逃げられるものならお好きにどうぞ。
――えっ、誰? まさか酔っぱらい……?
疲労で目がかすんで、もしかして帰る家を間違えてしまったのかとも思ったけど、そんなことがあるはずもなく。
目を擦ってみても、あそこは私の部屋で間違いないと確信をもって言える。……えっ、不審人物だったらどうしよう。
スマホを取り出していつでも連絡ができるように準備してから、忍び足で人影に近づいてみる。
「……黒瀬くん?」
近づいてその顔を確認してみれば、そこにいたのは黒瀬くんだった。
真っ黒なダッフルコートを着て、玄関前でしゃがみこんでいる。
「……百合子さん、やっと帰ってきた。おかえり。それにお疲れ様」
顔を持ち上げた黒瀬くんの鼻先は、薄っすら赤く染まっている。
つい数日前に三月に入ったとはいえ、まだまだ夜は冷え込んでいるのだ。