孤高の心臓外科医は、憎しみの元恋人を熱情で囲い込む
プロローグ





「搬入、入ります!」

張り詰めた声が手術室に響き渡る。
ストレッチャーに乗った患者を慌ただしく救護隊が運び入れた。
モニターの電子音が規則的に鳴り、スタッフたちが一斉に持ち場へ散っていく。

「バイタル確認! 血圧低下しています」

「ライン確保、急いでください!」

指示と応答が緊迫した空気の中飛び交う。京極(きょうごく)医科(いか)大学(だいがく)附属(ふぞく)病院(びょういん)、心臓血管外科の医師――五十嵐悠醐(いがらしゆうご)は光のない目で患者を見下ろしながら、手袋をはめた。

(篠宮(しのみや)誠(まこと)……)

「心停止!」

青白い顔で眠る篠宮に、悠醐はすかさず電気ショックを当てた。
心は、氷のように冷えている。

(憎たらしいほど、生命力を感じられないな)

かつてゴミくずのように扱った男の躰が、電気が流れる度に魚のように跳ね上がった。

『一葉の前からも、日本の医療業界から消えるんだ』

冷たい声で悠醐を、消そうとした男。

「――心拍、戻りました!」

助手の声が響き、しぶとい男を一瞥した悠醐は、薄い唇を開いた。

「メス」

低く通る声を合図に、空気がぴりりと張り詰める。
差し出された器具を受け取り、彼はためらいなく皮膚を切開する。
そこから赤が瞬く間に広がっていき、視界が現場に様変わりした。
この血なまぐさい空気の中、悠醐は平常心でテキパキと手を動かす。
パズルをはめていくように、正しい形で。
悠醐は人の前に、医者だ。
威厳や尊厳、プライド、権力、金、愛。そんな生ぬるい人間的な感情は捨て、心から憎んだ相手でも、何度も殺してやりたいと思った相手でも、医者という職を全うしている以上、助けるのが使命。
閉塞した血管をただの障害物のように処理し、血流再建の手順へと正確に移る。
悠醐が信じられるのはこの右手と、確かな経験だけ……。
感情は、五年前に日本に置いてきたはずだった。
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