逃げられるものならお好きにどうぞ。
「いらっしゃいませ」
私の来店に気づいたマスターが、眦に皺を寄せた優しい笑顔で挨拶してくれる。
次いで視界に映ったのは、カウンター席に座る綺麗な女性だった。
カウンターから出てきた黒瀬くんが、女性の前にグラスを置いている。
これまで黒瀬くんが女性と一緒に居るのを見かけた時は、いつだって険悪な空気が漂っていたけれど、その女性とは仲睦まじそうに会話している。
だけど私の来店に気づくと、女性との会話を終わらせて笑顔で近づいてくる。
「お姉さん、いらっしゃい。待ってたよ」
「……急にあんな連絡よこして、私がこないかもって思わなかったの?」
「だってお姉さんは、もしこれないなら絶対に連絡入れてくれるでしょ。真面目だからね」
楽しそうに笑っている黒瀬くんは、私を空いているカウンター席に通すと、カウンターの中に入っていく。
どうやら黒瀬くんが、私にカクテルを作ってくれるらしい。
バックバーからボトルを取り出している黒瀬くんは、黒のカマーベストに黒いネクタイを合わせていて、白いワイシャツを肘のあたりまで捲りあげている。
いつもは無造作に下ろされている黒髪も、今は前髪を上げるような形できっちりセットされていた。
ただでさえ普段から大人っぽい雰囲気なのに、今日はそこに色気までプラスされているような気がする。