チーターとガレット
真新しい家々を眺めながら路地を曲がっていく。営業中の飲食店を一軒も見つけられずに諦めかけていたとき、見覚えのある建物に気づいて、足を止めた。
白いレンガ造りの壁には、青々とした蔦が這っている。ネイビーのペンキで塗られた木製扉と、壁付けのアンティークフレームの外灯。以前、家探しの合間に見つけた、一軒家レストラン〈Igarashi〉だった。もう二度とここを通らないかもしれないと、意を決して店に入ったのだが、当時は結局食事にありつけなかった。完全予約制の店だったのだ。
「また偶然このお店に辿り着いたけど、もう終わりだもんね。ここにご縁があるような、ないような」
せめてこの異国情緒のある建物を、よく眺めておこうとして建物を回り込んだ。すると建物の側面に、勝手口のような小さなドアを見つけた。オープンの看板が掛けられ、その下に手書きで〈Traiteur〉と書き加えられていた。
「え、どういうこと」
千枝はまじまじと建物を眺めた。
これが店の名前だとしたら、表のフレンチレストランとは別の店ということになるが、外から見る限りでは、同じ建物だ。
調べてみようとスマホを出したとき、突然扉ががたんと音を立て、千枝は思わず悲鳴を上げた。
店から出てきた男性が、呆然と千枝を見ている。
「すみません、驚かせてしまって」
眉尻を下げたまま、顔の前で両手を合わせる。空気を含んだような柔らかなくせ毛が、夜風に揺れる。彼は白いシャツにチノを合わせ、腰にモスグリーンのサロンエプロンを巻いている。二十代半ばくらいだろうか。顔立ちにはあどけなさが残っているが、口調は落ち着いている。
「あの、こちらこそ本当にすみません」
彼だって扉を開けてすぐのところに、人がいるとは思わないだろう。正面のドアならまだしも、こちらは建物の側面で、行き止まりになった細い路地なのだ。
「看板が掛かっていたので、気になって。こちらはなんのお店ですか?」
「店名の〈トレトゥール〉はフランス語で総菜って意味なんです。ここはタルトやガレットを出す店なので」
ということは〈イガラシ〉とは別の店だ。いや、タルトやガレットもフランス料理の一種だったかもしれない。
「日曜と月曜しか開けていないんですけれど」
徐々に俯き、口ごもっていたが、彼は気を取り直すように顔を上げた。
「よかったら寄っていきませんか。店内、クーラー効かせてるけど、誰も来なくて」
「え、まだ大丈夫なんですか? わたし、どこかにご飯の食べられるお店がないかなって、探していたところで」
「よかったら今からでもぜひ」
彼はどこか安堵したように笑みを浮かべ、店の中に招き入れてくれた。