敏腕パイロットは空の上のシェフを愛す~愛おしい双子を添えて~

その後、知らぬうちに夢へ誘われた花梨が目を覚ますと、久登の姿はもうなかった。
部屋は静まり返っていて、さっきまでの温もりだけが、まだ体に残っている。
ダイニングテーブルの上には、一枚の置き手紙が置かれていた。
仕事に向かったこと、カードキーは持っていていいこと……そして、走り書きの電話番号と【落ち着いたら連絡してほしい】という短い言葉が綴られていた。
花梨はしばらくそれを見つめていたが、やがてそっと手紙を折り畳み、カバンにしまった。
迷いはあるが、自分の気持ちに嘘をつくことは、もうできそうにない。
少し時間を置いてから、連絡しよう。そう決めて、花梨は部屋を後にした。
タワーマンションのコンシェルジュに、久登から預かった鍵を返す。
彼へいつ連絡をしようか迷っていた、そのとき。

『待って!』

突然、背後から声が飛んできて、反射的に後ろを振り返る。
彼女の目に真っ先に飛び込んできたのは、久登の父――須天正隆と、以前レストランで見かけた、美しく整った女性の姿だった。
須天は、いつもと変わらぬ柔和な笑みを浮かべているが、隣に立つ女性の視線には、隠そうともしない敵意を滲ませていた。
値踏みするような挑発的な眼差しが、花梨の不安を煽ってくる。

『――おや。君は……ONODERAのスタッフの若い子ではないか』

須天は穏やかに微笑みながら、花梨に一歩、一歩近づく。
まっすぐこちらを見据えた瞳に、冷たく光が宿っているのを嫌でも分かってしまう。

『失礼だが、ひとつ聞かせてほしい。なぜ、店の人間である君が久登の部屋に?』

花梨は動揺を少しでも落ち着けようとひとつ深呼吸し、背筋を伸ばした。

『昨晩私は店を辞めました。なので、個人的なお付き合いで彼のお家にお招きいただきました。それ以上のことは……私の立場では、お話しできません』

『なるほどなぁ……』

須天がじっと花梨を観察する間――重たい沈黙が落ちた。
いつから彼らはここにいたのだろう。なぜ、久登と一緒にいたことが、すぐに分かったのだろう。
次々と疑問が浮かぶが、必要以上に踏み込んではいけない。そんな不気味な気配に押され、言葉が喉で止まる。

『あの』
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