時、車なんて一台もなかったわ」
来る途中で見た、静まりかえった駐車場を紗月は思い出していた。
朋也はそれに応えずにすたすたと階段を降りて行く。紗月は慌てて朋也の背中を追いかけた。
第一公園に着くと、朋也は「こっちだよ」と、管理事務所の裏手へと向かう。
そこには小さな空地があり、管理人専用の駐車場になっていた。
「管理人のおじさん達と仲良くしていてね。夜はここに車を停めてもいいと許可をもらっているんだ。イタズラとかされないようにって」
朋也はいちばん奥に駐車してあった車の脇に荷物を下ろした。
「それならそうと初めから言えばいいのに。朋也くんって案外、意地悪なんだ」
拗ねたような口調で囁いた紗月を見て朋也は苦笑した。
「びっくりさせたかったんだ。どうしたら紗月さんが泣き止んでくれるのかなって思って。俺、女性の涙の止めかたなんて知らないから」
そういえば何時の間にか涙が止まっている。
「バカ……。あなたのこともうひとつ気が付いたわ。気障よ、それって」
紗月は照れ隠しのように頬を膨らませた。
「さ、乗って」と、苦笑しながらの朋也がドアロックを解除し、荷物をリアゲートに入れはじめた。
紗月は頷くと助手席のドアを開き、シートに身体を預けた。
フロントウィンドゥには義妹の美月が付けたのか、交通安全のお守りと、すぐに手作りと分かる星と月を模ったマスコット人形が揺れている。
紗月は微笑みながらそれを指先で突付き、シートベルトを締めた。リアゲートを閉めるバタンという音が車内に響くと、すぐに朋也が運転席に乗り込んできた。
「お待たせ。さぁ、行こう」
エンジンをかけた朋也はすぐに車を発進させた。
ヘッドライトに照らされたアスファルトが緩やかに流れていく。真夜中の海へと続く道に車は一台もなく、二人を乗せた車のテールランプだけが闇に続く道路に浮かんでいた。
紗月は人口が一万人にも満たない、小さな町で生まれ育った。良くも悪くも閉鎖的な街だった。
昔からの風習を盾に、自分たちの価値観を子どもたちにも押し付けてくる両親や親戚と紗月は折り合いが悪く、早く独り立ちしたいと思っていた。
高校を卒業した紗月はすぐに実家を飛び出し、一人暮しをしながら美術系短大に奨学金を受けながら通ったのだった。
「私ね、童話作家になるのが夢だったの。高校生の時に書いた童話で二度ほど賞を頂いたわ。短大で絵を習ったのも、自分の書いたお話に自分で挿絵を描きたかったから。アルバイトもたくさんこなしながら一生懸命頑張ったわ。その甲斐あって、大きな賞を受賞したりしてデビューまであと少しというところまで辿り着いたの。でも、すぐに作家として独り立ちして行くのは難しいって分かっていたから、就職のときには出版社を希望したわ。少しでも色々な勉強が出来る環境に身を置きたかったから。でも、実際に就職出来たのは創作とは全く関係のない家電メーカーの事務職だった。それでも最初の頃は仕事を終えたあと、寝る間を惜しんで童話を創っていた。目を掛けてくれていた出版社に原稿を持ち込んだりもしていた」
ふぅ、と深呼吸した紗月は深く目を閉じて言葉を続ける。
朋也は口を挟むことなく、黙って紗月の話に耳を傾けていた。
「でも、でも何時の頃からか仕事に追われ、日々の生活に追われ、そして恋をして夢中になっていった私は物語を創ることを忘れていったの。ううん、これは言い訳。本当は流されるままに時間を過ごして来たのよ。夢は夢。現実はそう簡単なモノじゃない。夢と現実とは違うモノ。だから、今が楽しければ、今さえ良ければそれでいいやって考えるようになっていたわ……」
深い溜息を吐いて、紗月はそっと目を開いた。
「気持ちを強く持てなかった私は何時しか夢を諦めて、とてもつまらない中途半端な人間になっていた。今夜、あなたの前向きな姿を見ていたらほんとうに自分が情けなく思えた。自分を見失って夢を諦めた自分が……」
堪えきれなくなってポロポロと涙が零れはじめた。
泣き顔を見られたくなかった紗月は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。そんな紗月の肩を明也は戸惑いながら優しく撫でていた。
「過去形で言ってどうするんだよ。紗月さんはまだ二十二歳、今からだって遅くない」
「……朋也くん」
紗月は力なく顔を上げ、朋也をそっと見つめた。朋也は微笑むと力強い声で励ますように言った。
「俺だって諦めかけていた。でも、間違いに気が付けばまた、そこからやり直せばいいんだよ」
彼自身吹っ切れたような、そしてきっかけを掴めたかのような自信に満ち溢れた表情をしていた。
「海が見たかったんだよね。今から行こう」
華奢な紗月を軽々と支え抱き上げるようにして朋也が立ち上がる。ふわりと抱きかかえられたことで、ずっと誰にも頼らず歩んできた紗月にとって、それは身も心も支えられているという感じがした。
「今……から?」
濡れている目を擦り、しゃくり上げながら紗月は呟いた。
「そう、今から。紗月さんに見せたいものがあるんだ。まだ間に合いそうだ」
朋也は夜空を仰いだあと、テキパキと望遠鏡や荷物を片付けはじめた。 紗月は止まらない涙を拭いながらそれを手伝う。
「こんなに沢山の荷物を持ったままで海に行くなんて無理よ」
まだ涙声の紗月は荷物をまとめ終え、階段に向かって歩きはじめた朋也に呟いていた。振り返った朋也がくすりと笑う。
「歩いて行くつもりなんてないよ。俺の車で行くから」
「ここに来た時、車なんて一台もなかったわ」
来る途中で見た、静まりかえった駐車場を紗月は思い出していた。
朋也はそれに応えずにすたすたと階段を降りて行く。紗月は慌てて朋也の背中を追いかけた。
第一公園に着くと、朋也は「こっちだよ」と、管理事務所の裏手へと向かう。
そこには小さな空地があり、管理人専用の駐車場になっていた。
「管理人のおじさん達と仲良くしていてね。夜はここに車を停めてもいいと許可をもらっているんだ。イタズラとかされないようにって」
朋也はいちばん奥に駐車してあった車の脇に荷物を下ろした。
「それならそうと初めから言えばいいのに。朋也くんって案外、意地悪なんだ」
拗ねたような口調で囁いた紗月を見て朋也は苦笑した。
「びっくりさせたかったんだ。どうしたら紗月さんが泣き止んでくれるのかなって思って。俺、女性の涙の止めかたなんて知らないから」
そういえば何時の間にか涙が止まっている。
「バカ……。あなたのこともうひとつ気が付いたわ。気障よ、それって」
紗月は照れ隠しのように頬を膨らませた。
「さ、乗って」と、苦笑しながらの朋也がドアロックを解除し、荷物をリアゲートに入れはじめた。
紗月は頷くと助手席のドアを開き、シートに身体を預けた。
フロントウィンドゥには義妹の美月が付けたのか、交通安全のお守りと、すぐに手作りと分かる星と月を模ったマスコット人形が揺れている。
紗月は微笑みながらそれを指先で突付き、シートベルトを締めた。リアゲートを閉めるバタンという音が車内に響くと、すぐに朋也が運転席に乗り込んできた。
「お待たせ。さぁ、行こう」
エンジンをかけた朋也はすぐに車を発進させた。
ヘッドライトに照らされたアスファルトが緩やかに流れていく。真夜中の海へと続く道に車は一台もなく、二人を乗せた車のテールランプだけが闇に続く道路に浮かんでいた。