Fahrenheit -華氏- Ⅲ
色々諦めたのだろうか葵さんがサーモンのカルパッチョをフォークの先でつつきながら
「俺と空汰、幼馴染みたいなもんで。小学、中学が一緒だったの。因みに同級生」
と、話しだした。
「あんたが知りたかったのはそれだけ?」
「他にも色々ありますが。それよりも先に
私は“あんた”とも“おねーさん”とも違って
柏木 瑠華
と言う名があります」
「かしわぎ るか」
葵さんは口の中で復唱して、
「二村さんからお聞きになっているでしょう」
あたしは再びワイングラスに口を付けると、同じタイミングで葵さんもグラスを傾けた。
「何でもお見通しってワケか…」
はぁ…と、またも葵さんはため息をついた。
「お見通しです。あなたは二万で二村さんに雇われたと仰いましたよね。
私はあなたに二村さんが提示したその10倍の金額をお支払致します」
「え?」
あたしが至極真剣に―――と言うかこの無表情だからどう伝わったのか分からないけれど、葵さんは目を丸めた。
「10倍で足りないのであれば、20倍出しますが。あなたは今現在アルバイトを転々としていてフリーター状態のようですし、いい収入になるのでは?」
あたしは指を二本立てた。
「何だよ、ヤバイ話ってこと?」
葵さんは眉をひそめた。
「ヤバくはありません。ただ二村さんの掴んでいる情報を、あなたが分かる範囲で結構ですので教えてください」
ちょうどオードブルを平らげたところだ。
あたしたちの会話の区切りを読んで、ギャルソンが「カリフラワーのヴルーテでございます」と
洒落た器に滑らかなとろみのついたポタージュがオリーブオイルとバジルで華やかに盛りつけられている皿を置いていった。
スープスプーンでそれを掬い口に運ぶと生クリームと卵黄を使ったリッチな仕上がりが口いっぱいに広がる。
久しぶりに口にする食事と言う食事。普通ならすぐに胃が悲鳴をあげそうだが、上品な味と少量でゆっくり進むペースがちょうどいい。そんなことを考えていると
「それは空汰のことを探れ、と」
葵さんはあたしの手元に視線をやりながら切り出した。とりあえず、あたしの真似をしておけばマナー的には大丈夫だろう、と踏んだのだろう。
勘が良いし、決断力もありそうだ。
「お話が早いですね」
あたしが、ここにきて彼と対峙して初めてにっこり微笑みを浮かべた。
「二重スパイってこと?」
葵さんは顎をひいた。
やはり、あたしの見立ては間違いだったのだろうか―――
彼は、友人である二村さんを裏切れない……?
でも、ここまで来て引き返せないし、引き返すつもりもない。
「ええ、二村さんの行動を、いえはっきり言います。二村さんが何を企んでいるのか調べてください」