Fahrenheit -華氏- Ⅲ


彼は―――葵さんは帰ろうとしなかった。あたしに弱みを握られたとでも思っているのだろうか。それとも“あたし”と言う女に興味を抱いたのか。


まぁそのつもりだ、ありがたいと言えばありがたい。


注文したワインが運ばれてきて、ソムリエが丁寧にグラスに赤ワインを注いでくれる。


その様子を物珍しそうに眺めながら


「空汰の要望はおねーさんを誘惑しろってことだったから、二万貰えて、しかもあんたかなり可愛いし、一発ヤれればラッキーとか思ってた」


彼は―――いいえ、葵 勇馬さんはこともなげに言い、肩を竦める。


ちょうど注ぎ終えたソムリエがワインのボトルを引っ込めるところだったが、少しばかりその動作がぎこちなかったのは、彼―――葵さんの発言に驚いたのだろう。


だが、流石はプロなだけある。何事も無かったかのように態勢を立て直し、音も立てず立ち去っていった。


「残念ながら、私は2000万でも買えませんよ。2000万US$では買えましたが」


あたしがそっけなく言い、赤ワインを一口。


ソムリエが勧めてくれた通り、それは上質なコクと苦み、辛味が絶妙だった。


「2000万$?」


葵さんは目を丸める。


2000万$―――と言うのは、マックスからの慰謝料だ。


それは敢えて伏せておく。啓にも言ってないことだ。


葵さんはそれがあたしの冗談だと思ったのか、そもそも通貨換算が出来たのかどうかも怪しい…が、軽く笑いそれに対して深く突っ込んではこなかった。

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