激情に目覚めた冷徹外科医は契約妻を蕩けるほどの愛で搦めとる
 DMを送ってきた【Donut】というアカウントのプロフィールを確認する。都内在住の二十代男性のようだ。アイコンもドーナツのイラストを使用している。
 パッと確認した感じでは、顔出ししている画像はアップされていない。彼の投稿を見ると、ボランティア団体が発信する情報や、献血や院内ボランティアなどの情報を拡散していた。
 DMをスルーするのは心象よくないよね……。これまで関わったボランティア仲間の人たちの印象も、もしかしたら悪くしちゃうかもしれないし。
 少し考えた結果、簡単に返信しておこうと画面に指を滑らせる。
【初めまして。メッセージをありがとうございます。実は本業が忙しくなり、しばらく参加できておらず、活動予定を把握できていないんです。申し訳ありません】
 変じゃないよね? 文面をもう一度確認したのち、勢いづけて送信する。
 つい返信文を考え込んでしまって、気づけば温めてもらったお弁当が冷めそうだ。
 スマートフォンをしまい、家路を急ぐ。数分すると、三階建ての自宅アパートが見えてきた。
 私は歩きながらトートバッグから、キーケースを取り出す。視線を前に戻した瞬間、ぞくりと嫌な感覚が胸を襲った。
 前方に立っていたのは、スーツ姿の男性で、知っている人だ。
「有津さん、お疲れさまです~。偶然ですね」
「か……皆藤さん? ど、どうしてここに……?」
 彼とは、以前の職場で取引先的な関係だった。
 介護施設の渉外担当の彼が、私が勤めていた病院に訪問してきたのが初対面。年齢は私よりふたつ上の三十歳だ。見た目は清潔感のある髪型やスーツ姿といった好感度高めの第一印象で、老若男女に受け入れられる男性だと思う。
 話もじょうずだし、いつも明るく人当たりもいいから、ほとんどの人はすぐ彼に心を開いてしまうかもしれない。かくいう私も、仕事中に多少の雑談はあれど、迷惑なほどではなかったし、私にとっても〝いい人〟だった。
 それがどういうわけか、私が退職にあたって後任の紹介と挨拶をした直後から、やたらと不必要な接触が増えた。
 初めは特に気にせず、私がもうすぐ退職するから、なにかのついででもあれば顔を見に来てくれているのかな、くらいにしか感じていたなかった。でも、一週間経った頃から今度は業務時間外に声をかけられるようになった。
 初めはお昼休憩中に食堂で。その次は仕事終わりに職員玄関前で。
 彼はいつも『偶然近くにいて時間があったから』と言い、あくまで計画的ではないと主張していた。
 私はそれを鵜呑みにできず、あまりに短期間に重なりすぎている『偶然』はあきらかな故意だと察し、さりげなく避けるようになった。
 退職してしまえば、一切関わりはなくなる――そう思っていたのに、つい先月、職場の最寄り駅で会ってしまって動揺した。
 そして今、自宅のそばで……。
「ははは、驚いてる顔も可愛いですね」
 さわやかな笑顔で言われても、内心ぞっとするだけだ。
 一〇〇パーセント恐怖心しかないのに、それを表に出すのも怖くて、私は引きつった笑みを浮かべていた。
「あ……すみません、急だったもので……」
「有津さんのおうちは、このあたりなんですか?」
 心臓が凍りつく。
 もう嫌だ。一分でも早くこの場を切り抜けて、この人から離れたい。
「――いえ。今日は友人と約束があって。すみませんが、急いでますのでこれで」
「ああ、そうでしたか。それは足止めしてしまい、失礼しました。じゃ、また」
 私は会釈をするや否や、彼の横をすり抜けて先へと進み、足早に離れる。
 どうにか頭を働かせ、『友人と約束が』と答えた。そうでもしなきゃ、自宅が完全にバレてしまいそうで。
「はあ……」
 たまらず重苦しいため息を吐く。
 これじゃあ、まっすぐ家に帰れないな……。もしかしたら、アパートに入っていくところをどこかで見ているかもしれないし。念には念を入れるに越したことはない。
 皆藤さんは、一見さわやかな営業マンだから厄介だ。誰かに相談しても、その人をうまく丸め込んでしまうかもと思わせられる。
 匿名で近辺に不審者がいるって、警察に通報する? そうしたら見回りくらい来てくれるかな。でも、それだけで終わりだよね。根本的な解決にならない。実害か、もしくは相当身に危険が迫るくらいの証拠がないと警察も動いてくれないんだろうし……。
 私は後ろからついてくる気配はないかどうか気にしながら、足を止めずにひたすら歩き続ける。
「お弁当、完全に冷めちゃったな……」
 苛立ちや恐怖など、行き場のない感情をグッと押し込める。
 そして自宅アパート付近から離れ、人通りの多い道に向かって歩いた。
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