ファーストスター

Episode.4

 約束の日、姫は三十分も前に待ち合わせ場所に着いていた。

 駐車場入口脇にある階段に腰掛け、被っていた麦藁帽子を押さえながら空を見上げた。青い空に綿飴のような白い雲が気持ち良さそうに泳いでいる。

― 不思議だな……。私、昨日から空ばかり見上げている。

 今まで気にもしていなかったが、見上げる空は時間とともに様々な色を見せてくれていた。夜明けに見上げた空は瑠璃色。太陽が昇りはじめた時には金色。そして今は鮮やかな青。星は見えないけれど、空を見上げているだけで色々なことを知っていける気がする。空を見上げて欲しいと言っていた真壁の気持ちがなんとなくだが理解出来た。


 ぼおっとしながら流れていく雲を追いかけている時、駐車場に黒い4WDの車が滑り込んできた。車が空きスペースに停まると、運転席から真壁が辺りを見廻しながら降りてくるのが見えた。

「真壁さん!」

 姫はすかさず立ち上がると、大きく手を振りながら彼のもとへと駆け出した。息を弾ませながら真壁の前で立ち止まると、彼は小さく頭を下げ会釈しながら言った。

「お待たせしていたようですね。申し訳ありません」

 この前のネクタイ姿と違い、夏の陽に照らされたジーンズに白いTシャツ姿という飾らない姿に好感が持てる。何より彼の笑顔が眩しかった。

「いえ、私が早く来すぎただけですから。まだ、約束の時間の十分前ですよ」

 腕時計を見て姫が微笑むと、真壁は照れたように小さく頷いて見せた。

「さぁ、荷物を積み込んだらすぐに出発しましょう。と……その前に」

 そう言いながらさりげなく姫が持つボストンバッグに手を掛けた。その拍子に手と手が触れ合う。それだけで姫の胸は高鳴り、どうしていいのか分からなくなるほどだった。

 そのとき、姫の目に想像していなかった光景が飛び込んできた。真壁の車の助手席から一人の女性が降り立ったのだ。

「ああ、七星(ななせ)。今、紹介しようと思っていたんだ。こちら、織田さん」

― ななせ……?

 セミロングの黒髪を風になびかせながら、七星と呼ばれたその女性は軽やかに姫に向かって歩を進めた。優雅な足取りはモデルのようでもあり、事実、姫の目から見ても美しい女性だった。
 彼女は姫の前に立つと、ニコリと微笑んだ。

「初めまして、野中 七星と申します。よろしくね、織田さん」

 七星は優しげな眼で、ペコリと頭を下げた。

「あ……織田 姫です。こちらこそ、よろしくお願いします」

姫も同じように挨拶を返したのだが、心中穏やかではなかった。

「今日の朝、北斗に聞いたの。ペルセウス座流星群を美空市まで見に行くって。私、ヒマだったからついて来ちゃったの」

― え……? 二人とも名前を呼び捨て。

 動揺しているのが自分でも分かった。名前で呼び合うなんて、それ相応の仲でないと出来るものではない。しかも男と女。うきうきとした気持ちが一気に萎えていった。

― この前、彼女はいないって言ってよね……。真壁さん、この人は誰?

 姫は胸の中で真壁に問い掛けていた。

 しかし真壁はそんな姫の心の声に気付く筈もなく、七星と名乗るキレイな女性と仲良さげに何かを話しながら車のリアゲートに姫の荷物を載せている。

 バタンという音がすると「さ、織田さん。乗って、乗って。出発よ」と、姫は七星に腕を引っ張られていた。後部座席に押し込まれると同時に真壁が運転席に乗り込んできた。

「こら、七星。織田さんが面食らっているだろう? お前のペースに引きずり込むなよ」

 そう言って後ろを振り向いた笑顔の真壁と目が合った。

― ね、この女性と……どういう関係なの?

 そう問いたい言葉を姫は呑み込んだ。この和やかな雰囲気を気まずくしたくなかったからだ。
 そして曖昧な笑みだけを真壁に返すと、彼は照れくさそうに目を細めた。





 美空市までの道程は順調だった。首都高で多少の渋滞はあったが、真壁のくれた用紙に書いてあった時間とほぼ同じくらいに車は美空市内へと入っていった。

 車内での姫は真壁と七星の会話に適当な返事と相槌を打ち、只、愛想笑いを浮かべているだけだった。

 普段ならそんなことは絶対にしない。仕事柄、役を演じるときはその人になりきらなければいけない。それが架空の人物であっても心は同じ。だから、どんな時でも相手の考えていることや気持ちを理解しようと努めてきた。相手の話をよく聞き、その気持ちを尊重してきた。

 だが、今は違った。
 真壁の隣に座っている美しい七星という女性の存在が姫を何故か苛立たせていた。

 親しげに名前で呼び合い、笑い合う二人。互いを見る目は分かり合っている者同士という雰囲気さえ感じられる。しかも、途中で寄ったパーキングエリアから七星は助手席に乗り込み、姫はポツンと一人後部座席に取り残された格好となっていた。

 真壁が気を使うように話し掛けてくれてはいたが、姫は殆ど上の空で流れて行く景色だけを見つめていた。

 車窓からは澄み切った青い空が見えた。降り注ぐ陽光は透明感に溢れきらきらと輝いている。辺りは田園ばかりで遮るものがなく、空がとてつもなく広い。

 ビルの谷間に浮かぶ切り取られたような都会の小さな空と同じものとは思えないくらいだった。確かにこんなところなら星がよく見えるだろうと姫は思っていた。

 やがて車は山道に入り、九十九折りを軽快に駆け抜けていく。真壁のハンドルさばきはよどみがなくそれでいて注意深い。幾度となく来ているのが分かる運転だった。

 車の絶妙ともいえる揺れが姫の瞼を少しずつ重くしていく。何時しかまどろみはじめた頃、車はゆっくりと停車した。体がふっと前のめりになったことで姫は目を覚まし、重い瞼を開こうとした。



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