転生令嬢は騎士からの愛に気付かない
 自然と足が後退しそうになるのを堪え、アシュリーは目を伏せた。そして一呼吸して目を開くと、わざと音を立てるように扉を開ける。
 視線を上げたら、真っ直ぐにこちらを見詰めるヴィルヘルムの深紫色の瞳と目が合った。
 どこか安心したように、僅かに目元が和らいだように見えて、アシュリーは思わずヴィルヘルムを凝視する。けれどそう見えたのは一瞬のことで、彼は壁から背を離し、こちらへ向かってきていた。

「アシュリー嬢、疲れているところ、時間を取ってもらってすまない」
「いえ……こちらの方こそ……お待たせして、申し訳ありません」
「いや、この程度は待ったうちには入らない」

 アシュリーの謝罪に、ヴィルヘルムが首を横に振る。
 その返事にアシュリーの胸が痛んだ。
 支度に時間が掛かったのは少しでも現実逃避をするためで、故意的なものだったから。
 何も言葉を返せずにいると、ヴィルヘルムの方が先に口を開いた。

「話をするのに、外では誰かに聞かれる恐れがある。少し場所を変えたいのだが、いいだろうか」

 先に言葉が出ず、代わりに頷く。
 ヴィルヘルムはどこか苦しそうな表情をすると──アシュリーには見えなかったが、手のひらを強く握り締めて──、踵を返して足を進めた。
 少しずつ遠ざかる距離に、アシュリーは慌ててその後を追う。
 ヴィルヘルムは前を見ているし、もしかしたら不意打ちを狙って逃げられるかもしれないと思ったが、そのたびにタイミングよく彼が様子を窺ってきて、アシュリーは逃げることを考えるのを止めた。
 そもそも仮に逃げられたとしても、騎士として鍛えているヴィルヘルムとは違い、アシュリーは働いているとは言っても体力勝負の仕事ではない。
 そう遠く逃げないうちに、ヴィルヘルムに捕まるだろうことは目に見えていた。
 それに城内の地図を把握しきれていないアシュリーがここでヴィルヘルムから逃げ切れたとしても、そのあと元の場所に戻って来られる自信はない。

 ──にしても、どこに行くんだろう……

 場所を変えたいとは言われたが、どこに行くのかまでは言われなかった。
 何度か通ったことがある道を抜け、アシュリーの知らない廊下をヴィルヘルムは迷いなく進んでいく。
 あまり人とすれ違わなかったのは、人通りの少ない道なのか、それともたまたまなのか、アシュリーにはわからない。
 まさかヴィルヘルムが暗がりに連れ込んで何かしてくる、ということはないと思うが、行き先がわからないままで、アシュリーは不安になる。
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