激情に目覚めた冷徹外科医は契約妻を蕩けるほどの愛で搦めとる
「MSWも、看護師とは違う大変さがあるじゃない。それを五年も……すごいよ~」
 前園さんが感心して言うものだから、ふいに思いだした。
 過去に嫌な思いをしてもなお、MSWとしてこの職場に就職したきっかけを。
「確かにいろいろありますけど……悪いことばかりじゃないので」
 私が今ここに立てているのは、前職場で担当した年配の男性患者さんのおかげ。
 ボランティア先で再会したその患者さんが、感謝を伝えてくれたから。
『一生懸命考えて、あちこちに連絡をして退院後の生活を整えてくれたから、今家族みんなで笑って過ごせてるよ。ありがとう』――と。
 私はあの瞬間、MSWの道を再度歩もうと決断できた。
 過去を反芻していると、前園さんは「あ」と声を出し、こちらを見る。
「もしかして、以前の職場でも月舘先生みたいに、近づきがたい雰囲気のドクターがいて免疫あったり?」
 循環器外科のドクターである月舘先生は、確かに『近づきがたい雰囲気のドクター』に分類されるのかもしれない。
 その理由はいくつかあって、まずは彼の家柄。
 彼の実家は関東地域では有名な大病院を経営していて、ゆくゆく彼はその病院を継ぐのではないかとささやかれている。
 執刀やその他の業務で多忙を極めているのに、学会でも積極的に研究発表をしているので、三十三歳という若さでドクター界隈でも一目置かれている存在らしい。
 つまり、院内外問わず名前が知られている外科医なのだ。
 次に、やたらと容姿が整っていること。
 身長はおそらく一八〇センチ台後半。頭が小さく、手足がすらりと長い。モデルのようなスタイルで、白衣をまとう様は美しく、誰もが視線を引きつけられてしまうほどだ。
 しかし、さっきのカンファレンスでもそうだったように、彼は少々……いや、かなりクールでミステリアスな雰囲気だ。無駄なく業務上での必要事項しか話さないから、『親睦を深める』といった意味合いでのコミュニケーションは取りづらいだろう。
 しかし一方で、そういうところがいいという声があるのも事実で、一部の女性は熱狂的に彼を慕っていると耳にしたことがある。
 なにより、若くてステータス高めの外科医で、独身どころか恋人の気配がないのもまた魅力に見えるひとつなのかもしれない。
 まあ、それも推し活の一種……とはいえ陰ながらといったものだけど。
 月舘先生の態度は、私たちスタッフだけでなく患者さんの前でもあまり変わらないらしい。
 看護師スタッフや患者さんは、みんな口を揃えて『月舘先生は合理主義者で厳しく、緊張する』と言っている。
 彼みたいに能率的で親しみづらいドクターは、確かに以前の職場にもいた。
 けれども、それで免疫がついていて、ああいうタイプに慣れているわけじゃない。
「いえ、免疫があるというか。でもこれまでの経験を踏まえて、なるべく意見を飲み込まないようにしようと心がけているだけ……っていう感じでしょうか」
 以前の職場にいたドクターは、スタッフの好き嫌いが仕事にも影響していたし執拗だった。そして、スタッフだけにとどまらず、患者さんに対しても同様の対応をしていたのだ。
 若かった私は、そういう人をうまく対処できずに真面目に向き合って、心が病む寸前までいってしまった。
 そんなタイプの人に慣れるわけがない。平気でいられたらどれだけラクか。
 ただ自分の心を守るため、あえて今回は黙らず発言しようと心がけているだけだ。
 攻撃は最大の防御――というように。いや、攻撃はしていないけれど。
 そこへいくと、月舘先生は冷淡な態度のように思えるけど嫌みは言わないし、なにより表裏のない人だと感じる。
 だから今回は、傷ついたり心が重くなったりしていないのかもしれない。
 ふとそんなことを考えていると、前園さんが感嘆の息を漏らした。
「それがすごいなあ。私なんて、いまだに言いたいことのみ込むことが多いかも。だって、口でも立場的にも絶対敵わないのはわかりきってるから、その労力を別に回したほうがいいかなって」
「ふふ。それも賢い選択だと思います」
「でしょ? ホント、看護師もMSWもきつい仕事だよねー」
 抱えていた個別ファイルに目を落としながら、前園さんがついぐちをこぼした。
 前園さんの気持ちはとてもよくわかる。
 医療従事者は、患者さんの命を預かっているから責任重大だ。そして、看護師は勤務形態も不規則だし、患者さんひとりひとりに臨機応変に対応しなければならない。
 心身ともに大変な仕事なのは、私たちMSWも一緒。
 ドクター、看護師、患者さんとそのご家族、それにケアマネージャー、行政、介護施設など事業所など、いつも誰かと誰かの板挟みになりながら折り合いをつけて進めていくのが、MSWの役割なのだ。
 毎回どの立場の事情もわかるだけに本当に心苦しく、話を聞いてはお願いして回っている。毎日神経をすり減らし、仕事が終わる頃にはもうくたくただ。
「……でも、たったひとことの感謝を伝えられるだけで、『頑張ってよかったな、次も頑張ろう』って思うんですよね。この仕事って、中毒性があるのかも」
 理不尽にきつく当たられることもままあるが、そんな場面ばかりではないのも事実。患者さんとそのご家族から、笑顔で『ありがとう』と言われると、疲れていた心が達成感と喜びでいっぱいになる。
「あー、それもなんとなくわかる!」
 私の言葉に、前園さんは明るく同調してくれた。
 その後も、医療相談室に戻るまでの間、仕事の話題で盛り上がった。
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