隣の席の悪魔【旧版】
知らない時間
空くんが向こうに戻ってからも。
連絡は、
ちゃんと続いた。
……といっても。
『暑い』
とか。
『今月の新刊、
めっちゃ良かった!』
とか。
送るのは、
だいたい私からだったけど。
でも。
空くんはちゃんと返してくれる。
『ちゃんと水飲めよ』
とか。
『読んだ。好きそうだと思った』
とか。
短いけど。
前より少しだけ、
優しい。
それがなんか、
くすぐったかった。
◇
『今度、
十月に帰る』
ある日の夜。
届いたメッセージ。
私はベッドの上で、
思わず飛び起きた。
続けて。
『その日空けといて』
私は思わずスマホを抱きしめる。
なんなの。
その言い方。
ずるい。
でも。
嬉しい。
すごく。
私は慌てて返信を打つ。
『空けとく!!!』
送信。
数秒後。
『うん』
私は枕へ顔を埋めた。
だめ。
楽しい。
◇
十月。
まだ、
夏の空気を残した空。
図書館。
閉館作業。
私は時計を見ながら、
何回も入口を気にしていた。
ガラス越し。
入口の外。
見つけた。
空くん。
壁にもたれて、
携帯を見てる。
呼吸が、
少しだけ浅くなる。
◇
「お待たせ!」
私は鞄を抱えて、
外へ出た。
空くんが、
ゆっくり顔を上げる。
「……お疲れ」
優しい声。
空くんが。
また。
この街にいる。
◇
「コンビニ寄る」
歩き出したところで、
空くんがぽつりと言う。
「え、行く!」
私は思わず笑った。
夜のコンビニ。
白い灯り。
自動ドアの音。
冷房の涼しさ。
また。
昔を思い出す。
私はアイスコーナーの前でしゃがみ込む。
「うわ迷う……」
「子どもか」
「アイス選ぶ時間が一番楽しいの!」
「そうですか」
でも。
空くんも、
私の選ぶアイスを見てる。
私は思わず笑った。
「空くん、
食べないの?」
「これ」
空くんが手に取ったのは、
ブラックの缶コーヒー。
「やっぱり大人ぶってる!」
「もう大人」
「苦いじゃん!」
空くんは、
少しだけ目を細めた。
「お前は甘すぎ」
「アイスは甘いものでしょ!」
私は得意げにチョコアイスを掲げる。
数秒。
空くんが、
小さく笑う。
「変わってないな」
「え?」
「そういうとこ」
その言い方が、
なんか優しくて。
胸の奥が、
じんわり熱くなる。
◇
コンビニを出る。
夜風。
川沿い。
昔みたいに、
並んで座る。
私はアイスを食べながら、
川を眺めた。
静か。
なのに。
落ち着く。
隣に、
空くんがいるから。
ふと、
横顔を見る。
夜風。
街灯。
大人っぽくなった輪郭。
私は小さく笑った。
「大学、
どう?」
「まぁ」
「楽しい?」
空くんは、
少し肩を竦める。
「普通」
私はアイスを見つめたまま、
小さく続ける。
「……空くん、
大学でも人気ありそう」
知らない街。
大学。
サークル。
知らない人。
私の知らない空くん。
もしかしたら、
その隣には――。
私は小さく笑った。
「……知らない時間、
いっぱいあるね」
夜風に溶けるみたいな声。
空くんは、
少しだけ黙った。
そして。
「……彼女のことなら、
いない」
え。
私は一気に顔を上げる。
空くんは、
前を向いたまま。
「……星野は?」
夜風。
川の音。
私は慌てて首を振る。
「い、いないし!!」
空くんが、
小さく息を吐く。
「……そっか」
その声は、
少しだけ柔らかかった。
◇
ふと。
腕時計へ視線を落とす。
……あれ。
秒針。
止まってる。
「あ……」
思わず、
小さく声が漏れる。
空くんが、
こっちを見る。
私は慌てて時計を軽く振った。
でも。
動かない。
「……ついに止まっちゃった」
私は小さく笑う。
「前から、
ちょっとずつズレてたんだけどね」
そう言いながら、
指先で時計を撫でる。
気づいたら。
ずっと、
外せなくなってた。
空くんは、
しばらく黙ったままだった。
そのあと。
「……ちょっと時間ある?」
◇
ショッピングモール。
時計店。
私は値札を見た瞬間、
一歩下がった。
「高っ!!」
空くんは、
私の腕の時計を見る。
止まった針。
少し擦れたベルト。
「貸して」
え。
私はぽかんとしたまま、
時計を外す。
空くんは、
それを受け取ると、
店員さんへ差し出した。
「これ、
直せますか」
「お預かりになりますが」
空くんは、
小さく頷く。
「お願いします」
「えっ!?」
私は思わず空くんを見る。
空くんは、
もう店頭の時計を見ていた。
私はその横で、
並んだ時計をぼんやり眺める。
その中で。
ひとつだけ、
目が止まった。
シャンパンゴールドの文字盤。
細いオレンジのベルト。
夕焼けを閉じ込めたみたいな時計。
その瞬間。
空くんが、
その時計を手に取る。
「これ」
え。
私は瞬きをする。
空くんは、
時計を軽く揺らしながら言った。
「好き?」
「……なんで分かったの」
短く息を吐いて、
空くんが言う。
「星野っぽいから」
私は目を見開く。
空くんは、
時計を見たまま続けた。
「……買う」
「え!?!?」
私は一気に現実へ引き戻される。
「いいよいいよ!!
高いって!!」
慌てて首を振る。
「……好みじゃない?」
「すっごく好きだけど!」
空くんが、
呆れたみたいに小さくため息をつく。
「……じゃあ、交換条件」
「え?」
空くんは、
少し視線を逸らした。
「今度、
学祭来て」
私は一瞬、
言葉を失う。
空くんは、
静かに続ける。
「……見せるから」
数秒。
空くんが、
少しだけ視線を落とす。
そして。
「……知らない時間」
呼吸が、
止まりそうになる。
大学の空くん。
知らない場所。
知らない時間。
私は思わず、
小さく笑った。
「……ずるい」
◇
帰り道。
夜風。
並ぶ影。
空くんが、
ぽつり。
「……また帰るし」
え。
私は顔を上げる。
空くんは前を向いたまま、
続けた。
「その時、
また会えばいいだろ」
その言い方が。
あまりにも自然で。
まるで。
これから先も、
当たり前みたいに続いていくみたいで。
胸の奥が、
ぎゅってなる。
私は小さく笑う。
「……うん」
そのあと。
ふと。
腕時計へ視線が落ちる。
夕焼けを閉じ込めたみたいな、
新しい腕時計。
夜の灯りを映して、
静かに光ってる。
……学祭か。
知らない時間。
大学の空くん。
なんか、
変に緊張する。
「……星野?」
低い声。
気づけば、
空くんがこっちを見ていた。
私はゆっくり顔を上げる。
「……空くん」
「……ん?」
私はぎゅっと時計を握る。
そして。
小さく聞いた。
「……ほんとに、
行ってもいいの?」
空くんは、
少しだけ眉を寄せる。
それから。
前を向いたまま、
ぽつり。
「俺が来てって言った」
呼吸が止まりそうになる。
空くんは、
そのまま歩き続ける。
でも。
耳だけ、
少し赤い。
私は思わず笑った。
「……絶対行く」
夜風が吹く。
隣を歩く歩幅が、
少しだけ近い。
私はもう一度、
新しい腕時計へ触れた。
連絡は、
ちゃんと続いた。
……といっても。
『暑い』
とか。
『今月の新刊、
めっちゃ良かった!』
とか。
送るのは、
だいたい私からだったけど。
でも。
空くんはちゃんと返してくれる。
『ちゃんと水飲めよ』
とか。
『読んだ。好きそうだと思った』
とか。
短いけど。
前より少しだけ、
優しい。
それがなんか、
くすぐったかった。
◇
『今度、
十月に帰る』
ある日の夜。
届いたメッセージ。
私はベッドの上で、
思わず飛び起きた。
続けて。
『その日空けといて』
私は思わずスマホを抱きしめる。
なんなの。
その言い方。
ずるい。
でも。
嬉しい。
すごく。
私は慌てて返信を打つ。
『空けとく!!!』
送信。
数秒後。
『うん』
私は枕へ顔を埋めた。
だめ。
楽しい。
◇
十月。
まだ、
夏の空気を残した空。
図書館。
閉館作業。
私は時計を見ながら、
何回も入口を気にしていた。
ガラス越し。
入口の外。
見つけた。
空くん。
壁にもたれて、
携帯を見てる。
呼吸が、
少しだけ浅くなる。
◇
「お待たせ!」
私は鞄を抱えて、
外へ出た。
空くんが、
ゆっくり顔を上げる。
「……お疲れ」
優しい声。
空くんが。
また。
この街にいる。
◇
「コンビニ寄る」
歩き出したところで、
空くんがぽつりと言う。
「え、行く!」
私は思わず笑った。
夜のコンビニ。
白い灯り。
自動ドアの音。
冷房の涼しさ。
また。
昔を思い出す。
私はアイスコーナーの前でしゃがみ込む。
「うわ迷う……」
「子どもか」
「アイス選ぶ時間が一番楽しいの!」
「そうですか」
でも。
空くんも、
私の選ぶアイスを見てる。
私は思わず笑った。
「空くん、
食べないの?」
「これ」
空くんが手に取ったのは、
ブラックの缶コーヒー。
「やっぱり大人ぶってる!」
「もう大人」
「苦いじゃん!」
空くんは、
少しだけ目を細めた。
「お前は甘すぎ」
「アイスは甘いものでしょ!」
私は得意げにチョコアイスを掲げる。
数秒。
空くんが、
小さく笑う。
「変わってないな」
「え?」
「そういうとこ」
その言い方が、
なんか優しくて。
胸の奥が、
じんわり熱くなる。
◇
コンビニを出る。
夜風。
川沿い。
昔みたいに、
並んで座る。
私はアイスを食べながら、
川を眺めた。
静か。
なのに。
落ち着く。
隣に、
空くんがいるから。
ふと、
横顔を見る。
夜風。
街灯。
大人っぽくなった輪郭。
私は小さく笑った。
「大学、
どう?」
「まぁ」
「楽しい?」
空くんは、
少し肩を竦める。
「普通」
私はアイスを見つめたまま、
小さく続ける。
「……空くん、
大学でも人気ありそう」
知らない街。
大学。
サークル。
知らない人。
私の知らない空くん。
もしかしたら、
その隣には――。
私は小さく笑った。
「……知らない時間、
いっぱいあるね」
夜風に溶けるみたいな声。
空くんは、
少しだけ黙った。
そして。
「……彼女のことなら、
いない」
え。
私は一気に顔を上げる。
空くんは、
前を向いたまま。
「……星野は?」
夜風。
川の音。
私は慌てて首を振る。
「い、いないし!!」
空くんが、
小さく息を吐く。
「……そっか」
その声は、
少しだけ柔らかかった。
◇
ふと。
腕時計へ視線を落とす。
……あれ。
秒針。
止まってる。
「あ……」
思わず、
小さく声が漏れる。
空くんが、
こっちを見る。
私は慌てて時計を軽く振った。
でも。
動かない。
「……ついに止まっちゃった」
私は小さく笑う。
「前から、
ちょっとずつズレてたんだけどね」
そう言いながら、
指先で時計を撫でる。
気づいたら。
ずっと、
外せなくなってた。
空くんは、
しばらく黙ったままだった。
そのあと。
「……ちょっと時間ある?」
◇
ショッピングモール。
時計店。
私は値札を見た瞬間、
一歩下がった。
「高っ!!」
空くんは、
私の腕の時計を見る。
止まった針。
少し擦れたベルト。
「貸して」
え。
私はぽかんとしたまま、
時計を外す。
空くんは、
それを受け取ると、
店員さんへ差し出した。
「これ、
直せますか」
「お預かりになりますが」
空くんは、
小さく頷く。
「お願いします」
「えっ!?」
私は思わず空くんを見る。
空くんは、
もう店頭の時計を見ていた。
私はその横で、
並んだ時計をぼんやり眺める。
その中で。
ひとつだけ、
目が止まった。
シャンパンゴールドの文字盤。
細いオレンジのベルト。
夕焼けを閉じ込めたみたいな時計。
その瞬間。
空くんが、
その時計を手に取る。
「これ」
え。
私は瞬きをする。
空くんは、
時計を軽く揺らしながら言った。
「好き?」
「……なんで分かったの」
短く息を吐いて、
空くんが言う。
「星野っぽいから」
私は目を見開く。
空くんは、
時計を見たまま続けた。
「……買う」
「え!?!?」
私は一気に現実へ引き戻される。
「いいよいいよ!!
高いって!!」
慌てて首を振る。
「……好みじゃない?」
「すっごく好きだけど!」
空くんが、
呆れたみたいに小さくため息をつく。
「……じゃあ、交換条件」
「え?」
空くんは、
少し視線を逸らした。
「今度、
学祭来て」
私は一瞬、
言葉を失う。
空くんは、
静かに続ける。
「……見せるから」
数秒。
空くんが、
少しだけ視線を落とす。
そして。
「……知らない時間」
呼吸が、
止まりそうになる。
大学の空くん。
知らない場所。
知らない時間。
私は思わず、
小さく笑った。
「……ずるい」
◇
帰り道。
夜風。
並ぶ影。
空くんが、
ぽつり。
「……また帰るし」
え。
私は顔を上げる。
空くんは前を向いたまま、
続けた。
「その時、
また会えばいいだろ」
その言い方が。
あまりにも自然で。
まるで。
これから先も、
当たり前みたいに続いていくみたいで。
胸の奥が、
ぎゅってなる。
私は小さく笑う。
「……うん」
そのあと。
ふと。
腕時計へ視線が落ちる。
夕焼けを閉じ込めたみたいな、
新しい腕時計。
夜の灯りを映して、
静かに光ってる。
……学祭か。
知らない時間。
大学の空くん。
なんか、
変に緊張する。
「……星野?」
低い声。
気づけば、
空くんがこっちを見ていた。
私はゆっくり顔を上げる。
「……空くん」
「……ん?」
私はぎゅっと時計を握る。
そして。
小さく聞いた。
「……ほんとに、
行ってもいいの?」
空くんは、
少しだけ眉を寄せる。
それから。
前を向いたまま、
ぽつり。
「俺が来てって言った」
呼吸が止まりそうになる。
空くんは、
そのまま歩き続ける。
でも。
耳だけ、
少し赤い。
私は思わず笑った。
「……絶対行く」
夜風が吹く。
隣を歩く歩幅が、
少しだけ近い。
私はもう一度、
新しい腕時計へ触れた。