Fahrenheit -華氏- Ⅲ
あたしはゆっくり深呼吸して目を閉じた。
「あたしは―――泡にはならない。
妃の座を
奪い返す」
力強く告げると
『そう来なくっちゃね』と心音は笑った。『じゃ、また何か動きがあったら教えて?』電話の向こうでチュッとリップ音。あたしは苦笑いで
「Bye.」と短く返して電話を切った。
マンションに到着したのは夜の9時を少し過ぎていた。
「おかえりなさいませ、柏木さま」大抵いるウチヤマさんではなく、彼の後輩?のイシカワさんが丁寧に挨拶をしてくれる。
「ご苦労様です」と言ってカウンターを素通りしようと思って、ふと思い立った。
「イシカワさん、今はプールを借りれますでしょうか」
あたしが申し出ると若いコンシェルジュはちょっと目をまばたき、
「お調べいたします」と滑らかな言葉と動作でPCのモニターに向かい合った。
「今でしたらちょうど空が開きます。ご利用なさいますか?」
「ええ。十分後ぐらいに」
「かしこまりました。プールのご利用は22:00までとなっておりますが、宜しいですか」
「構いません。それでは」
「ご利用ありがとうございます」
イシカワさんはキッチリと頭を下げ、あたしを見送ってくれた。
因みにプールはこのマンションの12階から14階部分の空間を贅沢に使用した場所にある。(居住階数は20階から)だが、40階以上の住人しか利用できない。
所謂VIP扱いと言う分けだ。
25mの温水プール。水温は一年を通して適度な温度に調整されている。水深は2メートル近く。
広いプールサイドにはデッキチェアとテーブルが品よく配置されている。
ここの場を一人で借りる住人は少ない。大抵は誰かのホームパーティーで貸しきられることが多いのだ。
その広い空間、ローブ姿でプールのスタート台に立ち、あたしは掛けていたメガネを取り外し、軽く顔を横に振ってまとめていた髪を振りほどいた。
人魚姫の世界を
見たくなったのだ。
あたしはまるで羽衣を脱ぐ天女のようにローブを脱ぎ捨て、プールに飛び込んだ。