転生令嬢は騎士からの愛に気付かない
 どれくらいの間、口付けを交わしていたのかわからない。けれど、くちびるが離れたときにはアシュリーの体には力が入らなくなっていた。
 ヴィルヘルムが伸ばした手がアシュリーの肩に触れ、指先に僅かに力が込められる。
 ほんの少し押されただけなのに、力の抜けた体はいとも簡単にベッドへと倒れ込んでしまった。
 顔色を窺うようにヴィルヘルムを見上げると、熱の篭った瞳がアシュリーを見下ろしていた。そっと額に優しい口付けが落ちる。

「……やはりあなたは、可愛い人だな」

 低くて甘い声に耳元で囁かれて、かあ、とアシュリーの頬に朱色が散った。

「ヴィル、ヘルム、さ、ま」

 伸ばした腕をゆっくりとヴィルヘルムの首に回す。一瞬だけびくりと体を震わせた彼は顔を上げると、アシュリーをじっと見つめてくる。彼の深い紫の瞳に浮かんだ熱に心臓が大きく音を立てる。
 近付いてきた端整な顔がアシュリーのくちびるに触れる。まるで愛おしいと言いたげな、慈しむような口付けだ。
 ──たとえこれが今夜だけの温情だとしても、それで構わないと思うくらい、触れられた口付けはひどく優しくて甘かった。

 ヴィルヘルムに触れられるたびに胸が高鳴って、そして軋む音を立てる。
 ──こんな気持ちは知りたくなかった。一夜だけでなくて、ずっとこの人に愛されたいなんて、こんな気持ちは、知らない方が良かった。
 想いを寄せていた人に抱かれる幸せと、今夜が過ぎたら終わってしまう関係に対する悲しさが綯い交ぜになった涙が新たに零れ落ちる。
 涙を零したアシュリーを見て目を見開いたヴィルヘルムに腕を伸ばす。

「好き、です。ずっと、好きでした、ヴィルヘルム、さま」

 ──わたしは今、きちんと笑えているだろうか。
 偽りの姿だったとしても、彼にとってはたった今日だけの関係だったのだとしても……せめて今が幸せなのだと言うことはきちんと伝えたかった。
 けれど言いたいことを伝えて少しだけ満足したアシュリーとは反対に、ヴィルヘルムは表情を険しくする。

「そんな顔で好きだと……言わないでくれ。俺はそんな顔が見たいわけじゃない」
「……ご、ごめんなさい、わたし……」

 耳元に落ちた囁きは僅かに震えていた。その声にアシュリーは少しだけ自身を取り戻す。
 自分から強請ってこの状況に持ち込んだ。泣きながら好きだと言うなんて、面倒くさい女だと言っているようなものではないか。
 未練を明日には残してはいけない。今夜が終われば、《シェリー》はいなくなり、《アシュリー》とヴィルヘルムの関係は図書館司書と騎士団副団長という元のものに戻るだけだ。
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