逃げられるものならお好きにどうぞ。
「……そう、分かったわ。この路地を真っ直ぐに進んで、突き当たりの左手に階段があるから、そこを下りていって。入ってすぐのところに立っている黒服の男に、“defect of memory.”って言えば、中に通してもらえるわ」
――defect of memory.
欠如した、記憶。記憶障害っていう意味になる。
「分かりました。……憂美さんは、一緒に行かないんですか?」
「えぇ。悪いけど、私は用事があるの」
憂美さんはひらりと手を振って行ってしまう。
私は小さく深呼吸をしてから、覚悟を決めて、狭くて薄暗い路地裏に足を踏み入れた。
「……私は、ちゃーんと忠告したからね」
店に入っていく百合子の後ろ姿を見つめながら、憂美はそう、呟いた。
***
「もしもし。……あぁ、俺だ」
百合子を見送った慎二は、誰かに電話をかけていた。
「――つーことだ。……あぁ、そうだな。場所は地図を送る」
用件を手短に伝えた慎二は、通話を切った。
胸ポケットから取り出した煙草を吹かしながら空を見上げれば、今にも雨が降り出しそうな曇り空が広がっている。
「邪魔はしない、が……これくらいは許してもらわねぇとな。惚れてる女が傷つく姿なんざ、見たくはねぇんだ」
そう呟いて、止めていた足を動かした。