Fahrenheit -華氏- Ⅲ
『手頃な所で』
この言葉が意味することを、瑞野さんは分かっているだろう。
頭がいい女だ。
怒ったり、泣きだしたりして引き返すかと思いきや
瑞野さんは小走りに駆け寄ってきて俺の横に並ぶ。
何事も無かったかのように
「時間もありませんし、そろそろお店決めないと、ですね」と言いながらきょろきょろ。
俺は俯きながら頭を掻いた。
「俺も親父の血を引いてンの、俺、結構ヒドイこと言ったんだよ?」俯いたまま言うと
瑞野さんは
「関係ありません」ときっぱりと言い切った。
関係―――ない……?
「あたしが部長を好き、って言いましたか?彼女にしてください、とか言いました?」
瑞野さんは再び足を止め俺を見上げてくる。その顏に笑みも、怒りも悲しみも浮かんでいなかった。
瑠華のように、ただ―――無表情。
意外過ぎる反応に虚を突かれた。これじゃ瑞野さんが俺に気があるって思いこんでる己惚れ男じゃないか。
「……いや…」
「じゃぁ何の問題もありません、あ、あそこファミレスですけどお客も少なそうだし、どうですか?」と指さされたファミレスに結局入ることになった俺たち。
ファミレスは瑞野さんが言った通り空いていた。
瑞野さんは俺が喫煙者であることを知ってるからか、わざわざ喫煙席のボックス席を選んでくれた。流石秘書なだけあって手際がいい。四人掛けの席に向かい合って座る形になった俺たち。
真剣にメニューを選ぶつもりなんてなく、一刻でも早く帰りたい俺は適当に目についた『秋のオススメ』と言うポルチーニ茸のクリームパスタとドリンクバーを注文し、瑞野さんも同じものを頼んだ。
料理が運ばれてくるまで
「さっきは―――ごめん。一方的に…」
俺はストローで意味も無くアイスコーヒーをかき混ぜながら切り出した。
「何の事ですか」
瑞野さんも向かい側の席でオレンジジュースを同じようにくるくるかき混ぜている。
お互い、かき混ぜる必要なんてないのに。
手を動かしていないと、妙な間ができるのが怖かった。