悪魔の娘が帰還するまでーささやかな復讐と聖女の称号を添えてー

第十三章:誘惑の悪魔

 波の音が遠くで低く唸り、海の霧が重く別荘を包んでいる。地下では、また脈動するような魔力の気配が揺れていた。

 ライルの件の翌日、オリヴィアはまた気配絶ちのローブをまとい、誰にも気づかれぬように階段を降りる。
先日訪れたときとは明らかに空気が異なっていた。まるで地下そのものが「何か」を待ち望んでいるような圧。

(くそ、人の身体があるって面倒ね。魔界の魔力に当てられて、吐き気と頭痛が……)
「っはあ、はああ……うっ、うぷ……っ私は、誇り高い、悪魔の娘!この程度…」

 膝で歩いていながら、誇りが守られているかは不明だが、今回は扉の中に入ることが出来た。
 扉の取手を持ちながら、押し開けた先に転がり込むと、石床にぶつかった半身がジワジワと痛み、頭は内側と外側から響く痛みで割れそうになった。

 芋虫のように頭を抱えて丸まり唸っていると、石床を叩く靴音が響いた。
 背筋に汗が伝う。

(こんな場所に誰がーー?だってこの場所は隠されて……)

 靴は黒く大きい、男のものだった。
「やあ、オリヴィア。ようやく来たね」
 声は低く艶やかで、どこか気怠げな響きを含んでいた。

 オリヴィアは警戒しながらも、まだ身を起こすことが出来なかった。
 下から見上げた男は、後ろに撫でつけた黒髪に、暗闇に光る宝石のような金色の瞳。恐ろしいほど整った青白い貌をしていた。

 黒いジャケットも揃いのパンツもそれ自体は珍しくない。むしろよくある地味な部類だ。撫でつけた髪型だってそうだ。形だけなら貴族出身の廷臣のように見えるが、目の前の男の立ち姿は、ひどく現実味がなかった。

 まるで蜜のように漂う妖艶さ。男が近づいて来るほど、言葉にできない不安が胸を掻き立てる。

「……はッ、待ち伏せとは、趣味が悪いわね……」

「趣味の問題じゃないよ、仕事さ。君を試すために来ている」
(試す……悪魔ね)

 男はオリヴィアを見つめながら、扉の枠組みにもたれかかった。オリヴィアを真上から覗き込んでいる。
 「君が求める魔界門は、ここに確かに存在している」
そう言って男が黒い手袋を嵌めた親指で後方を示す。

(魔界門!)
そこには荘厳な石造りの門があった。白く、魔法陣に代わる呪文の羅列を馴染ませるように、緻密な細工が施された芸術性の高いもの。
人間界における天使と悪魔の絵が描いてあり、それを開く者によって結果が変わることを意味している。

(凄い……。ただの悪魔の通用口とは訳が違う)
教師が誇る訳だ。条件さえ揃えれば、あとは複雑な手続きなど要らない。それでいて周りへの影響も極めて軽微だ。

 「だけど今の君には開けない。絶望が足りないからだ」
フィンレイは目を輝かせているオリヴィアを鼻で笑うように言った。まるで通れると思っているのか?と言いたげに。
「……何が言いたいの?」
「俺は君の母ノクティレアと同じく誘惑の悪魔、フィンレイ…。」
フィンレイはゆっくりと微笑んだ。

「記憶だ。君がもっとも大切にしている記憶──それを代償として差し出すのなら、俺が魔界門を開いてやる」
< 13 / 42 >

この作品をシェア

pagetop