私を振った同級生ドクターの距離が近すぎます!〜もしかして、私のこと好きですか〜

21 二人の愛と体温


 俺は我聞のじれったい運転に、苛立ちをぶつけた。
「もっとスピードを上げろ!」
「安全運転で送り届けるのが俺の使命なんだよ」
営業職の悲哀か、我聞は頑なに交通規則を守る。正論だが、今この瞬間の俺には、その慎重さがもどかしくてたまらない。

「まだ着かないのか……」
藤川のことを思うと、一秒でも早くその場に駆けつけたかった。

「あと三キロだ。最悪なことに通勤ラッシュに捕まっちまった! 東京の三キロは果てしなく遠いぜ」
我聞がナビを見て嘆いたその時、俺のスマホが震えた。
画面に映る上司の「三宮医師」の名を確認し、即座にスワイプする。

「はい、鳴海です」

『やったぞ、鳴海! 謹慎が解けた!』

「え……? 解けた……? 急に、どうしてですか」

『今さっき、東十条から病院に謝罪の電話が入ったんだ。「鳴海先生は突き飛ばしてなどいない。自分が嘘をついた」ってな。ずいぶんとしおらしい声だったらしいぞ』

「……東十条が、自ら謝罪を?」

『無実が証明されたんだ、もっと喜べ!』

「……はい。ありがとうございます……」

通話を終えても、歓喜は湧かなかった。確信に近い直感が脳内を占める。
――藤川が、やったんだ。

スマホを握る掌が、熱く汗ばむ。

なぜ、一人で乗り込んだ。どうやって、あの男に首を縦に振らせた。

藤川……怖い思いはしていないか。

冤罪が晴れた安堵よりも、彼女を危険に晒してしまったというやるせなさが、胸の奥を激しく突き上げてくる。

「降りる」

俺はシートベルトを力任せに外した。

「えっ? 蒼真、どうする気だ」

「走ったほうが早い」
渋滞で完全に固まった車のドアを、迷わず開ける。

「おい、まだ距離あるぞ!」

「ダッシュすれば十五分もかからない」

「二日酔いで無理すんなよ!」

藤川が今、一人で背負っている状況に比べれば、二日酔いなんてかすり傷ですらない。

「侮るな。数時間のオペに耐える身体は作ってある!」

我聞にそう言い放ち、俺はアスファルトを蹴った。
藤川が待つ、聖三愛病院へ。
渋滞の列をすり抜け、俺はただ一点を目指して走り抜けた。



午前中の病院ロータリーは、送迎車の出入りで殺気立っていた。肩で息をしながら人の流れに逆らい、ようやくその姿を捉える。

「藤川!」

病院の静寂には不釣り合いな大声だった。彼女が驚いたように振り返る。

「鳴海くん……っ」

駆け寄り、彼女の前に立つ。全速力で三キロを走り抜き、肺が焼けるように熱い。滝のような汗を流す俺を、彼女は目を丸くして見つめた。

「どうしてここに? すごい汗……走って来たの?」

藤川はバッグからハンカチを取り出し、俺の額を拭おうとした。
こんな時でも、俺の心配をするのか。胸の奥を素手で掴まれたような痛みが走る。

「なんで……一人で乗り込んだんだ!」

甘い言葉より先に、震える声で詰問してしまった。心臓の動悸が止まらない。
藤川はきょとんとした後、いたずらっぽく微笑み、小さな拳を俺の前に突き出した。

「東十条をやっつけてきたよ」

瞳を輝かせ、やり遂げた顔。……だけど、俺は見逃さなかった。突き出されたその拳が、小刻みに震えているのを。

怖かったはずだ。あの場所に、一人で戻るのが。

「……どうやって、やっつけたんだ」

「昔もらったラブレターを、外来でぶちまけてあげた。そうしたら……自分の罪を認めて謝ったよ」

想像するだけで胸が詰まる。悪い噂を流され、追われるように去った古巣。そこに一人で乗り込み、元凶と対峙する。恐怖がないわけがない。

(俺のために。こんなに、頑張ってくれた)

喉の奥が熱くなり、制御不能な情動が溢れ出す。俺は彼女の腕を優しく掴み、そのまま力一杯引き寄せた。
どうしても、抱きしめたかった。

腕の中の彼女は、驚くほど冷えていた。緊張の冷や汗か。
そこまでして俺を守ろうとした彼女が、愛おしくて、狂おしい。俺の体温で、彼女の震えがゆっくりと溶けていく。

「ありがとう……藤川」

「鳴海くんも、私のために……ありがとう」

背中に回された細い腕。俺の愛情を、彼女が真っ向から受け止めてくれた。
ずっとこうしたかった。もう、我慢はいらない。

「藤川……」

抱きしめた腕を緩め、彼女の瞳を覗き込む。きゅるっと動くその瞳に、もう理性が限界だった。ゆっくりと顔を近づける。

唇が触れる、その刹那。
柔らかな手の甲が、割り込んできた。そのまま彼女の手の甲に、唇を落とす形になる。

「なんで……? 俺のこと、好きなんでしょう?」

「……人が、見てるから」

見れば、藤川は耳まで真っ赤に染まっていた。
つられて周囲を見渡すと、いつの間にか驚くほどの人だかりができていた。

「若いってのは、いいもんだねぇ……」
車椅子の老人が目を細めて笑っている。我に返り、猛烈な羞恥心が襲ってきた。さすがにこの状態で突き進む度胸はない。

「鳴海くんの気持ち、すごく嬉しいよ」
藤川が俺の胸から顔を離し、凛とした瞳で俺を見上げた。

「鳴海先生。若葉総合病院に帰ろう」

「え……?」

「先生を待っている患者さんも、スタッフもたくさんいる。みんな心配してる。だから、早く戻って安心させてあげよう」

彼女らしい、眩しいほどの提案だった。そうだ、俺はもう謹慎の身ではない。
やるべきことが、山ほどある。

「……そうだな。残念だけど、そうしよう」

「うん」

「続きは、いつでもできるしな」

そう囁くと、彼女は今度こそ真っ赤になって俯いた。

「最後にもう一度だけ!」
逃がさないように強く抱き寄せると、彼女は「ひゃっ」と小さな声を上げた。可愛くて仕方がなかった。

「蒼真! 恥ずかしいから早く車に戻ってこい!」

ロータリーに響き渡る、我聞の野太い声。

「我聞まで来たの?」

「あいつ、お前のこと本気で心配してたんだぞ」

俺たちは手を繋いだまま、我聞が待つ車へと走り出した。
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