激情に目覚めた冷徹外科医は契約妻を蕩けるほどの愛で搦めとる
 数十分後。警察署を出たところで、深くお辞儀をする。
「つき添っていただき、ありがとうございました」
「別に。結局これといって対策ができたわけでもないし、俺はなにもしていない」
「いえ。本当にとても助かりました。精神的な部分が。最近張りつめていたので、救われました」
 生活安全課にて、これまでの経緯を時系列に沿って伝えた。
 前にインターネット上で少し調べた際に、今私が置かれている状況程度では被害届は受理されないとあった。
 そして今回、やはり被害届は受理してもらえなかったものの、公的機関に報告できた事実だけで気持ちは少し軽くなったのだ。
 月舘先生の前であっても個人的な事情を細かく説明できたのは、守秘義務が当たり前の職業という以前に、彼が決して口外しないと思っているから。
「さっき警察に説明してたけど、メッセージだけじゃなくてそんな気味の悪い手紙まで入ってるなら、しばらく自宅に戻らないほうがいいんじゃないのか」
 月舘先生の言う『気味の悪い手紙』とは、ポストに入っていたあの手紙のこと。
 現物はまだ自宅にある。すぐ捨てたい気持ちに駆られたけど、なにかの証拠になるならとデスクの隅に置いて取ってある。
「それはそうなんですが、実家は遠方なんです。友人のところにお世話になるのも、万が一巻き込んでしまったらと思うと怖くて。ホテル暮らしするにも引っ越すにも、時間と費用がかかるので……」
 私も当然すでにいろいろと考えていた。だけど、今話したような事情を踏まえると、簡単にアパートを出るわけにもいかない。
 一時的にホテルに避難するくらいのお金はあっても、いつまでと明確な目処が立つわけでもない。それなら引っ越し費用に充てたほうが賢明だろうけれど、一日、二日で転居するなんて現実的じゃないし。職場も変えたくはないし……。
「きっと大丈夫です。一応もともと顔見知りだというのもありますし、変に手は出せないと思いますから。あ、ここから自宅までは歩いて帰れますので。月舘先生は道中くれぐれもお気をつけて」
 私はそう言って会釈をし、警察署の門に向かって一歩踏みだした。
 瞬間、月舘先生に手首を掴まれる。
「な、なにか……?」
 心臓がバクバクいってる。
 だって、急に掴まれたら誰だって……!
「俺の目は見ないし口調はやたらと早いし。わかりやすすぎるんだよ、君は」
 月舘先生は目を細め、淡々と言葉を並べた。
 なにか言わなきゃ。月舘先生の手はそのままだし、どうにか平静を装って……。そんなこと、月舘先生相手にできるのだろうか。
「今さら俺の前で強がったって意味ないことくらい、わかるだろ」
 彼の言う通りだ。ここまでしてもらったのだから、気丈に振る舞ったところで虚勢だってバレバレだろう。
 月舘先生にこれ以上余計な心配をかけるのも迷惑だし、数日はビジネスホテルにでも身を置くのがよさそうだ。正直、出費は痛いけれど。
 そう決断して、息を吸い込んだ直後。
「だったら、しばらくうちに来い」
「ご、ご冗談を……!」
 予想外の言葉に、思わず声をあげて反応する。
 本当は、冗談なんかで口にしたわけではないとわかっている。でも、そう言わずにはいられなかった。
 月舘先生は変わらず私の手を掴んだ状態で、冷静に続ける。
「たぶん、うちのほうがセキュリティに関しては優れてるはずだ。それに、通勤時間が減ってラクだぞ」
 こういうときでも月舘先生は仕事中と同じで、要点のみを確実に伝える。
 理性的かつ迅速な対応は月舘先生らしい。
「いえ。そこまでご迷惑をおかけするわけにはいきません。月舘先生になんのメリットもないのに……」
「確かに現状メリットはないな。が、このまま帰してなにかあったら迷惑だ」
「そんなこと……」
 言ったって。私も不可抗力だからどうしようもないのに、そんなふうに言われちゃうと、逆にこっちが責任を感じちゃう。
「どうせ迷惑かけられるなら、、うちに連れていくほうがいい」
 彼は言い終える前に私の手を引き、駐車場へ向かおうとする。
「ですが」
「黙れ」
 私の反論にすぐさま振り返り、ぴしゃりと言い放つ。
 怒鳴られたわけではないのに月舘先生の声は威力があって、つい言葉を飲み込んでしまう。
「俺は早く帰って論文を書きたいんだ。それ以上ゴチャゴチャ言うと、今すぐ担いで連れていくぞ。そんなことここですれば、俺が警察に捕まるかもしれないな」
「な……なんて怖いこと言いだすんですか」
 私は唖然として、思わず警察署の入り口へ目を向けた。入り口付近には警察の人は誰もいなくて、ほっとする。
「つい最近も、似たような状況で被害者が出ていた事件を知らないのか?」
 月舘先生のひとことで、途端に身体がこわばった。
 考えたくないのに、ここ数日そういうニュースに敏感になっていて、今も恐怖に押しつぶされる。
 すると、月舘先生がぐいっと手を引っ張った。
「ほら。おとなしく車に戻るぞ」
 彼はそう告げたあとは私の手を離し、先に歩きだした。
 私はギリギリまで迷ったものの、最後は彼のたくましい背中に向かってぽつりとつぶやく。
「はい……」
「ついでに君の家にも寄るから、必要なものを持ってこい」
「あ……ありがとうございます」
 おかしな展開になった。どうなっちゃうの……。
 私は月舘先生の後ろを歩きながら、いまだに現実を受け入れられないでいた。
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