Fahrenheit -華氏- Ⅲ
会社に帰る道中、俺たちはしばし無言だった。
ただ、掴んでいた手は離し、歩く距離も行き来たときより離れて。
俺はわけもなく苛々していたし、そんな俺に瑞野さんはどう対処していいのか分からないと言った感じだ。
会社が近くなってきて、瑞野さんは「飲み物が欲しいからコンビニに行きたい」と言い出し、俺もついていった。
何だかむしゃくしゃしていて、俺は特に目的もないのにあちこち狭い店内を歩きまわった。
そのうち瑞野さんは目的のものを買ったのか、小さなバッグにコンビニのビニール袋を仕舞い入れながら、
それからまた俺たちは無言で歩き出した。
会社の受付エントランスを抜け、エレベーターに乗り込み、目的の階に着くまで互いに無言だったが、俺のフロアの8階で瑞野さんも何故か一緒に降りて着いてくる。
「?」俺は瑞野さんを振り返った。
「あの…部長…!」
瑞野さんが小ぶりのバッグから何かを取り出そうとしていたときだった。
前から瑠華が歩いてきた。資料か何かを見ているのだろう。ファイルを捲りながら、しかしその歩き姿は完璧に美しい。
る、瑠華―――……
俺は何故か瑞野さんの手を引き、手近にあった小さ目の会議室に入り込んだ。
瑠華は俺たちの存在に気付いていないようで、細いピンヒールを鳴らし俺たちが隠れた会議室を素通りしていったようだ。
ほっ
俺―――…てホント臆病。臆病で卑怯者だ。
思わずその場でしゃがみ込むと、瑞野さんは俺の不審な行動にあれこれ突っ込んではこず、
「ちょうど良かった」と言いバッグの中をごそごそ。
「休憩時間まだ残ってますよね」
言われて、俺は腕時計に視線を落とした。確かに15分程、残ってはいるが―――
「あの、あたしさっきコンビニでおにぎり買ったんです。中途半端に切りあげちゃったし、お腹もすくかな、と思いまして。
それに、あの…!結局また奢ってもらっちゃったし」
とビニール袋からコンビニのおにぎりを二つ取り出す。
「部長は鮭としぐれどっちがいいですか?」瑞野さんは微笑む。
これを“あざとい”と言うのだろうか。
いいや、違う。これが瑞野さんの素だ。
気が利いて心優しい―――
「えーっと…瑞野さんが好きな方選んでいいよ」
てか抜かりないな。気遣いができるっての??
「じゃぁあたしは鮭を」と言ってしぐれの方を手渡してくれた。
先週……いや、それより前の週だったか、瑠華ともこうやっておにぎりを食べた。あのときは浜辺で、あれは神奈川の一色だったか…
瑠華はコンビニおにぎりの剥がし方を知らなくて、俺が剥いてあげたっけね。
そう思い出すと「ふっ」と笑い声が漏れる。
「あ……やっぱり安易でしたか」と瑞野さんが慌てて俯く。
「いや、気遣いが嬉しいなーって思って」俺は瑞野さんに笑いかけた。
瑠華に向けた笑顔を―――俺は浮かべられただろうか。もしできたとしていても、それは
偽りの―――笑顔だ。