隣の席の悪魔【旧版】

連絡先

図書館。

窓から入る、昼の光。

静かな館内。

私は返却棚を整理しながら、
何回も入口を見てしまっていた。

今日でまた、
空くんは向こうへ戻る。

分かってる。

ちゃんと分かってるのに。

胸の奥だけ、
ずっとそわそわしていた。

カラン。

入口のドアが開く。

「……よう」

低い声。

顔を上げる。

空くん。

リュック。

眠そうな顔。

私は思わず笑った。

「空くん!」



閉館まで、
まだ少し時間がある。

空くんは、
カウンターから一番近い席へ座って、
本を開いた。

私はカウンター越しに、
何回もそっちを見てしまう。

ページをめくる指。

伏せた目。

長いまつ毛。

静かな横顔。

……変わってない。

「……そんな見る?」

低い声。

はっとする。

空くんが、
こっちを見ていた。

私は一瞬、
目を丸くする。

なんか。

昔も、
似たようなこと言われた気がする。

「み、見てないし!」

反射で否定する。

ふっ。

小さく笑う声。

私は思わず視線を逸らした。

その時。

ふと。

机の上のペンケースが目に入る。

黒いシャーペン。

少し擦れたクリップ。

私は一瞬、
呼吸を止めた。

……あれ。

空くんが、
私の視線に気づく。

「なに」

「……それ」

私は小さく指差した。

空くんは、
ペンケースを見る。

そして。

「シャーペン?」

「まだ使ってるの?」

空くんは、
少しだけ口元を緩めた。

ぽつり。

「使いやすいし」

心臓。

どくん。

私は思わず笑ってしまう。

「……そっか」

その瞬間。

空くんの視線が、
今度は私の手元へ落ちた。

腕時計。

中学生の頃。

UFOキャッチャーで、
空くんが取ってくれた時計。

あの頃の私には、
少し大人っぽかった時計。

空くんが、
わずかに動きを止める。

ぽつり。

「……そっちこそ」

空くんの視線。

腕時計。

私は一気に顔が熱くなる。

でも。

誤魔化すみたいに、
口を尖らせる。

「……見やすいし」

空くんが、
小さく吹き出した。

「真似すんな」

「うるさい!!」

私は顔を逸らす。

でも。

空くんの口元は、
少しだけ緩んでいた。



空くんが、
ぽつり。

「司書、
意外だったけど」

え。

「でも、
カウンターにいるとこ見て納得した」

私は瞬きをする。

空くんは、
私を見ながら静かに言った。

「図書委員、だもんな」

あ。

胸の奥が、
少しだけ熱くなる。

私は思わず笑った。

「……空くん、
いつもいたから」

空くんが、
一瞬だけ止まる。

私は少しだけ視線を逸らしながら、
小さく続けた。

「図書室、
好きになったの」

空くんは、
何も言わなかった。

でも。

ページをめくる手が、
少しだけ止まっていた。



時計を見る。

もうすぐ、
空くんが帰る時間。

私は返却された本を抱えながら、
小さく息を吐いた。

外はまだ、
明るい。

夏の匂い。

蝉の声。

空くんが、
席を立つ。

私は思わず顔を上げた。

「……今から、
向こう戻る」

分かってたけど。

胸が、
少しだけ苦しくなる。

私は小さく笑った。

「そっか」



私は休憩札を裏返して、
空くんと一緒に入口を出る。

図書館の自動ドア。

夏の光。

行き交う人。

空くんが、
少しだけ視線を逸らした。

そして。

「……星野」

「ん?」

空くんは、
リュックを探る。

数秒後。

小さく折った紙を、
私へ差し出した。

「これ」

え。

私はゆっくり受け取る。

開くと、

そこには。

電話番号。

メールアドレス。

心臓が、
どくんと跳ねる。

私は思わず空くんを見る。

空くん。

少しだけ耳が赤い。

「……メール、
しちゃうかも」

絞り出した声は、
少し震えてた。

空くんは小さく頷く。

「……うん」

短い返事。

でも。

その声だけで、
胸がいっぱいになる。

私はぎゅっと紙を握りしめたまま、
続ける。

「電話、
かけてもいい?」

夏の風。

遠くの蝉の声。

空くんが、
少しだけ目を細めた。

「……うん」

その瞬間。

胸の奥が、
またじわっと熱くなる。

空くんが、
少しだけ黙る。

そして。

視線を前へ向けたまま言った。

「メール、返すし。

……電話も出るから」

私は思わず、
空くんを見る。

数秒遅れて。

「……俺も連絡する」

その声が。

夏の風に混ざるくらい、
静かだった。

でも。

それだけで、
私の胸はいっぱいになった。

空くんが、
少しだけ眉を寄せた。

「……登録しないの」

え。

私は一気に顔を上げる。

「い、今!?」

「なくすだろ、
星野」

「なくさないし!!」

空くんが、
呆れたみたいに息を吐く。

「信用ない」

「ひどい!」

私は慌てて携帯を取り出す。

震える指。

“朝比奈 空”

入力するだけで、
心臓がうるさい。

「……送った方がいい?」

空くんが、
小さく息を漏らす。

「届かないかも」

「なにそれ!」

私はむっとしながら、
メール画面を開く。

何送ればいいの。

分かんない。

私は数秒悩んでから、
そっと打ち込む。

『空くん』

送信。

その瞬間。

空くんの携帯が、
小さく震えた。

空くんは画面を見る。

そして。

ふっと、
少しだけ笑う。

「な、なに」

空くんが、
画面を見たまま言った。

「……名前だけ」

「だ、だって!!
確認だから!!」

私は一気に顔が熱くなる。

空くんが、
楽しそうに口元を緩めた。

「ちゃんと届いた」

その言葉が。

胸の奥へ、
じんわり落ちてくる。



「……じゃあな」

空くんは、
少しだけ手を上げて歩き出す。

私は入口の前から、
その背中を見つめた。

遠ざかっていく背中。

夏の光。

でも。

昔みたいに、
“これで終わり”じゃない。

そのことが。

少しだけ、
私の肩を軽くした。

ポケットのスマホが、
小さく震える。

私は慌てて画面を見る。

『ちゃんと仕事戻れ』

思わず吹き出した。

顔を上げる。

少し離れた場所。

空くんが、
こっちを見て笑ってた。
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