恋が終わる音がきこえた
雨の日
次の日。
朝から、
空はどんより曇っていた。
「絶対今日雨じゃん〜……」
机に突っ伏しながら、
姫香が不満そうに呟く。
「傘持ってきた?」
「……忘れた!」
「なんで」
「だって朝降ってなかったし!」
いつも通りのやり取りに、
思わず小さく笑う。
その時。
「佐々木。」
不意に後ろから名前を呼ばれた。
振り返ると、
そこにいたのは橘彪雅(たちばな ひゅうが)だった。
「……え?」
ほとんど話したことなんてない。
クラスでも、
誰かと群れてるイメージはなかった。
いつも窓際で寝てるか、
スマホを見てるか。
そんな人。
「プリント。」
ぶっきらぼうに差し出された紙を見ると、
昨日配られた提出物だった。
「あ……ありがとう」
受け取ると、
彪雅はそれ以上何も言わず席へ戻っていく。
「え、いま橘くんから話しかけられてたよね?」
姫香が小声で言った。
「びっくりした……」
「てか橘くんってちゃんと喋るんだ」
失礼すぎる言葉に、
思わず吹き出しそうになる。
窓の外では、
ぽつぽつと小さな雨が降り始めていた。
ーーーー
昼休みを過ぎる頃には、
雨はすっかり強くなっていた。
「うわぁ……最悪。」
窓の外を見ながら、
姫香が肩を落とす。
「傘忘れたのに……」
「だから持ってきなよって言ったのに」
「だって朝晴れてたし!」
机に突っ伏す姫香を見て、
私は鞄の横に立てていた傘を手に取った。
「これ使って。」
「え?」
「私今日、
学級委員の仕事で残るから。」
そう言いながら、
姫香に傘を押し付ける。
「でも美緒は?」
「大丈夫。2本あるし」
咄嗟についた嘘だった。
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
姫香は少し迷ったあと、
「じゃあ借りる!」と笑った。
ーーーー
放課後。
教室には、
私と神崎くんだけが残っていた。
窓を打つ雨の音が、
やけに大きく聞こえる。
「結構降ってるね」
神崎くんが窓の外を見ながら呟く。
「うん……」
本当は、
傘なんて一本しかない。
どうしよう。
そんなことを考えているうちに、
作業はあっという間に終わってしまった。
「佐々木さん。」
「え?」
「傘、ある?」
心臓が小さく跳ねる。
「……ある、よ」
反射的にそう答えたものの、
視線が泳ぐ。
すると神崎くんは、
少しだけ笑った。
「もしかして、鈴川さんに貸した?」
「……っ」
図星だった。
「やっぱり。」
困ったみたいに笑いながら、
神崎くんは鞄から傘を取り出す。
「入ってく?」
その言葉に、
胸の奥がざわついた。
断らなきゃって思うのに、
うまく言葉が出てこない。
結局私は、
小さく頷いていた。
狭い傘の下。
肩が触れそうなくらい近くて、
雨の音より、
自分の心臓の方がうるさかった。
——その時だった。
「あ……」
後ろから聞こえた小さな声に、
私たちは同時に振り返る。
そこに立っていたのは、
忘れ物を取りに戻ってきた姫香だった。
「あ……」
後ろから聞こえた小さな声に、
私たちは同時に振り返る。
そこに立っていたのは、
姫香だった。
「姫香……」
その視線が、
私たちの傘に落ちる。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、
姫香の表情が固まった気がした。
「……あは、」
けれど次の瞬間には、
いつもの笑顔を浮かべる。
「びっくりした〜」
明るい声。
なのに、
どこか少しだけ無理してるように聞こえた。
「忘れ物取りに来ただけだから!」
「じゃ、私帰るね」
「え、待っ——」
気づいた時には、
姫香はもう走り出していた。
胸の奥が、
嫌な音を立てた。
「……追いかけなくていいの?」
隣で、
神崎くんが静かに言った。
私は唇を噛んで、
小さく頷いた。
ーーーー
傘の中は、
やけに静かだった。
雨の音だけが続いている。
姫香の背中が、
頭から離れない。
笑ってたのに、
なんか変だった。
「……」
言葉にしようとして、
やめた。
隣で神崎くんは何も言わない。
ただ歩いている。
それが逆に落ち着かない。
歩道の水たまりを避けるみたいに、
前だけを見て進む。
傘が少しだけ傾いて、
肩が触れる。
その瞬間だけ、
心臓が跳ねた。
雨は止まない。
しばらくして、
家の近くの分かれ道に着いた。
「……ここで大丈夫」
足を止めて言う。
神崎くんも立ち止まる。
「そっか」
短くそう言って、
傘を少し上げた。
「送ってくれて、ありがとう」
「うん」
それだけ返ってくる。
「じゃあ」
「じゃあね」
一歩下がると、
雨の音が一気に戻ってきた。
振り返ると、
神崎くんはもう少しだけその場に立っていた。