Fahrenheit -華氏- Ⅲ
一瞬、驚いて目をみはり、何故『空室』の筈の会議室に啓が居るのか。啓は瑞野さんと一緒にランチに行ったんじゃないの?それとも次の来客に備えてすでに準備していた?
一瞬の間で思考回路がぐちゃぐちゃになる。何て答えていいか分からず、しかし
「すみません、使用中でしたか」とおざなりの―――ごく当たり障りのない返事をしてしまった。
「どうかした?」啓は少し視線を逸らしあたしに聞いてきた。
そのとき、扉を開けたときに巻き起こった風か、女性物の甘い香りがふわりと鼻の下をくぐった。
直感―――啓の後ろに
瑞野さんが居る。
どうして―――
何でなの…
すぐそこまで出かかった言葉を何とか呑み込み
「いいえ、打ち合わせなら会議使用表とホワイトボードに記載してください」
あたしは踵を返した。
瑞野さんと一緒なら一緒でいい。でも何故、彼女の存在を隠したのだろうか―――
あたしは―――何でもない風を装えたかしら。
その後、あたしは与えられた仕事を淡々とこなした。
数字や英字を目で追って指をキーボードに滑らせ、カタカタと機械的な音が鳴るのを、ただ機械的に耳に流し―――
定時になると、ふっと気が抜けた。
ようやく帰れる。
啓の顔を見ずに済む。
本当は見たい―――けれど、今は見るのが
辛いの。