悪魔の娘が帰還するまでーささやかな復讐と聖女の称号を添えてー
第二十四話:契約成立 ※王太子視点4/4
翌日、極秘会議が行われた。
アルヴェインはヴァルドから受け取った証跡を携え、父王とごく少数の重臣に古の契約を示した。
そしてこれからの儀式に必要なモノも。
すべての書類は周到に準備されている。アルヴェインが作成したとは思えぬ出来だが、アルヴェインの字にしか見えない。ヴァルドによって整えられたものだったが、アルヴェインは何も感じていない。
周りは恐らく側近の誰かが上手く字を真似たのだろうと思い、それよりも契約の内容と国の崩壊が始まっていることで頭がいっぱいだった。
王は長く沈黙し、額を押さえた。
「……我らは、こんなものの上に立っていたのか」
王は国を、民を、彼なりに守ろうとしてきた。それでも空は晴れず、作物は育たず、子らの泣き声は止まない。
(このまま滅びを受け入れろというのか。しかし私の手で子供らを……)
王は悩み、沈み、国家魔術師たちに口外禁止の重い約束をさせた上で、なんとか子供の贄なしで行えないかと訴えた。
何日も何日も一日中似たような会議を開きながら、遅々として進まないことにアルヴェインは苛立った。
「国が滅ぶというのに悠長な……。」
それはその言葉通りの意ではなかった。アルヴェインの頭にあるのは自分が認められる時期が遅れていることへの不満だけだ。
「お可哀想に……。王子様。」
ダンッ‼︎とアルヴェインは執務机を叩いた。
「口に気をつけろ!俺は王太子だ‼︎」
ヴァルドは深く頭を下げた。あの日以来、アルヴェインはヴァルドを秘書のように連れ歩いていた。
「王太子様……、私が世に疎いのは事実ですが、城内の者があなた様を王子と呼んでおりました。」
アルヴェインのこめかみに青筋が浮かぶ。
「何だと…。どこの者だ!」
「何しろ私は表に出ない者だったので、存じ上げず…。ただ、第二王子殿が王太子だと、今思えば不敬なことを申しておりました。」
「なん…っ‼︎」アルヴェインの唇はわななく。
ヴァルドは下げた頭で見えない位置で、白い歯を見せて笑った。
「王太子様、私には特別な力があります」
「何?」
不機嫌を露わにアルヴェインがヴァルドを見据える。
「人の意識を操れる。思いのままとはいきませんが、あなた様を地下にお招きしたように…ある程度は」
アルヴェインはギラギラと両眼を輝かせた。
「成程!……それで貴様は、貴様の血族は闇で生きていたのだな。そんな能力…まるで悪魔だ。
くく、王家の味方でいてくれて良かったよ。」
「それでは、王の意識を結論を急ぐように……」
「ああ!やれ!」
ヴァルドの瞳が一層煌いたのを、浮かれるアルヴェインは見ていなかった。
「ただしこれは願う者の対価が必要なのです。殿下、この能力は自分のためには使えません。」
「尚素晴らしい!それで何が必要だ?」
「願う者ーこの場合はあなた様の血を…勿論、今でなくても構いません。」
「後払いまで可能なのか。実に都合が良いな」
「恐れ入ります」
アルヴェインは知らぬ間に、恐ろしい契約を結んだ。
きっと女学生が恋の呪いに針で自分の指を突いて出す少しの血を想像したのだ。
古代魔術が失われて久しい現在では、通常の魔術で使用する血液、唾液、髪などは極めて少量だった。
(実に愚かな……今まさに悪魔と契約する大儀式を行おうとしているのに、何も気づかないとは……。)
その日の午後、王は急に大祈祷という言葉を使った、大規模な悪魔召喚儀式の遂行を許可した。
「……大祈祷を許す。ただし可能な限り人ではなく代替で済ませるように。子供たちはその時まで丁重に扱うように」
赤字で書き加えられた「暴力の禁止」という語を見て、アルヴェインは冷笑する。
「ヴァルド」
「はい」
人の手を経る度に、うっかり文字が消え、承認が飛ばされ、「子供が消える夜」を実行する者たちへの指示書に変わる頃には、誰にも見つからず、急ぎ子供を集めるようにとしか伝わらなかった。
◇◇◇
夜が来る。
王都から夜灯が一つ、また一つ落ちた。
表向きには古くなった灯りの公共工事事業。
「子供が消える夜」の噂を恐れた民家の戸口には、願掛け程度にしかならない、ひどく簡単な呪いの封じ紋が濃く押された。無事を願う祈祷の歌が歌われ、母たちは子供をかたく抱き寄せた。
しかし、滅びへ向かう古の契約がー。
子供の贄を捧げ続ける約束がー。
国家魔術師と悪魔の知恵、玄人の工作員がーー民の努力を無意味にした。
毎夜、子を想う母たちと、拐かされた子供たちの泣き叫ぶ声が響いた。
◇◇◇
豪華な私室。能力の向上と幸運を願う守りがそこかしこに置かれた王太子の部屋。
アルヴェインは大きな窓の向こうを見下ろし、深く息を吐いた。
(これでいい。繁栄の百年を得られれば、すべてが上手くいくだろう)
背で薄い衣擦れの音がした。アイラがアルヴェインに並び、蛇のように指を絡める。
「殿下……。」
アルヴェインは舌打ちしたいのを押さえ、眉間の皺を鎮めながら振り返った。
「――ああ」
短い返答。そこに宿るのは愛ではなく、自分を愛してくれる像がそばにある便利さへの頷きだ。
◇◇◇
同じ頃、王の執務室では老王が机に額を押し当てていた。
(私は、何を許した)
何度も「やめろ」と言いかけた。
しかし百年の繁栄が得られるのならば一時の痛みは必要だと重臣の誰かが言った。
頭が内側から軋んだ。最近妙に頭が痛み、思考に膜がかかる。
王は目を覆った。撤回の言葉は、いつも声になる前に頭の中で封じられた。
アルヴェインはヴァルドから受け取った証跡を携え、父王とごく少数の重臣に古の契約を示した。
そしてこれからの儀式に必要なモノも。
すべての書類は周到に準備されている。アルヴェインが作成したとは思えぬ出来だが、アルヴェインの字にしか見えない。ヴァルドによって整えられたものだったが、アルヴェインは何も感じていない。
周りは恐らく側近の誰かが上手く字を真似たのだろうと思い、それよりも契約の内容と国の崩壊が始まっていることで頭がいっぱいだった。
王は長く沈黙し、額を押さえた。
「……我らは、こんなものの上に立っていたのか」
王は国を、民を、彼なりに守ろうとしてきた。それでも空は晴れず、作物は育たず、子らの泣き声は止まない。
(このまま滅びを受け入れろというのか。しかし私の手で子供らを……)
王は悩み、沈み、国家魔術師たちに口外禁止の重い約束をさせた上で、なんとか子供の贄なしで行えないかと訴えた。
何日も何日も一日中似たような会議を開きながら、遅々として進まないことにアルヴェインは苛立った。
「国が滅ぶというのに悠長な……。」
それはその言葉通りの意ではなかった。アルヴェインの頭にあるのは自分が認められる時期が遅れていることへの不満だけだ。
「お可哀想に……。王子様。」
ダンッ‼︎とアルヴェインは執務机を叩いた。
「口に気をつけろ!俺は王太子だ‼︎」
ヴァルドは深く頭を下げた。あの日以来、アルヴェインはヴァルドを秘書のように連れ歩いていた。
「王太子様……、私が世に疎いのは事実ですが、城内の者があなた様を王子と呼んでおりました。」
アルヴェインのこめかみに青筋が浮かぶ。
「何だと…。どこの者だ!」
「何しろ私は表に出ない者だったので、存じ上げず…。ただ、第二王子殿が王太子だと、今思えば不敬なことを申しておりました。」
「なん…っ‼︎」アルヴェインの唇はわななく。
ヴァルドは下げた頭で見えない位置で、白い歯を見せて笑った。
「王太子様、私には特別な力があります」
「何?」
不機嫌を露わにアルヴェインがヴァルドを見据える。
「人の意識を操れる。思いのままとはいきませんが、あなた様を地下にお招きしたように…ある程度は」
アルヴェインはギラギラと両眼を輝かせた。
「成程!……それで貴様は、貴様の血族は闇で生きていたのだな。そんな能力…まるで悪魔だ。
くく、王家の味方でいてくれて良かったよ。」
「それでは、王の意識を結論を急ぐように……」
「ああ!やれ!」
ヴァルドの瞳が一層煌いたのを、浮かれるアルヴェインは見ていなかった。
「ただしこれは願う者の対価が必要なのです。殿下、この能力は自分のためには使えません。」
「尚素晴らしい!それで何が必要だ?」
「願う者ーこの場合はあなた様の血を…勿論、今でなくても構いません。」
「後払いまで可能なのか。実に都合が良いな」
「恐れ入ります」
アルヴェインは知らぬ間に、恐ろしい契約を結んだ。
きっと女学生が恋の呪いに針で自分の指を突いて出す少しの血を想像したのだ。
古代魔術が失われて久しい現在では、通常の魔術で使用する血液、唾液、髪などは極めて少量だった。
(実に愚かな……今まさに悪魔と契約する大儀式を行おうとしているのに、何も気づかないとは……。)
その日の午後、王は急に大祈祷という言葉を使った、大規模な悪魔召喚儀式の遂行を許可した。
「……大祈祷を許す。ただし可能な限り人ではなく代替で済ませるように。子供たちはその時まで丁重に扱うように」
赤字で書き加えられた「暴力の禁止」という語を見て、アルヴェインは冷笑する。
「ヴァルド」
「はい」
人の手を経る度に、うっかり文字が消え、承認が飛ばされ、「子供が消える夜」を実行する者たちへの指示書に変わる頃には、誰にも見つからず、急ぎ子供を集めるようにとしか伝わらなかった。
◇◇◇
夜が来る。
王都から夜灯が一つ、また一つ落ちた。
表向きには古くなった灯りの公共工事事業。
「子供が消える夜」の噂を恐れた民家の戸口には、願掛け程度にしかならない、ひどく簡単な呪いの封じ紋が濃く押された。無事を願う祈祷の歌が歌われ、母たちは子供をかたく抱き寄せた。
しかし、滅びへ向かう古の契約がー。
子供の贄を捧げ続ける約束がー。
国家魔術師と悪魔の知恵、玄人の工作員がーー民の努力を無意味にした。
毎夜、子を想う母たちと、拐かされた子供たちの泣き叫ぶ声が響いた。
◇◇◇
豪華な私室。能力の向上と幸運を願う守りがそこかしこに置かれた王太子の部屋。
アルヴェインは大きな窓の向こうを見下ろし、深く息を吐いた。
(これでいい。繁栄の百年を得られれば、すべてが上手くいくだろう)
背で薄い衣擦れの音がした。アイラがアルヴェインに並び、蛇のように指を絡める。
「殿下……。」
アルヴェインは舌打ちしたいのを押さえ、眉間の皺を鎮めながら振り返った。
「――ああ」
短い返答。そこに宿るのは愛ではなく、自分を愛してくれる像がそばにある便利さへの頷きだ。
◇◇◇
同じ頃、王の執務室では老王が机に額を押し当てていた。
(私は、何を許した)
何度も「やめろ」と言いかけた。
しかし百年の繁栄が得られるのならば一時の痛みは必要だと重臣の誰かが言った。
頭が内側から軋んだ。最近妙に頭が痛み、思考に膜がかかる。
王は目を覆った。撤回の言葉は、いつも声になる前に頭の中で封じられた。