逃げられるものならお好きにどうぞ。
「……ええっと……此処で、間違いないんだよね?」
運転手さんに代金を支払って、車から下りる。
目の前にあった二階建ての建物は――言い方は悪いが、驚くほどのボロアパートだった。
正直、何か霊的なものが出てきそうな雰囲気まで漂っているし、二階に続く外階段は今にも崩れ落ちてきそうだ。
私の肩に凭れ掛かっている黒瀬くんに問いかけるけど、返答は「んー……」とはっきりしない。
意識はもう、半分夢の中みたいだ。
「……あの、すみません。もう少し乗せてもらってもいいですか?」
黒瀬くんを連れたまま再びタクシーに乗り込み、運転手に別の行き先を告げる。
発進した車内で揺られながら「ふぅ」と吐息を漏らし、車窓の外を見つめぼうっとしながら考えるのは、隣で眠っている黒瀬くんのことだ。
――マスターにも家まで送り届けてほしいと言われただけで、別に私がお節介を焼く必要はないって、分かってるんだけど。でも……。
(……放っておけないんだよなぁ)
自分でも何故ここまでしているのか分からないけど、やっぱりあの家に黒瀬くんを一人残していくことには不安が残ってしまって。
隣ですぅすぅと寝息を立てている綺麗な横顔を見ながら、私は何故か、この前見た彼の寂しそうな笑顔を思い出してしまった。