激情に目覚めた冷徹外科医は契約妻を蕩けるほどの愛で搦めとる
「え……と、待ってください。え? そ、それはどなたの前でですか?」
「とりあえず俺の母親と伯母に」
「お母様と伯母様……!?」
 即答されて、やっぱり本気のお願いなのだとわかった。しかしながら、かなり大がかりな任務になりそうで尻込みする。
 しかも『とりあえず』って言った。そのふたり以外の前でも、婚約者のふりをする可能性があるってこと?
 私が絶句して固まっていると、月舘先生はいつもの冷静な口調で話しだす。
「今から、俺の得意な合理的意見を述べる」
 院内での月舘先生のイメージ〝合理主義者〟というのを引き合いに出され、嫌み交じりに前置きされた。
 これまで、私は自分から誰かにそういった発言をしてはいない。けれども、院内で同様の話題を黙って聞いていたこともある手前、どこか気まずく目を逸らす。
「見合い話は何度かあったが、今しがた伯母からどこぞの令嬢との縁談の打診が来た。これまでの経緯については今は割愛するが、伯母が出てきたとなれば今回は逃れられそうにない」
 縁談? そういえば、月舘先生ってご実家が神奈川県内で一番大きな病院を経営されていると聞いたことがある。彼は御曹司であり、跡取りなのかもしれない。
 医師一家だという話だったから、その伯母様も医師だったり? 両親よりも親戚のほうが断りづらいのは、そういう理由かも……。
 ひとりであれこれ考えを巡らせている間に、彼は続ける。
「だから、『もうじき結婚する予定』だと報告してやり過ごしたい……とは思っているが……」
 めずらしく月舘先生が言いよどむものだから、続きが気になって仕方がない。
「え……なんですか? その報告じゃ足りないんですか?」
 私が矢継ぎ早に尋ねると、彼は額に手を添え、言いにくそうにこぼす。
「もしかすると……本当に結婚するまで、しつこいかもしれない」
 最後にさらりと付け足された発言に耳を疑う。
「え。ま、待ってください。縁談話を避けるために婚約者のふり……まではかろうじて理解できました。でも、本当に結婚って……」
 結婚してみせないと、次々縁談の話が舞い込んでくるとか?
「お膳立てしてくる伯母様が、婚約者のふり程度では欺けない方だ……と?」
 頭の中に浮かんだ考えを、そのまま口に出してしまっていた。
 愕然として月舘先生を見れば、わずかに口の端を上げていた。
「いつもながら、察しがよくて助かるよ」
 月舘先生は、普段の余裕綽々な雰囲気はなく、疲弊した様子でそう言った。
 目の前の月舘先生を見れば、相当追い込まれていそうなのは予想できる。ただ、話の道筋は理解できても、気持ちが追いつかない。
 そんな大胆で危険なことを……頭脳明晰な月舘先生が提案したとは思えないような内容だ。
 私は意識して深呼吸をし、改めて月舘先生と向き合った。
「さっきの発言に偽りはありません。私にできることなら、なんでもする気持ちで『この借りはお返しします』と言いました。百歩譲って婚約者のふりも……なんとか前向きに考えられるとして、結婚っていうのは現実的じゃないですよね?」
「まあ……そうだ。君の言う通り、現実的じゃない。でも、困っているのも事実だ」
 仕事では泰然自若な月舘先生が、冷静さを失う様子に心底驚く。
「月舘先生、一旦落ちついてください」
「俺は至って冷静だ」
「いいえ、冷静じゃないですよ。縁談を急ぎ回避したいお気持ちはわかりましたが、たまたま居合わせた私にそんな話を持ちかけるなんて。まず、誰がどう見ても私なんか釣り合わないです!」
「釣り合わないとは?」
 即座に質問をする月舘先生が真剣な顔でいるものだから、ついたじろぐ。
「や……えと、その、まず立場! 月舘先生は国内でも有名な敏腕外科医ですが、私はドクターでも看護師でもなく、一MSWで……」
「ドクターはMSWと結婚したらだめなんて規則も法律もないだろ」
「そ、それはそうですが……なんて言ったらいいか……」
 あまりにも短絡的すぎる。
 そもそも嘘をつくのなら、もっともらしい相手じゃないと信憑性がないんじゃないの?
 月舘先生のご両親や親戚の面々がどんな方たちか知らない。だけど、縁談を白紙するに値する婚約者だなんて、そんな重大な役目を私にまっとうできる気がしない。
 私がぐるぐると考え込んでいると、彼は口を開く。
「それに、『たまたま居合わせた』とも言いきれない」
「え? どういうことですか?」
「確かに、君がつきまといに遭って困っているのを知ったのはたまたまだが、ここまで世話を焼くのは有津さんだったからだ」
「私だったから……?」
< 20 / 21 >

この作品をシェア

pagetop