大正ハイカラ娘・朝霧すみれと新聞記者小田切レン~消えた花嫁の謎を解く~

第3話 メイドさんの証言にしたがって

小田切さんは、ふっと笑った。

 そして部屋へ戻ると、
 奥さまと使用人たちに向き直った。

 壁に立てかけてあったステッキをひょいと持ち上げる。

 次の瞬間――。

 くるり。

 鮮やかに回した。

「そこにいるのは悪霊か?」

 低い声。

「やあっ!」

 見えない敵を、
 すぱっと斬り払う。

 それはもう、
 驚くほど見事な動きだった。

「おお……!」

 使用人たちが思わず声を上げる。

 奥さまですら、
 一瞬涙を止めて見入っていた。

 ……すご。

 この人、
 何者なの?

 しかも、ちょっと格好いい。

 いや、かなり格好いい。

 悔しい。

「悪霊は成敗しました」

 小田切さんは、
 まるで舞台俳優みたいに一礼した。

「皆さま、お嬢様がご心配なのはわかります」

 静かな声。

 けれど、不思議と安心する響きがある。

「ですが、ここは私たちに任せてください」

 私たち。

 ……私たち?

 その言葉に、
 なぜか少し胸が跳ねた。

「奥様はお部屋でお休みください」

「皆さんは仕事へ戻ってください。何かわかり次第、必ずお知らせします」

 なんという説得力。

 なにも解決していないのに。

 なのに――。

 みんな、納得してしまった。

 小さなため息をつきながら、
 それぞれの持ち場へ戻っていく。

 部屋から誰もいなくなると、
 小田切さんは若いメイドを花嫁の椅子へ座らせた。

「さあ、怖がらなくていい」

 少しかがみ、
 目線を合わせる。

「知っていることを全部話してくれたまえ」

 ……優しい。

 こういう時、
 この人ずるい。

 若いメイドは唇を噛み、
 迷っているようだった。

 私はそっと手を握る。

「秘密は守るわ」

 安心させるように微笑んだ。

「話してちょうだい」

 小田切さんも、
 ゆっくりうなずく。

「勇気を出して、メイドさん」

 優しい声。

「事件解決には君の協力が必要なんだ」

 一拍置いて、
 にっこり笑う。

「解決したら、ボクからプレゼントをあげよう」

 メイドが瞬きをした。

「馬車道通りの洋菓子店のクッキーだ」

 小田切さんが、
 もったいぶるように言う。

「それはそれは、うまい」

 ……出た。

 イケメンの懐柔作戦。

 若い女の子が甘いもの好きなの、
 わかってる。

 ずるい。

 そして、ちょっと悔しい。

「馬車道通りの……クッキー」

 メイドの目が、
 ほんの少しだけ輝いた。

「いただいたことありませんわ……」

 そして、小さくうなずく。

「……わたくし、がんばります」

 私と小田切さんは、
 同時にほっと息をついた。

 メイドは私たちを見て、
 震える声で話し始める。

「……あ、あたし、見たんです」

 ごくり。

 空気が変わる。

「昨夜――霧の中で」

 私は息を呑んだ。

「夜中の十二時頃、
 ある人と会う約束をしていました」

 顔を赤くする。

「誰にも内緒です……あたし、その人が好きなんです」

 私は小田切さんと顔を見合わせた。

 ……青春。

 いや、今そこ?

 でも、ちょっと可愛い。

「いつものように門のところで待っていました」

 メイドの肩が震える。

「その時です」

 声が、かすれた。

「白いドレスの女の人が、
 目の前を通って行ったんです」

 しん――。

 空気が静まる。

「そう、あちらへ」

 彼女が指差した先。

 窓の向こう。

 霧の奥。

「……あちらへ行くと、桟橋へ続くんです」

 小田切さんが、
 静かに私を見る。

「海へ向かって?」

「……ええ」

 メイドは震えながら言った。

「あたし、すぐに思いました」

 一瞬、
 言うのをためらう。

「横浜で噂の――《港の白い女》だって」

 小田切さんが反応する。

「霧の夜に現れるという、
 海の精霊の話だね」

 メイドは何度もうなずく。

「行き場のない女を、
 海の底へ連れて行くって……」

 私は思わず腕をさすった。

 霧のせい?

 少し寒い。

「怖くなったんです」

 メイドはぎゅっとエプロンを握る。

「あたしも白い服だったから」

「え?」

「昨夜、好きな人と会うために、白っぽいワンピースを着てたんです」

 小田切さんが、
 手帳に素早くメモする。

「だから――」

 メイドは震えながら言った。

「海の精霊さん、あたしには行き場があるんですって」

 一生懸命、
 両手を握る。

「何度も、何度も言いました」

 なんだか、
 切なくなった。

 好きな人がいる。

 だから、
 まだ海へは行けない。

 そんな願い。

「それで?」

 小田切さんが静かに聞く。

「お嬢様だとは思わなかったのかい?」

「思いませんでした!」

 メイドは首を振る。

「だってお嬢様には、これからお嫁入りという素晴らしい行き場がありますもの!」

 その言葉に、
 私は胸が痛くなった。

 行き場。

 誰にでも、
 あるとは限らない。

「その後、約束を破って屋敷へ戻りました」

 メイドは続けた。

「お嬢様のお部屋には灯りがついていました」

「つけっぱなしで寝ておられるのだと思ったんです」

「時々、そういうことがありましたから」

 小田切さんが、
 静かに手帳を閉じた。

 そして、ぽつりと言う。

「港町には昔から伝説がある」

 低い声。

「《港の白い女》――」

 霧の日に現れる、
 白い女。

「行き場のない女を、
 海の精霊が連れて行く」

 そして。

「白い衣類だけが、
 桟橋に残される」

 ――はっ。

 私は顔を上げた。

「……桟橋を見に行きましょう」

 自分でも驚くほど、
 声が落ち着いていた。

「小田切さん」

 彼がこちらを見る。

 そして。

 ふっと笑った。

「やっぱり、君は勇敢だな」

 低い声。

「でも――」

 一歩近づく。

「危険だから、絶対にボクから離れないで」

 ……っ。

 近い。

 顔が近い。

 心臓に悪い。

「わ、わかっています!」

 思わず早口になる。

 小田切さんが、
 少しだけ楽しそうに笑った。

 霧の中。

 私たちは並んで歩き出した。

 桟橋へ向かって。

 そこに、
 本当に《港の白い女》が残したものがあるとも知らずに――。
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