ファーストスター

Episode.3

「明日の雑誌インタビューを除けばクランクインの五日前までは仕事入ってないんだから大丈夫でしょ?お願い、マネージャー。私、どうしても行きたいの。行って、役作りの参考にしたいの。ね、お願い。それまでには必ず帰って来ますから」

 ワンルームマンションに戻るなり、姫はマネージャーに電話を入れていた。

 撮影開始日までの三週間のうちにどうしても満天の星空を見ておきたい。それを見れば、役を演じる女の子の気持ちが少しでも理解出来る筈だと思った。天候に左右されるということも考慮して、五日間以上あれば必ず大丈夫だと思った姫は所属事務所に一週間の休暇を願い出ていた。

 三十分近くの押し問答の末、マネージャーと事務所側をようやく説得した姫は晴れて明後日から一週間の夏季休暇を取得した。
 そうと決まれば早速準備をしなければと、姫はクローゼットに仕舞ってあったボストンバッグを引っ張り出し、着替えや化粧品、洗面用具などを片っ端から突っ込み始めていた。


 夜になり、一応の準備を整えた姫はベッドの上で携帯電話を弄んでいた。もう片方の手には昼間、真壁から貰った星降る街、美空市の資料。その最後のページにある彼の電話番号を何度か自分の携帯電話に打ち込んではみたものの、いつまでも発信ボタンを押すことが出来ずにいた。


― 私も近々行く予定なんです。


 真壁が去り際に残した一言。この言葉がどうしても頭から離れなかった。
 正直なところ、天然方向音痴の姫は知らない土地に一人で行くことに多少の不安があった。でも星降る夜空は見てみたい。そんな気持ちでいた姫にとって真壁の一言は有難かった。出来れば一緒に連れて行ってもらいたい。土地勘もあるだろうし、星のことも色々教えてもらえるだろう。

 だが、昼間の真壁の態度からしてナンパが目的でないのは分かっている。連絡先さえ彼は尋ねてこなかったのだから。
 彼はきっと私を連れて行ってあげよう、一緒に行こうなどと考えている筈も無い。だから自分から連れて行って欲しいとは言いづらかった。 

あーでもない、こーでもないと考えているうちに夜は更け、時計を見るとニ十ニ時を過ぎていた。

「あれ、もうこんな時間……」

 携帯電話と資料をテーブルに置き、姫はベッドに寝そべった。枕に顔を埋め、溜息をひとつ吐いてみた。そうすることで揺らいでいた気持ちが少し治まる。
 目を閉じるとプラネタリウムで見た星空が瞼に浮かんできた。

― 見たい……。やっぱり見てみたい。本物の満天の星空をこの目で。

 そう思いながら、何気なくジーンズのポケットに手を入れると何かが指先に触れた。それは真壁から差し出された青いハンカチだった。

「そうだ!」

 ある考えを思いついた姫はむくりと起き上がり、テーブルの上の携帯電話を掴むと発信ボタンを祈るような気持ちで押していた。

 四度目のコール音が聞こえた後、涼やかな声が耳元に触れた。

「はい、真壁です」

 一瞬、胸がドキリとした姫は何も言えずに携帯電話を握り締めていた。

「あ……れ? もしもし、真壁ですが」

― 勇気を出して。キレイな星空を見に行きたいって言えばいいだけ。プラネタリウムの星空を見たときの素直な気持ちを思い出すんだ‼

 そう自分に言い聞かせた姫はやっとの思いで口を開いた。

「……夜分遅くにすみません。私、日中にプラネタリウムでお会いした織田です」

 胸が早鐘を打っていた。
 初めてカメラを向けられたときでもこんなにドキドキはしなかった。何故か心が騒ぐ。
 高校生のとき、初めて異性の家に電話を掛けたときの気持ちのようだった。

「あ、織田さんでしたか! こんばんは」

 優しげな口調が通話口の向こうから聞こえてきた。どうしてなのか、彼の声を聞くだけで嬉しくなってしまう。姫はそんな自分にためらいながらも口元を緩め、自然と微笑んでいた。

「こんばんは。あの……昼間はありがとうございました。あれから私、美空市に行くために夏季休暇を取得したんです」
「おぉ、それはすごい。織田さんは行動力がおありですね。で、何か分からないことでもありましたか?」

 胸の鼓動が早くなる。ドキドキして舞い上がっていつもの自分ではないみたいだ。しかし、姫は迷いながらも考えていたことを思い切って口にした。

「いえ……。今日、お借りしたハンカチを返さなければと思い電話しました。それで……真壁さんも近々、美空市に行くということもお聞きしたので、出来れば一緒に連れて行ってもらえれば助かるなって。ハンカチもその時にお返しできればと思っていました。その……、あの、ご迷惑でなければ……」

 胸が切ない。返事を聞くのが怖いと感じたのは初めてのような気がした。

 ほんの束の間の時間が途方もないくらいに長く感じられる。姫は目を閉じてお願い……、と心の中で呟いていた。


「はい、喜んで。私は明後日の昼過ぎに行くつもりでしたが、織田さんのご予定は如何ですか? 少しくらいの日程変更でしたら融通を利かせますよ」

 目の前がパッと明るくなった。思わずベッドの上に正座した姫は安堵の溜息を漏らしていた。その溜息が聞こえたのか、真壁は姫を安心させるように言った。

「私も一人で行く予定だったんです。いつもならニ、三人の仲間と行くのですが、今回は休みの日程がどうしても調整出来なくて。長距離のドライブに話し相手がいるのは大歓迎です。それにもともと私がお誘いしたことですから、改めて……。よろしければご一緒させて頂けますか?」

 彼のその一言で気持ちが軽くなる。
 優しくて、相手の気持ちを考えてあげられる大人の人なんだと、改めて姫は思った。すると今まで考えてもいなかった疑問が浮かんできた。

「でも、私と一緒だと……。えっと、その奥様とか、恋人に変な誤解を与えてしまいませんか?」

 躊躇する間もなくそんな言葉が出ていた。姫は自分で言ったことが信じられず慌てふためいた。

― 私ったら何言ってるのよー。これじゃあまるで身辺調査みたいだし、変に誤解されちゃう 。

 しかし真壁はさして気にする様子も無く、あっさりとそれに答えた。

「あはは、そんなことはありませんよ。私は独身ですし、彼女もいませんから」

 ほっとしたと同時に何だか嬉しさが込み上げてきた。姫は真壁が独身でフリーだということを喜んでいる自分に気が付いた。

― ま、まさかね……? 今日、出会ったばかりなのに。恋に憧れる少女じゃあるまいし。

 きっと真壁が一人の人間としてステキな人だと思う気持ちと、恋愛感情のようなものがごちゃ混ぜになっているだけだと姫は思うようにして平静を装った。

「じゃあ、お言葉に甘えちゃいます。実は私の休暇も明後日からなので、日程は真壁さんに合わせられます」
「分かりました。それでは……明後日の午後一時、今日お越しいただいた宇宙科学館の駐車場で待ち合わせということで如何でしょう?」
「はい、それでOKです。私……楽しみにしています」

 電話を切ると姫は居ても立ってもいられなくなった。

 準備していた荷物をもう一度ボストンバッグから取り出して見直したり、服を選び直したりと、まるで初デートの学生のように気持ちを昂ぶらせていた。


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