隣の席の悪魔【旧版】

横顔 ー空sideー

夏休み。

地元。

駅前。

変わってない景色。

……なのに。

帰ってきたって感じは、
あまりしない。

駅前も。

川沿いも。

走ってた道も。

全部そのままなのに。

当時、
隣にいた横顔だけが、
どこにもない。

◇

実家のソファ。

ペットボトルの水を飲んでると、
向かいで葛西が笑った。

「向こうはどうよ」

「普通」

「でた」

少し黙って。

俺は、
ぼんやり窓の外を見た。

「……こっちが楽」

葛西は昔と変わらない顔で、
けらけら笑う。

「同窓会来なかったくせに」

「留学中だって言ったろ」

「タイミング悪すぎ」

……ほんとに。

その通りだった。

すると。

葛西が、
ふっと笑った。

「あいつ、
来てたぞ」

その瞬間。

ペットボトルを持つ手が、
少し止まる。

葛西は気づいてないみたいに、
続けた。

「……大人になってたよ」

胸の奥が、
小さく揺れる。

俺は、
黙ったまま水を飲んだ。

葛西が、
にやっと笑う。

「その顔」

「……なんだよ」

「分かりやす」

うるさい。

◇

夕方。

『こっちの図書館で働いてるって』

葛西の言葉を思い出しながら、
俺は図書館へ向かってた。

夏の風。

静かな道。

……六年。

今さら会ったところで。

星野が、
昔みたいに笑う保証なんか、
どこにもないのに。

◇

自分の気持ちには、
気づいていた。

卒業式。

分かれ道。

一度は、
戻ろうと思った。

星野が泣きそうだったから。

でも。

当時の俺には、
どうすることもできないことも
分かっていた。

だから。

『ちゃんと、
前見て走れよ!!』

あの言葉に、
全部を託した。

星野には、
伝わると思ったから。

◇

……どの口が、
と思う。

走ってる時の顔。

バテてくると、
ぎゅっと手を握る癖。

照れると、
すぐ視線逸らすところ。

うるさい声。

夕焼けの横顔。

うまく走れないのは、
俺のほうなのに。

◇

図書館。

自動ドアが開く。

冷たい空気。

本の匂い。

静かな館内。

顔を上げる。

カウンター。

本棚。

読書席。

そのどこにも、
星野はいなかった。

◇

秋。

帰省した日にも。

冬。

雪が少し降ってた日も。

やっぱり、
いなかった。

春。

駅前の桜が咲いてた。

静かな図書館。

窓際の光。

あの頃みたいだと思った。

星野だけが、そこにいなかった。

◇

だんだん、
変に納得する。

……そういうものなんだろう。

六年だぞ。

住む場所も。

会う人間も。

全部変わる。

今さら、
どうにもならない時間の方が多い。

もしかしたら、
もうこの街にはいないのかもしれない。

だから。

この夏、
最後にして。

もう来るのはやめようと思った。

◇

夕方。

図書館。

自動ドアが開く。

冷たい空気。

本の匂い。

静かな館内。

顔を上げる。

カウンター。

返却された本。

窓際から入る、
夏の光。

その向こう。

束ねた髪。

後れ毛を
耳へかける仕草。

伏せた目。

本を握る細い指。

見慣れてるはずなのに。

知らない横顔みたいだった。

……いた。

カウンターの向こうに。

星野が顔を上げる。

目が合う。

その瞬間。

星野の顔が、
少しだけ固まった。

でも次の瞬間。

ゆっくり、
目を見開く。

「……空、くん?」

名前を呼ばれる。

それだけで。

胸の奥にあったものが、
一気にほどけそうになった。

俺は、
何も言えなかった。

そして。

やっと声を出す。

「……星野?」

◇

本当は。

少し話したら、
そのまま帰るつもりだった。

……それで、
十分なはずだった。

……でも。

閉館時間が近づいても、
足が動かない。

気づけば。

図書館の外。

街灯の下。

壁にもたれて、
携帯を見ていた。

……帰る気、
ないだろ。

葛西なら笑う。
確実に。

でも、それでもいい。
今更だから。

その時。

自動ドアが開く音。

「空くん!」

顔を上げる。

鞄を抱えながら、
こっちへ走ってくる星野。

昔と同じ走り方。

思わず、
少しだけ目を細めた。

「……遅い」

「これでも急いで来たんだよ?」

少し息を切らしながら、
星野が笑う。

その顔を見た瞬間。

帰ってきたと思った。

地元に。

星野がいる街に。

……今さらでも、
よかったのかもしれない。

隣で笑う声も。

走る時、
ぎゅっと手を握りしめる癖も。

照れると、
すぐ視線を逸らすところも。

やっと触れられた、
この時間も。

今度こそ、
ちゃんと掴んでいたかった。
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