Fahrenheit -華氏- Ⅲ
恋愛に飢えている―――と、葵さんは言った。
実際、そうかもしれない。
あたしは―――日本に来たとき二度と恋はしないと思っていたから、お金を払ってまでその感情を、関係を持ちたいと思ったことなど一度もない。
ただ、向こうが身体目的だったら別だが。しかしあたしにも選ぶ権利がある。
だから、あたしは啓のことを受け入れた。
“あのとき”本能と言うのが働いていたのなら、あたしの選択は間違っていなかった。
「そうなんですね。私はその辺のことは興味がありませんが」
あたしはそっけなく答えて用意していた二枚の紙を取り出した。
それをテーブルに滑らせると、葵さんはまたも目をまばたく。
「“秘密保持契約書”です。あなたが私を裏切った際、裁判所に訴訟を起こして、損害賠償を求めることができます」
あたしがハッキリと言うと
「そんなに俺、疑わしい?」彼は顏を歪める。
「大いに」
ハッキリと言い切ると、葵さんは豪快に笑った。
その笑い声は周りのお客が怪訝そうにこちらを向くぐらいの…
でも、そんな視線、気にならない。今、この瞬間のこの恥ずかしい空気よりも、あたしの未来にはもっと大きなものが掛かっているのだから。