優しさは、俺だけに

咲と、これから

俺は、前川さんの手を握った。

「優しい手ですね」

そう言うと、前川さんは少しだけ驚いた顔をする。

「俺は、この手も、優しさも、
笑いかけてくれるところも――
全部、独占したいです」

言いながら、自分でも少し笑ってしまう。

「独占欲の塊なんで」

そう伝えると、前川さんがくすっと笑った。

――やっと、伝えられた。

ずっと胸の奥にあったものを、
ようやく言葉にできた気がした。

正直、今日がこんな日になるなんて、
思ってもいなかった。

少しだけ手を握り直して、

「……咲」

名前を呼ぶと、前川さんがこちらを見る。

「ありがとう」

そっと、その手に触れる。

「咲、好きだ」

一瞬の静けさのあと、

「禅君、私も」

やわらかく返ってきた言葉に、胸が満たされる。

「私、禅君には、いろいろ言える気がする」

少し照れたように笑いながら言う。

「いろいろって、なんですか」

軽く茶化すと、

「いろいろは、いろいろよ」

そう返してくる。

その曖昧さも、
少し意地悪な言い方も、

全部ひっくるめて――

たまらなく、愛おしかった。


朝、電車を待つホームで、
ふと改めて思う。

転勤って、
正直大変だけど、
自分自身の気付きにもなった。


仕事も、
仲間も、
先輩後輩も、
同期も。

そして――咲のことも。

諦めずに、
伝えることの大切さ。

伝えたからこそ、
始まるものもある。

同じ支店ではないけれど、
咲とは、
前よりも分かり合えていると思う。

それはきっと、
ちゃんと言葉にして、
ぶつかって、言い合えているからだ。


電車に乗り込む。

初夏の風が、頬をかすめる。

あの春の日と同じように、
心地よいと感じられている自分がいる。

咲が見せてくれる、

僕だけに向けた優しさが――
今は、ちゃんと分かる。

もう、鞄を握り返すことはない。

――それが、少しだけ嬉しかった。

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